縁結び神社に行ったら恋人が喀血した話
それは私がまだ大学生だった頃の話です。
当時交際していた彼女と京都旅行を計画して、有名どころは一通り行ってみようということになりました。京都といえば歴史的にも文化的にも価値のある場所が多く、観光地化されていても見所は多いものです。
清水寺にふわっと参拝して、隣の神社に近づいたときのことです。隣を歩く彼女の顔色が悪いような気がして声をかけると、
「うん。だいじょう…カハッ
と軽い咳払いと共に口元を覆った彼女の手をみますと、鮮血がついています。彼女も困惑しています。持病もないし、体調も悪くなかったそうですが、急に気分が悪くなったとのこと。妙な気配を感じて、境内の木の裏側をみますと、そこには無数の釘が打ち付けられていました。
釘の中にはかなり古い見た目のものもあって、繊維質のものが付着しているところもあります。複数の穴は釘が刺さっていた場所でしょうか。背丈ほどの高さから腰のあたりまで、悍ましい数の釘と釘跡が樹木に残されていました。
ここは縁結びの神社。
縁結びとは一体…。
丑の刻に参られたかのような光景をあとにして、私たちは別の場所に移動しました。鳥居を抜けると彼女は何事もなかったかのように元気になって、それから血を吐くことはありませんでした。
日本神道は便宜上「宗教」に分類されますが、世界的にみるとかなり特殊な構造をしていることが分かります。古事記や日本書紀に神話の記載はありますが、それはいわゆる「教義」とは少し異なる物語です。多神教この上ないほど数多の神々がいますし、複数の神社が一柱の神を祀っていることも多いという混沌ぶり。分霊したり移動したり、自由自在です。
問題は、この神道というものが、結構リアルに現実世界に影響を及ぼしているということです。国外のことはよく知りませんが、少なくとも日本国内には八百万の神々と称される何者かが存在しています。それは擬人化された所謂「神様」ではなくて、思念体のようなものであったり、自然現象にみえたりすることもあるでしょう。ただ、神と称するほかないものを、私たちは日常生活でも経験しているはずです。
先の神社では、もとは別な何かを祭っていたのかもしれませんが、人の強い思念が幾重にも掛けられるうちに、別物に成り代わったのではないかと私は推測します。或いは人の思念それ自体が負の感情を蓄積しているのでしょうか。
いずれにしても、近寄らないほうがよろしい。
そこよりもヤバかったのは壬生浪士の祀られる寺ですが、此方は歴史的に考えても、しっかり祀るのがよかろうと私は襟を糺しました。
拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方が祈りの効用に気づき、穏やかな日々を送れますように。
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