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フランスの童謡ー「玉ねぎの歌」など


日本の、子供向け〈軍事童謡〉

かつてサヨクは「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」を「戦争の美化だ」と批判した。しかし大衆はアニメを支持し続けた。結果、オタクがサヨクに勝利した。
サヨクはSFアニメの中で戦争が何を表象しているのかを理解することなく、言葉狩りのように、戦争の表象を根絶しようとした。それがサヨク敗北の原因である。

ところで童謡と戦争の垣根は、思いのほか、低い。
戦前の日本でも、「汽車ぽっぽ(原題は「兵隊さんの汽車」)」は、子どもが兵隊さんの出征を見送る歌であったし、「われは海の子」には、「海の子」は軍艦に乗る水兵になって国を守りましょうというメッセージがあった。

いずれにせよ20世紀日本の〈軍事童謡〉の特徴は、わざわざ大人が子ども向けに作ったところにある。

世界に冠たるナポレオンの行進曲

これに比し、19世紀フランスの〈軍事童謡〉は、そもそも作られた当初において、大人向けの歌であった。
ところがその後、子どもがそれを自分のものにしてしまった。何故なら、歌が子どもっぽくて、楽しかったからだ。

例えばナポレオン軍の行進曲、« Chant de l’Oignon »(玉ねぎの歌)。
たいした内容ではない。でもおもしろい。歌詞を要約すればー

「油で揚げたタマネギが好きだ。うまいから好きだ。
進め、戦友よ、進め(繰り返し)
油で揚げたタマネギひとつで、我々は獅子になれる。
だけどオーストリア人にやるタマネギはない。犬にやるタマネギはない。」


泣く子も黙る北アフリカ方面軍の行進曲

あるいは北アフリカ方面軍、すなわちアルジェリアを植民地化した猛者たちが歌った行進曲、« La Casquette du père Bugeaud »(ビュジョーおやじの帽子)。
歌詞を要約すればー

「ひさし付き帽子(casquette)を見たかい?
ビュジョーおやじの帽子だよ。
見たことがないなら、彼の頭の上にあるよ。
こんなやつはふたつとない。
ラクダの毛でできたやつさ。」


この歌には次のようなエピソードがある。実話だ。
ある夜、敵の急襲があった。敵の猛攻は激しく、驚いた味方の兵士は、起き上がるのをためらった。アルジェリア総督ビュジョー元帥がいのいちばんに現場に到着した。まもなく味方は敵を押し返した。戦闘が終わると、ビュジョーは、みんなが自分を見て微笑んでいるのに気づいた。そして彼は自分が綿製のナイトキャップを被っているのに気づいた。すぐに彼は自分のひさし付き帽子を持ってくるように命じた。翌朝から、行進のとき、兵士らは「ビュジョーおやじの帽子」を歌うようになった。ビュジョー自身、それを公認し、行進のときはラッパ兵に「帽子の歌を吹け」と命じた。

楽しい曲だし覚えやすい歌詞だし、子どもたちが自分のものにするのに時間はかからなかったと思われる。

ビュジョーの「人格」

上のエピソードからは、ビュジョーが兵士たちから「おやじ」と呼ばれ、親しまれていたことがよく分かる。

ナポレオン帝政期、ビュジョーは軍人になった。士官学校を卒業していない、所謂「叩き上げ」だ。実際、帝政期の将校の80%が士官学校を出ていなかった。
けれども七月王政期、彼がアルジェリアで指揮官になったとき、彼よりもざっと20歳は若い大半の将校は「士官学校出」であった。そんな将校たちの批評眼を、ビュジョーは感じたに違いない。
農村の地主出身のビュジョーは、洗練された趣味は持ちあわせていなかったが、兵士の面倒をよくみた。例えば毎日、兵士のトイレを視察して、兵士の健康状態をおもんばかった。これに関しては当時の軍医が賞賛している。
またビュジョーは、議会でも、兵士の父親に共感を示す答弁をしていた。
だから兵士たちからも、頼もしいと、好かれていたのだろう。

もちろんそんなビュジョーがアルジェリアの村々を焼き討ちにして、先住民を虐殺したのだけれども…。
これだから人間という生き物は、二面性があって、興味深い。

ちなみに「ビュジョーおやじの帽子」は映画『モロッコ』(1930年)の冒頭、ゲーリー・クーパーが所属する外人部隊が、行進しながら歌っている。

子どもの歌と自衛隊

いずれにせよ19世紀のフランスでは、子どもが大人の歌を自らのものにしたわけだが、こんにちの日本では、大人が子どもの歌を自らのものにしている。

いまどきの自衛隊が演奏するのは、「月月火水木金金」や「同期の桜」というよりはむしろ、
海自は「宇宙戦艦ヤマト」、空自は「超時空要塞マクロス」、陸自は「ガールズ&パンツアー」だ。まるでアニソン・ヒットパレード。

ま、いいか。
装甲騎兵ボトムズ」の「レッドショルダーマーチ」じゃあないし。

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