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映画『オフィサー・アンド・スパイ』試写を観て

ポランスキー監督がドレフュス事件を取りあげた。
世界史の教科書でも有名な事件。19世紀末、フランス軍のドレフュス大尉はユダヤ系だったので、軍部によってスパイ容疑をかけられたけれども、実は無罪だったという、本当にあった怖い話。


我、ちょびっと弾劾す

それにしてもこの邦題はポランスキーの心意を軽んじてはいないかしらん。
なぜ『オフィサー・アンド・スパイ』と、わざわざ英語を使ったの。
原題(J’accuse)をそのまま訳して『我、弾劾す』で良かったんじゃあないかなあ。
あるいはシンプルに『ドレフュス事件』で良いでしょ。
サスペンス映画扱いするなら『悪魔島からの帰還』とかw。
フランス映画らしく『ジョルジュとアルフレッド―BLと言う勿れ』とかw。


我、歴史を勉強す

ところで、ご存知だろうか。
このドレフュス事件の結果、何が起きたかを。
フランスの共和派(左翼)は軍部に対して強い疑念を抱くようになって、特にその秘密主義と権威主義を批判した。そして国防の主体は、職業軍人ではなくて、市民であるべきだと考えるに至った。
そして1905年3月21日の法律(loi Berteaux)で徴兵制を改良した。
例外なくすべての市民が徴兵に服するようになった。
つまり「ドレフュス、かわいそう」
→「軍部・職業軍人、✖」
→「徴兵制の軍隊、〇」である。

また1910年には社会主義者ジョレスが『新しい軍隊』を出版した。ジョレスは労働者が大量に動員されて、職業軍人と協力して戦う軍隊を理想とした。
「専制主義のドイツ軍」に対する、「民主主義のフランス軍」の戦い(第1次世界大戦)は、このようにして準備されていったのだ。
(もちろんその背景には植民地戦争があったのだけれどもね)。


我、日本のリベラルさんを、あわれむ

おそらくいまどきの日本のリベラルさんはこの映画から「人種差別はいけません」という道徳的なメッセージだけを読み取るのだろう。そしてこんにちのフランスの極右をまさに「弾劾」するのだろう。日本のリベラルさんの道徳至上主義には、悲しくて涙が出る。だって人間への理解が浅すぎるよ。

ポランスキーはその程度の監督だろうか。

映画では大佐ピカール(なんかこの冷凍食品店を想起させる日本語表記もなんとかならないかなあ。Picardじゃなくて、Picquartだから)が「正義のヒーロー」となって、ドレフュスのために戦う。

しかしピカールは独身だが、人妻と恋愛関係にあった。
映画のなかで、ポランスキーがピカールと人妻との恋愛模様を丁寧に描いている点こそ、重視すべきであろう。

つまりピカールには性道徳がない。しかし公民としての道徳はある。
このような人間の矛盾を肯定するのが、ポランスキーなのである。

(そう言えば、ちょっと話は飛ぶけど、公民権運動で有名なキング牧師にも、性道徳はなかったよね。僕はキング牧師もピカールも尊敬するけど。)


我、人妻目線で、考える

さて映画の中で、ピカールと不倫関係にあった人妻は、旦那と離婚はするものの、ピカールと再婚するわけではない。彼女はピカールに言う、私は結婚にむかない女なの、と。
ここで僕は膝を打った。
これこそがこの映画の核ではないか。
人妻は結婚という制度の外部に生きることを選んだのだ。

考えてみれば、軍隊も法律も制度である。
ピカールが専心したのは、法律を精確に運用して、軍隊を合理的に機能させることだった。だからピカールは人種差別を非合理的とみなし、真犯人の追求こそが国益に合致すると考えた。彼は感情よりも理性の人間だ。

一方、偏見もまたひとつの〈制度〉だと言える。
明文化されていない、感性に基づく〈制度〉である。
残念ながら、幾人もの人たちがそんな〈制度〉の内部にいる。
先天的な人種差別は、とりわけ卑劣な〈制度〉である。
長期にわたって人々を縛る学閥や学歴も、そんな〈制度〉の一種であろう。
少女漫画の世界観を成立させている中高年男性への嫌悪感も、同様である。

しかし、ピカールが愛した、経験豊富で発展家の人妻は、あらゆる制度を軽視する。
軍隊という冷たい制度も、偏見というおどろおどろしい制度も、結婚という制度も、彼女にとっては、さほど重要ではない。
彼女は自由だ。
でもピカールを愛し、支える。
そんな彼女の視点に立って、この映画を観てみると、とってもとっても面白いと思う。

畢竟、映画はエンターテイメントで、道徳の教科書ではない。


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