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まぶたにさす陽

なにを希望として、なにを絶望とするのか、それは私たちひとりひとりに委ねられていて、そのことにできるだけ希望を見出したい、と思う。

くたびれてものも考えられないとき、そんな気もなく今までこつこつと集めてきた、星屑みたいな記憶のかけらや、愛しい誰かとの関係性や、おまもりみたいな大切なものたちにすこしでも救われるのであれば、私たちの日々は、ほんのすこしだけやさしさに満ちたものになる。

がんばっているひとに「がんばれ」って言うことがそのひとを孤独へと追い込むように、いますごく疲れている誰かに、「ねえ、私えらいでしょう?えらいねって言ってよ」と、自分が言ってもらいたい言葉を望むのは酷だ。

あなたが言ってほしい言葉と同じ言葉を欲しがっている誰かは、必ずあなたの近くにいる。

だからもし、あなたが自分で自分をいたわることができるのならば、ひとまず自分でやってごらん、よくがんばっているね、えらいね、でもがんばりすぎて疲れちゃうよねえって、自分の頭やこころをやさしく撫でてあげたらいいのだ。

それでも満たされなかったら、すこし誰かに助けてもらえばいい。あなたがつらいように、あなたの頼っている誰かもつらいかもしれないから、そのひとの前で必要以上にか弱いふりをしてはいけない。それではあなたは助けてもらえない。あなたがそのひとを助けようとしていないのだから。

この星はさびしいことで満ちている。

けれど、さびしいけどあたたかいとか、さびしいけどきれいだとか、さびしいけどあまいとか、さびしいけどまばゆい、みたいなものもたくさんある。私はそれをたくさん知っている。

自分だけがくるしいとか、かなしいとか、そんなふうに思い込んでしまったら、私たちは本当にくるしくてかなしい、さびしい子になってしまう。

だからさびしいことにも、希望を見出していたいね。どんなかたちのものであっても。

それはときどき難しくて、どうにも涙がこぼれてしまうけれど、私たちは星の子だから、身体から水が出たのならば同じぶんだけつめたい水を飲んだらいい、かわいいかき氷を食べてもいいし、激しい雨を浴びてもいい。

あなたがどうか今夜もすこやかに、カーテンのようにまぶたをそっと閉じて、世界におやすみをできますように。

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