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おまかせと信頼の構図

 値段の書かれていない寿司屋に入店して、大将に「おまかせ」する文化。ひとつ間違えば恐ろしいことになります。

 やばいモノが出てきて法外な価格であったとしても、文句を言う筋合いはありません。「おまかせ」は店と客との信頼関係の成せる業なのです。

 「おまかせ」する文化は日本に独特とききます。
 その背景にある信頼関係は、性善説的な文化に裏打ちされているのでしょう。明確なプランと価格設定を提示し顧客がこれを選択するというのが、資本主義を前提とする契約社会においてはスタンダードな在り様です。


 医師として働いていると、色々なパターンに遭遇します。
 案外多いのが「先生にお任せします」という文言で、しかしコレは非常に悩ましい希望です。
 それが幾度かの交流の後に培われた信頼関係を基に自然と表出された言葉だったら、大きな問題になることはないでしょう。

 問題は決定権の丸投げです。専門家ならば最良の結果に到達するだろうという憶測から発生する決定権の丸投げは、思わしくない結果が出たときに十中八九トラブルになります。こんなはずじゃなかった、信頼して任せたのに、と。

 それはまったく身勝手なことで、まかせたからには責任は当事者に返ってくるはずですが、法律の専門家の介入があると雲行きが怪しくなることもあるようです。


 極力「おまかせ」せず、自分で思考し決定すべきだと私は考えます。まかせた瞬間に思考停止に陥るものですから、異文化が入り乱れる今の世では生き残ることが難しくなるだろうと思うのです。

 専門家でなくとも、選択するのは自分です。

生殺与奪の権を他人に握らせるな!!(水柱)
おまえのオールを任せるな(長瀬 元メンバー)

 そんな言葉を思い出しますね。

 
 しかしながら、専門領域の細分化される現代社会においては、かつてのガリレオやダヴィンチのような多方面に明るい万能型の天才は生まれにくく、まして我々凡夫の身では複数の領域に詳しくなることは不可能に近い所業です。

 門外漢が頓珍漢なことを捲し立てながら専門家を無碍にしていたのでは、到底好ましい選択には辿り着けないでしょう。

 そこで重要なのは「人を見る目」と「論理的思考」と考えます。

 果たして相手は信頼に足る人物なのかどうか。専門家といっても世界にひとりしかいないわけではありませんから、人が変われば言うことも変わります。じっくり見極めて判断していくことが肝要です。
 問題は信頼しうるような人も、人である以上間違えることがあるという点です。ゆえに、やはり最終決定権は自分の側にあるべきで、その価値判断においては論理的思考が必須です。矛盾はないか。違和感はないか。多数派が正解とは限りません。同様に、多数派が間違っているとも限りません。


 自分の芯を通せば良い。自分の人生です。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方にかかった「おまかせ」の魔法が解けて、能動的人生を楽しめますように。



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