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傷の意味あれこれ

ナポレオン戦争の傷痕

ナポレオン戦争の時代の将官たちの経歴を調べてみると、みなさん、傷だらけだ。
例えばニコラ・チュロ(Nicolas Thurot)は勤続23年で連隊長に昇進したが、その23年のあいだに22の傷を負っている。
22の傷のうち、9つは敵の銃による傷である。1度は銃弾が頭にあたり、1度は体を突き抜けた。2度はビスカイ銃(3cm口径のマスケット銃)で撃たれた。
傷の8つはサーベルによるもので、うち3度は頭部をやられた。
また1回、銃剣で刺され、1回、大砲の弾にあたった。
よくぞ生きていたものである。当時の武器の性能が低かったおかげであろう。
 
おそらくチュロはまるで勲章のように傷をぶらさげて、宮殿を、街の通りを、歩いた。古傷が痛むであろうにもかかわらず、胸をそらし、頭をあげたにちがいない。
そんな彼の様子を見て、人々は彼を尊敬したことだろう。
だって本当は痛いはずなのに痩せ我慢をしているから。
それに彼の傷は勇敢に戦ったことを意味していたから。
 
そう。ナポレオン戦争の時代、軍人の傷は勇気、名誉、自己犠牲を意味していた。
 
つまり次のような〈常識〉があったと思われる。
戦場でコソコソ逃げる卑怯者に、傷はできない。
危険に向かって走っていく勇者こそが、傷を負う。
敵に与えた損害の量が自らの強さを表わすとしても、それは必ずしも自らの勇気を表わすことにはならない。
 
この〈常識〉の特異性を理解したければ、21世紀のスプラトゥーンを想起すればよい。
スプラトゥーンでは、自分は無傷であることが、価値である。
もしもナポレオンの将軍が現代にタイムスリップしてスプラトゥーンを見たら、ひとこと「下品だ」とつぶやくことであろう。
 
まとめよう。
ナポレオン戦争の時代、傷は強さの表象でも、弱さの表象でもなかった。
傷は勇気、名誉、自己犠牲の表象であった。無傷は卑怯の表象であった。
 
 

傷だらけの昭和

戦後の昭和においては、「傷だらけ」はむしろあたりまえであった。
鶴田浩二の名曲「傷だらけの人生」
ショーケンのTVドラマ「傷だらけの天使」
ヒデキの「傷だらけのローラ」
「傷だらけの栄光」は『あしたのジョー2』の主題歌。
もうみんな、ボロボロ。
 
当時、それほどまでに誰もが傷をウリにできたのは、傷が成長を表象していたからだろう。
みんなが成長を目指していた。そのためには傷もやむをえずと思っていた。
殴られもせずに一人前になった奴などいない、そんな〈常識〉があったのだ。
たくさん傷つけられ、それでも立ちあがって、学習をつみあげ、成長していく。強くなっていく。大人になっていく。それが価値であった。
 
だから岡ひろみの成長を見守ってきたお蝶夫人は言った。
「傷ついたと思うだけで、ひとは傷つかないものなのかもしれません。あれも耐えがたい、これも耐えがたいと思うだけで、この世に耐えられないことなどないのかもしれません」。
 
 

弱者の心の傷

さて21世紀の日本では、勇気、名誉、自己犠牲は価値ではない。
勇敢か卑劣かではなく、強いか弱いかが重視される。
 
そして流行しているのは、弱者による心の傷の自己申告だ。
そもそも心は見えない。それにひとは嘘をつける。さらに心の耐久度は個人差が大きい。傷つきやすい繊細で過敏な心と、傷つきにくいタフで鈍感な心がある。それゆえ心の傷の自己申告があったとしても、本当にどれだけ傷ついているかは自明ではない。しかしだからこそ弱者は「自分のデリケートな心が傷つけられた」と大声で自己申告する。と言うか、そう申告する者こそが弱者になれるのだ。何故なら心の傷は身体の傷とは違って、黙って痩せ我慢をしていては無視されるだけだ。
こんにち、傷は弱者の被害者性を意味する。傷は、弱者が加害者を訴えるための材料となっている。
そして弱者は同情されても、尊敬されることはない。
 
興味深いのは、スプラトゥーンと同様に、21世紀の日本の弱者が無傷を価値としている点である。
弱者は今現在の心の傷を嘆きながら、無傷だった過去を懐かしむ。
無傷だったころ、つまりゲームを開始したばかりのころ、つまり子供だったころである。
そこには成長を重視する思考はない。
傷は、大人になる過程で誰もが負うものだという、大人の証としての意味を失った。
 
 
傷はたしかに痛くてイヤだが、無傷ならばサイコーとは、必ずしも言えないんじゃあないかなあ。
無垢で無傷なままでは分からないことだってあるだろう。
僕は傷の意味、価値、可能性について考えていきたいな。
自分の傷にもっとやさしい視線を投げかけてあげたい。もっと傷をいたわってあげたい。

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