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量は質に変換するか。

 例えば高校生の頃、課された数学や物理学の問題演習量は膨大でした。指導教師の曰く、量をこなしていると質に変換される瞬間が来るのだ、と。
 半信半疑で取り組みましたが、ある時を境に何か掴めたような感じがして、そこから先は大学受験を終えるまで簡単でした。

 量は質に変換されます。

 しかしながら量があれば質がどうでもよい、ということではありません。間違ったことを繰り返していても成果は得られず、悲惨なだけでしょう。

 ある知人医師は東洋医学の脈診を習得したいと思って漢方医に教えを乞うたところ、たくさん脈診をするように言われその通りにしたそうですが、千人診ても二千人診ても、分かったのは血圧の高低だけだったと言いました。

 それもそのはず。脈診を習得するのに症例数を積むのは必要ですが、指先の微妙な感覚を我流で修めることは不可能です。師について習わなければ分からない内容が実に多いことも、漢方医学の流行らない所以だろうと考えます。

 研修医を指導すると、想定以上に胸部レントゲンが読影できないことが分かります。初期研修医どころか後期研修医や呼吸器内科以外の医師も、胸部レントゲンが正確に読影できる人は極めて少ないように感じます。友人の放射線読影医に聞いたところでは、最近の若手放射線科医はCTに頼るから胸部レントゲンが読めないとのことでした。然もありなん。嘆かわしいことです。

 私が担当した研修医には、必ず胸部レントゲンの初歩的な読み方を伝えるようにしています。1枚の画像から得られる情報量は思いのほか多く、丁寧に読影すると慣れないうちは時間がかかります。正しい方法で千人くらい読影すると、ようやくマトモに読めるようになることを伝えると研修医は驚きますが、未だ嘗て研修期間中に読影千本ノックを達成した人はいません。

 
 そういう私はどうなのか。


 今も週に最低150枚以上の胸部レントゲンを読影し、週に平均して60人ほどの脈診をしています。1年間に少なくとも7800枚を読影し、3000人以上の脈を診察していることになりますが、診療技術を維持するためにはこれくらい必要そうだと感じます。

 使わない知識や技術は廃れていきますから、量が質に変換されても維持する努力が必要です。
 もちろん数学や物理学はすっかり忘れました。


 文章を書くことも先ず量がなければ話にならないと聞いて、noteの更新を始めました。毎日400字を1年間続けると凡そ文庫本1冊分になるといいますから、試してみるのがよいでしょう。100字前後の呟きで終わる日もありますが、概ね600字〜2000字ほどの文章を投稿し続けて670日ほど経ちました。


 先生、質に変換されるのは何時ですか。


 …まぁいっか。


 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の積み重ねる量が質に変換されて、成果に結びつきますように。




#適性とか才能ってあるよね #あ ゝ無情
#今日は1200字くらい #振り返りnote #投稿続けて673日目 #なぜ673日目にこの記事を投稿したのか #673 #とは #素数 #122番目の素数
#673 =24*28+1と24n+1型の素数なので8n+1型と4n+1型と3n+1型を兼ねますから673=17^2+6*8^2=5^2+2*18^2=23^2+12^2=25^2+3*4^2ですね
#ガウスって控えめにいって天才だと思います #ガウス
#エッセイ #質に変換されたい文章力

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