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『装甲騎兵ボトムズ』、もしくは裏切られた愛

何かに執着するひとは美しくない。
だから、自分の人生へのこだわりから他人の人生を踏み潰すひとは醜い。
反対に、自己犠牲ができるひとは美しい。
けれど、もしも犠牲にできるだけの自己を持っていなければ、どうすればよいのだろう。

キリコ・キュービィー

『装甲騎兵ボトムズ』は1980年代前半にテレビ放映された子供向けSFアニメである。
ちなみに私は『ボトムズ』のファンではない。
私は何かのファンになれるほど謙虚な男ではない。

ただ『ボトムズ』の主人公の人物設定には、感想文を書くに値する普遍性があると思う。よくぞこんな主人公を子供向けのテレビ番組に〈あてる〉ことができたものだと感心する。

『ボトムズ』の主人公、ギルガメス軍メルキア方面軍の兵士キリコ・キュービィーは、銀河を二分する大戦争のさなか、ある特殊作戦に参加した。それは味方が味方を強襲するという奇妙なものだった。
作戦中、キリコは上官から裏切られ、殺されかける。
九死に一生を得るが、わけがわからないまま、軍に逮捕され、拷問を受ける。キリコは軍を脱走する。
しかしまさにその日、戦争は終結する。
物語はここから始まる。

戦争が終わったということは、もはや兵士は戦争の道具でなくてよい、自分自身に戻ってよい、自由を謳歌してよいということである。
しかしキリコには戻るべき自分自身など無かった。ものごころついたときには召集され、覚えたことはといえば人の殺し方だけ。かつて大歓声で兵士らを戦場に送り出した祖国も、もはや無い。
流れついた悪徳と頽廃の街ウドで、キリコが心安らかに眠れるところ、「懐かしい匂いのするところ」、「慣れ親しんだぬくもりが蘇るところ」、それは戦闘兵器のコクピットだ。
彼の不幸は生き残ったことなのだ。彼は平和な時代を上手に享受できない。
つまりキリコは上官によってだけではなく、祖国によってそして時代によって裏切られたのだと言える。
だからキリコは完全なまでに無表情で、極めて無口である。
ほとんど他人と口をきかない。裏切られつづけた結果、誰も信じられなくなったのだ。

最も致命的なのは時の流れを信じられなくなったことだろう。
この先、未来、良いことが待っているなんて思えない。
おのずと「砕かれた夢」「盗まれた過去」に目がゆく。

まるで定年退職後のモーレツサラリーマンではないか。
あるいは、昔、貰ったトロフィーを眺めて暮らす元スポーツ選手とか。
あるいは、カレシの浮気を知ってしまった娘さんとか。
まだ愛しているのだから、責めることなどできはしない。でも出会った頃の笑顔、ふたりだけの約束、そのひとの煙草のけむりのかたちまでもが、つぎからつぎへと思い出されてきて。ぜんぶぜんぶ大好きだったのに。
生きがいの喪失。
過去に執着するのが愚かだということくらい知っている。でも涙をかくして笑うふりをするのも惨めだ。

裏切られたひとの行く先

実を言えば、私もまた、子供のころからずっと裏切られつづけてきた。
友に夢に愛に裏切られ、絶望と不安と孤独を糧に大きくなった。

それゆえ裏切られたひとたちの悲哀はよくわかる。
裏切られると、「心がかわく」、「心がひえる」。

『ボトムズ』のキリコには「運命の女」が現れるが、それは子供向けの作り話だからで、現実にはどれだけ待っても、どこを探しても、誰も何も現れない。

「一粒の麦は地に落ちて死ねば、豊かな実を結ぶ」と聖書は言う。
しかし裏切られて、魂の抜け殻になってしまったひとはどうすればよいのだろう。ただの枯葉だ。たとえ地に落ちても、実を結ぶことなどない。
百歩ゆずって、たとえなんらかの種であったとしても、種が落ちるのにふさわしい肥沃な土地はどこにある。道の端に落ちても、石のうえに落ちても、茨のなかに落ちても、種は育たない。

何もする気がしない。
無気力無感動無関心。
キリコと同じだよね。
「戦いはあきた」。「そっとしておいてくれ」。

そっとしておくよ。もうじゅうぶんだよ。じゅうぶん戦った。
古傷だらけの廃兵たち、老兵たち。

けれども未来に怯える必要はない。
最後には、天国に行くのだ。それは決まっている。
だって、いまのここが地獄なのだから。
天国以外、もはや行くところはない。


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