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トランプ元大統領とパリ・オリンピック


トランプ元大統領にとっての恥



トランプ元大統領は、先日のパリ・オリンピック開会セレモニーにおけるドラァグクイーンの「最後の晩餐」のシーンを、「恥だ」と否定した。

他方、パリ・オリンピックの芸術監督トマ・ジョリは、嘲笑する意図も、ショックを与える意図もなかった。あれは「共和国、包摂、厚情、寛容、連帯の観念」を表現したものだ。「私見によれば、現代のわたしたちが途方もなく必要としているものだ」と、静かに答えた。

トマ・ジョリのインタビューを聞いて、僕は、僕自身、誤解があったと反省した。
僕はキリスト者だが、21世紀の西洋世界においてキリスト教会が時代錯誤的な家族観の権威であることについて、かねがね残念に思っていたので、「最後の晩餐」への揶揄があってもおかしくないぐらいに思っていた。


ドラァグクイーンのイエスと、ディオールを着た弥勒菩薩


しかし僕は間違えていた。
そうではないのだ。
トマ・ジョリは、旧態依然としたキリスト教会を批判するつもりなどないのだ。
ただ旧来のキリスト教会よりも、よりひろい寛容の美徳を表現したかっただけなのだ。

けれども新しい観念を表象しようとするとき、ひとは古い意匠を必要とする。
古い意匠の上に新しい意味を付加しようとする。
たとえて言えば、広隆寺の弥勒菩薩にクリスチャン・ディオールの服を着せて、菩薩を現代風にアレンジしてみるようなものだ。
トマ・ジョリがしたかったのは、その種のことなのだ。


ラ・マルセイエーズで始まる英語の歌


ただなんだか無性に、僕は僕自身の誤解のお詫びとともに、トマ・ジョリにエールをおくりたくなった。
そして「現代のわたしたちが途方もなく必要としているもの」という彼の言葉から、次の英語の歌をおくりたくなった。英語だけど、冒頭はラ・マルセイエーズだ。
みなさんも、すぐに口ずさめるはず。
有名な曲でも、良いものは良いよ。


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