見出し画像

第12話  「ごめんなさい」が〈正解〉だったサッカー部員の卒業

2016〜2019年にかけて、高校の教室でもがく教員の姿をcakesで連載していました。cakes終了につき、noteに転載するお誘いを受けましたので、定期的に再アップしていきます。よろしければご覧ください。 年齢や年代などは当時のままですので、ご了承くださいませ(また、登場する人物名は仮名です)。


「先生、メシ連れてってください」

彼がそう控えめに申し出たのは2月のこと。360度に明るい少年で、それでいてどこか不思議なオーラにくるまれた生徒だった。僕は高1のとき彼の担任だったけれど、それ以後は直接の関わりがなかった。

そんな僕を、卒業を控えた頃にわざわざメシに誘うってことは、学校では口にしにくい思いが溜まっていたのかもしれない。彼の表情を見てたら、タダ飯にありつける、みたいな下世話な目的じゃないことはよくわかった。


とつとつとした告白


「俺はサッカー下手だけど、やっぱし好きで、つまらないと思ったことは一度もなかったです。でも、今は、高校3年間でやり尽くした感があって、もうたくさんだって思うんすよね……」。

メシを食べながら、とつとつと「つぶやく」その生徒。気持ちの整理がつかず、つぶやくという営みでしか、自分の思いを表に出せないとき。肉を焼き、つつき、小皿に振り分けながら、食べるよりは、つぶやくために口を動かすことを優先するとき。肉が焦げても、それを脇によけながら言葉が止まらないとき——。

中学の時はサッカー部のキャプテンで、俺なりにチームをまとめられたし、充実してました。でも、高校に入るとどうも……。うまい奴たくさんいて、俺なんか霞んじゃって。くじけはしなかったですけど。

2年の3学期だったかな。最終下校時刻を過ぎて、先生が部室を見回りに来て、「時間過ぎてるぞ〜! ケジメつけないと部活停止になるかもだぞ!」とか言ったとき、覚えてます?

3年が引退して、俺らの代になった頃。みんな才能あって個性的なだけに、どうも関係がぎくしゃくしがちで。いかにも青春って感じだけど、あの時は俺、部室で何人かと落ちこんでて。

田中と山下と俺の実力が劣るってことで、1年と同じ練習グループに回されたんです。イラっとしたし、恥ずかしかった。山下は腐っちゃって、部活やめるとか言ってた。泣いてた。

自分勝手で練習も手抜きしがちな奴が使われて、何で俺らが、って思った。でも、カッコつけるわけじゃないけど、ここで腐りきったらおしまいとも思った。だからあいつら励まして、1年との練習に出続けました。

がむしゃらにやることで、誰かに復讐してる感じになったんです。監督とかコーチの納得いかない指示や起用法もあったけど、言われたことは全部吸収してやろうって思った。周りからしたら、こびてるように思われたかも。それでもいいと思った。やっぱ試合に出たいし。

3年になって、いろんな思いがごちゃ混ぜになって、もう部活に行きたくないと思いました。けどうまくサボれなかった。でも、ボール蹴ること以外で部員と関わりたくなくて、部活が終わったら、わざと独りでピッチに残ってた。ベンチでぼーーーっと。

高3最後の秋は……、もうすぐでレギュラー、取れそうだったんすけどね。ほかの奴らも当然頑張ったんですけど、俺には自信があった。でも結局、最後はレギュラー取られちゃって。ぽかーんとした。悔しいんだけど、それと同時に「もういいや」みたいな思いも生まれてたかなぁ。


部活という希望、という痛み


僕は肉をつつきながら、彼のつぶやきが止まったあとの沈黙を引き受けた。ただうなずきながら、肉をむやみにひっくり返した。

日本の部活文化において、高校生のこのようなエピソードは「いかにも」だろうし、ありふれている。だが、それぞれ形のちがう葛藤にもがく一人ひとりの高校生とそれを見守る教師からしたら、「いかにも」なんてどこにもない。絶対にどこにもない。

僕は、サッカー部の顧問の先生たちが、3年最後の大会で誰をレギュラーに使うか、すさまじく頭を悩ましていたのを知っていた。先生たちが、僕の目の前にいるこの生徒がどれだけ真剣に練習に打ち込み、どれだけ誠実に自分の指示に耳を傾けてきたかをよく知っていた。当然、レギュラーから外すことは断腸の思いだった。

そして、僕はこの生徒の高校サッカー人生最後の一幕をも知ることになった。

いったんレギュラーが取れそうになったとき、彼は、「最後の大会は試合に出るから、見に来たら楽しいかもよ」と、お母さんにぶっきらぼうに伝えた。けど、大会直前、「やっぱ出られないかな……」と伝え直したという。

お母さんが、「出る、出ないはもともと関係ないもん。あんたがこれまで頑張ってきたサッカーの最後の大会でしょ。応援しに行かなくちゃ」と返すと、彼は一言だけ、つぶやいた。

「ごめんなさい」。

3年間支えてくれたお母さんに対して、「結果」を示せなかった罪悪感が彼にはあったかもしれない。けれど、サッカーを一生懸命やってきた結果が「ありがとう」ではあっても、「ごめんなさい」なんて絶対おかしい。絶対に。彼は、謝るべき何かを一つも犯していない……。

けれど、こんなのはオトナの安い後知恵だと思った。十代をまっしぐらに生きる彼にとっては、オトナの模範解答は関係ない。彼にとってはあくまで「ごめんなさい」が正解だった。彼が3年間かけてたどり着いた答えを前に、「それは間違ってる!」と説教を垂れる教師にだけは、なりたくなかった。

無力であることに変わり無い僕は、彼に対し何も声をかけられず、やはり肉を焦がしながら、ただ無意味にうなずくばかりだった。号泣しながら。食事の席を一緒にしながら、話に耳を傾けるしかできなかった。


卒業してからも——


間もなくやってきた卒業式。記念写真のポーズを撮りながら、となりに立つ彼に伝えた。

「お前とはさ、大学生になってから、もう一回メシに行かなきゃな。必ず付き合えよ」

にかっと笑った彼は、「約束すよ。っした(ありがとうございました)!」と一言、握手した手をゆっくり離し、風のように階段を上がっていった。

「ごめんなさい」の向こうに広がる新たな人生。それはどんな景色なんだろう。そこで立ちすくんだときは、またメシを食べながら、彼のつぶやきに耳を傾けることが僕の仕事である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?