祖父の死

一年以上投稿していなかった間に、第二子が産まれたり、祖父が亡くなったりと忙しい一年でした。

祖父が亡くなったのは約3ヶ月前で、ついこの前の出来事です。
もう2、3年経ったようにも感じられるし、まだ生きていて私の日常の中にいるようにも感じられる。

自分の頭がまだ現実に追いつかなくて、整理できていないので、整理のつもりでここに書き記そうと思います。

以前の記事でかいたパーキンソン病を患っていた真面目に仕事一筋で生きてきた祖父の話です。

よかったら、下記のリンクを読んでいたければ話がわかりやすいと思います。

あれから緩やかな波を描くように少しずつ祖父の容態は悪くなっていきました。

会うたびに何となく話し方や動きに変化が感じられ、これはあまり長くないな。と感じて来所で、一年ほど前に祖父を喫茶店デートに誘いました。


父から深い愛情を感じられなかった分祖父がそれを与えてくれたこと。お小遣いをくれたり旅行へ連れて行ってくれたり、お買い物へ行ったり、日常の何気ないところでも愛があり、それが生きづらい私の人生の大きな支えになってくれたこと。

祖母はカツカレー、私はボロネーゼを食べながら一生懸命話したつもりが何となく伝わってない感じがした。

祖父の顔に違和感という文字が浮かんでいました。

後から母に話したことを聞くと、話下手のせいで私の話のポイントが見えてこなかったらしい。

「あいつはお金困っているか、離婚でもするのか?」

と言っていたそうで、意思疎通が全くできていなかったみたい。笑

その頃には祖父の勘違いも増えてたので、私の不器用さと相まって理解がうまく行かなかったのだと思います。

それから半年くらいして祖父の食欲が急激に無くなり、急遽入院することになりました。

2週間ほど入院して帰ってきた彼の姿を見て、思わず涙が堪えられなくなるほどの姿に変わっていました。肩は丸まり自分で支えることもできない。痩せて目玉が飛び出し、頬がこけすぎて口周りの骨がくっきり見える。

祖父の目の奥に死が近づいていることを理解している様子が窺えました。

声を出すことも苦痛なようで、私が話しかけても返事もままならず。のようでした。
このタイミングを絶対逃してはならないと悟った私は、その場にいた母、祖母、息子2人に退出してもらい祖父と2人で話すことにしました。

もう一度、腹を据えて喫茶店で伝えたかった気持ちを一言一言丁寧に祖父へ贈りました。

祖父はジーッとしたまま頷くこともなく喉の奥の方で、んー。とだけ音を出しました。
どういう気持ちだったのか見当もつきません。
とにかく私は自分が後悔しないように。ということしか考えてなかったように思います。

それからは母が祖父の意を汲んで、泊まり込みで祖父宅で介護をする事に決めました。

自力で歩くこともほとんどできなくなっていた祖父を、介護すると決めた母の背中を見て、こんな素晴らしい生き方をする人が自分の母でよかった。自分も息子たちにかっこいい背中を見せれるように生きよう。と思わずにいられませんでした。

それからまた2週間ほどして入院になり、私も一回お見舞いに行きました。

もう家に帰ろか。

と、息苦しそうにしながら言っていた言葉と、それに対して母が

そやな。バスに乗って帰ろか。

というやりとりで、また涙してしまったことを忘れません。

家で「看取る」ために母が家に帰ろう。と決意し、数日後退院になりました。


退院したその日。
私は祖父が病院から家へ到着した1時間後に2人の息子たちと祖父宅に家につきました。

来たよー。
と祖父に声をかけた時には顎呼吸が始まっていて、顔が黄土色に染まっていました。

到着して15分ほどだったころその場にいた看護師さんがみんなおじいちゃんのところに来て!!手を握ってあげて!と言われ、急だったので私の持病のパニック障害が発症してしまいました。

息ができない、倒れてしまう、このまま死んでしまうという感覚に襲われながら必死に祖父に大丈夫大丈夫!!また会おうね!ありがとうね!伝えていました。

幸いなことに、私の兄や叔父もいて全員集合の状態で子ども、孫、ひ孫にまで囲まれて息を引き取りました。

これが祖父の生きてきた集大成なんだ!

と苦しい中でも感動してたのを覚えています。

そこからが私の地獄の始まりでした。

祖父のお葬式も無事に終わって、数日後から寝る前から夜中にかけてのパニック障害が毎日続きました。お昼になる時もあり、2人の幼い息子を抱えていたので辛くて心が折れかけていました。

これはきっと自分の心の勉強だ。と毎日自分に言い聞かせ、向こうの世界にいよいよ行こうとしている祖父に毎日語りかけていました。

すると不思議なことに49日を過ぎると雲が晴れたように、ぱったりパニック症状が収まったのです。

毎日抱えていたパニック症状が無くなったおかげで、何気ない日常が今までの何倍も幸せに感じました。

足るを知る

を座右の銘にしていますが、自分がその言葉をいかに浅くとらえていたのかも知ることができました。


祖父の死に対する哀しみも少しはありますが、なぜか今も近くにいるような感覚があります。

始めて亡くなった人を近くに感じていて、なるほど。死んでも生きていても側にいることには何ら変わりはないのだなと肌で感じることが出来るようになりました。

深く自分を愛してくれた祖父の死によってまた、大きな事を勉強させて貰いました。


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