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10時間もぐっすり眠るほどに

9月のはじめごろ、帰省していたお友だちと春ぶりに再会した。ちょっと時間が空いてしまったけど、そのときのことを書きとめておこうと思う。

彼女は初夏生まれらしい、瑞々しい若葉がすくすくと伸びていくような様子を連想させる名を持つ女の子だ。瞳がきらきらしていて屈託なく笑う。

私たちは中学生1年生のときに同級生として出会った。けれど当時はそれほどなかよしというわけでもなく、行動していたグループは別だったし、話もときどきする程度で、さほど親密なかかわりを持っていたわけではなかったように思う。

そしてそれは実際その通りで、彼女が私にさほど心をひらいていなかったということは、高校生になってから思いがけない形で分かった。

私たちは進学した高校でクラスが一緒になり、出身中学が同じだったので、その後なんとなく一緒に行動するようになった。やがて互いにすっかり打ち解けて、彼女が私の名をしきりに呼ぶようになったころ、私は彼女に名を呼ばれることをやたらうれしく感じた。

それが並大抵のよろこびではないのだ。彼女に名を呼ばれるたび、なぜか信じられないほどはちゃめちゃにうれしいのだ。妙なかんじだった。

はて、と考えてみるとそこでようやく分かった。彼女は中学生のとき、1度も私の名を呼ばなかった。高校生になってから初めて私の名を呼んでくれたのだ。

こんなにも分かりやすい心の開き方があるだろうか、と私は今でも思う。

そもそも彼女はあまり人の名前を呼ばないのだ。誰かに話しかけるときも「ねえねえ」と言うことが多く、思い返してみると私もそうやって呼ばれることが多かった。

いつだったか彼女にそのことを尋ねてみたら、「必要最低限しか人の名前は呼ばない」と言っていた。やっぱりそうなのか、と思いつつ、私は彼女のそのある種のしたたかさをとても好ましく思った。

彼女に名前を呼ばれるようになったということはつまり、彼女が私を友人のひとりとして認め、心をひらいてくれたということなのだ。

それから高校生活の3年間をかけて私たちはとても親しくなった。お昼やすみ、お弁当は毎日一緒に食べた。移動教室のときはいつも始業ベルぎりぎりに教室に駆け込み、テストの日の休憩時間には教室のすみっこや廊下で大騒ぎしながらテストに出そうなところの確認をした。

春の休日の午後に、ほかの友人を含めたなかよし4人組で(この4人はみんな背がちっちゃいので、恋人は私たちを「ちっちゃいものクラブ」と呼ぶ)、お花見をしたこともある。一緒に水族館へ出かけたことも。

中学生のときは全然おしゃべりなんてしてなかったのに、高校に入ってこんなに仲良くなれるなんて思ってなかった、と私たちは何度も話し、その会話自体がなんとも言えず楽しかった。

そんな彼女がこの前遊びにきたとき、そのまま急遽お泊まり会を開催することになった。私と彼女がお泊まり会をするのは実はその日が初めてだったのだけれども、全然気まずくなんてなく、実にのびのびとした時間を過ごしたように思う。

しかし最も私たちらしさが出ていたところは、夜の時間の過ごし方だ。

大学生の女の子のお泊まり会というのは、たぶん夜更けまでおしゃべりをして、きゃっきゃと騒ぐものなのだろうけど、私たちはすぐに眠たくなって夜の10時半には眠ってしまったのだ。しかも眠たすぎて、どちらともなく眠りの世界へ入ってしまったので、おやすみの挨拶さえなかった。

次の日、目覚めたのは朝の8時半だった。私たちはふたつ並べて敷いたおふとんで、ただただ10時間もぐっすり眠っていたことになる。

そのことを朝、ふとんにごろんと横たわったまま話した。

「大学生のお泊まりって、普通、おしゃべりとかするものじゃないの?」
「私たちすこやかに10時間も寝たってこと?」
「超健康的な小学生みたい!」

彼女は大笑いしながら「こんなに寝たのは久しぶり」と言い、私も大笑いしながら、彼女のそのことばが心底嬉しかった。

それは私たちが流れる沈黙をものともしないほどの友人になり、何も喋らなくとも安心して隣で眠れるような関係性を築いてこられた、その証明のように思えたから。

私と彼女とはそういう友人なのだ。

そしてそれは同時に、私と彼女だけの関係でもある。

私にとって友人や家族、恋人との関係性は、相手が誰であれそれぞれに固有で、たしかに特別で、けれどそれら全てが他の人との関係性とは違う。それはある意味当然のことだけど、同時にすごく特別なことだとも思うのだ。

その視点から考えると、私と彼女はお泊まりをしたら横でぐっすり眠ることのできるくらい楽ちんで、気さくで、おちゃらけた関係だということになる。

高校生の間にそれほどのなかよしになれた、そのことがうれしい。

きっとまた、私たちはふたりでお泊まり会をしたら子どものように無防備に眠るだろう。そしてそれをなんとも思わずにこれからも笑いあうのだ。

また次に会ったとき、彼女とこの日の話をしたい。そしてたぶん私は自分で思っている何倍も彼女を好きだから、そのことも覚えておいてね。

そして彼女がこれからも私の名を呼んでくれますように!






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