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強くて美しいフレンチ・ポップスの紹介 -Patricia Kaas, « Il me dit que je suis belle »

日本人がフランス語の歌に持っているイメージって、なんだかブツブツつぶやいている、そんな感じじゃあないかしらん。
もう少し可愛い表現を使うなら、小鳥のさえずりのようにチュチュチュ、そんな感じ。

その一因はフランス語に「ウ」の音が多いこと。
「私は〇〇である」で、既にJe suis(ジュ・スイ)と二音も「ウ」があるのです。
英語のI am(アイ・アム)にまったく「ウ」がないのと比べれば、違いは明瞭です。
 
それからフランス人の国民性。
「素直に感情を表に出さないのがカッコイイ」、「素直とは幼稚で単純で愚かだということ」、たしかにフランス人はそんなふうに思っています。
だからスノッブだというイメージを抱かれる。
かくして、素直にシャウトではなく、はすにかまえてブツブツとなる。
 
そんなわけで日本人が抱くフレンチ・ポップスの一般的なイメージは、静かに軽やかに冷たくつぶやく、そんなふうになるのでしょう。
 
けれどここで発想の転換をしてみたいと思います。
そもそも歌は何のためにあるのでしょう?
それは日常の会話では伝えることができないことを、曲にのせて伝えることが目的ではないか。
つまりふだんのスノッブなブツブツチュチュチュでは伝えられないことを、伝える。
そこにこそフランス語の歌の本質があるように、僕には思えるのです。
 
そんなわけで今回、紹介したいのは、パトリシア・カス(Patricia Kaas)の« Il me dit que je suis belle »です。
実に力強く、感情的に、ホンネを吐露しています。
ここまで強くはっきりと感情的になれるのが、フランス人にとっての歌のチカラなのではないでしょうか。
 
楽曲と歌詞が良いコンビネーションを見せています。
最初の出だしは、ふだんの静かなブツブツから始まるのです。
日々、同じような生活、くだらないわ。
泣いてばかり、へこむわ。
そろそろ彼のこと、諦めなくちゃ。
街で過ぎゆく恋人たちからは、目をそむけるの。
つらいから、夢のなかに逃げよう。
夢見る権利くらい、わたしにだってあるでしょうに。
…と、ここで、最後のクライマックスに向けて、主人公の女性が夢の中身を告白します。その感情の激しい高まり、盛り上がりたるや、圧巻です。
歌詞の後半部分だけ、訳してみましょう。
 
Il me dit que je suis belle 彼がわたしに言うの、綺麗だよって
Et qu’il n’attendait que moi わたしのことしか待っていなかったよって
Il me dit que je suis celle わたしこそがそのひとだって
Juste faite pour ses bras 抱きしめたいひとだって
Des mensonges et des bêtises そんな嘘、ばかげた話
Qu’un enfant ne croirait pas 子供だって信じないわよね
Mais les nuits sont mes églises けれど夜はわたしの救い
Et dans mes rêves j’y crois 夢のなかでわたしは信じる
 
Il me dit que je suis belle 彼がわたしに言うの、綺麗だよって
Je le vois courir vers moi わたしは彼が走ってくるのを見るの
Ses mains me frôlent et m’entraînent 彼の手がわたしに軽く触れてわたしを誘う
C’est beau comme au cinéma 素敵でしょう、まるで映画
Plus de trahison, de peines 裏切りも苦しみもないんだ
Mon scenario n’en veut pas わたしの脚本はそんなもの望んじゃあいない
Il me dit que je suis reine 彼がわたしに言うの、わたしこそ王妃さまだって
Et pauvre de moi, j’y crois そして情けないわたしは、そんなこと信じているわけよ
Hmm, pauvre de moi, j’y crois 情けないわ、でも信じている



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