トランプ元大統領の勝利 -ド・ヴィルパンの解説と日本の可能性
若い友人の多くが、ハルマゲドンが近いうちに訪れるだろうと言っている。
ド・ヴィルパンの解説
かつてフランスの外相と首相を務めたドミニク・ド・ヴィルパン。
彼がトランプの勝利について11月7日のニュース番組で解説していた。面白いと思った話をメモしておく。
ド・ヴィルパンによれば、トランプはアメリカのポピュリズムを体現している。
彼は強い恨みの感情で動いている。
彼の激しい憎悪の対象のひとつが、グローバル化である。
グローバル化のせいで、アメリカは堕落したと、彼は考えている。
彼は現状を否定する。
現体制のすべてを根底から否定している。
いま在る現実を受け入れられない。
現在のあらゆる規範から、自分が、アメリカが解放されることを望んでいる。
そしてその先に、かつての「アメリカ帝国」の再建があると考えている。
つまり復古主義なのだ。つまり極右なのだ。
彼の選挙スローガンMake America Great Again(アメリカを再び偉大にする)には、そんな彼の願いが込められている。「強いアメリカを取り戻せ」というわけだ。
トランプは、「アメリカ帝国」は世界の中心だと信じている。
その正統性の根拠はアメリカのパワーへの信仰だ。
パワーがあるのだから、軍事力を用いる必要はないと考えている。
他の諸国は、アメリカに年貢を納めるべきだと信じて疑わない。
それゆえ、もしもアメリカが何かで(例えば自動車輸出入競争で)敗北したら、強いアメリカが敗北するなどありえないのだから、相手がズルをしたと考える。
またトランプは一国対一国の枠組みでしか、ものを考えることができない。
他の諸国と足並みを合わせるとか、何らかの国際機関のなかで相応の義務を果たしながら相応の権利を享受するという発想がない。それに民主主義のためとか人権のためとか、理念を基盤に物事を考えない。
彼にとっては、すべてが一対一の取引でしかないのだ。
小さな日本の、小さなプラグマティズム
他方、僕の見るところ、日本では国民民主党が、たとえ小さくても具体的に国民の生活をかえていこうと唱えている。そして政権なんて望まない(=権力なんていらない)と言っている。
理念の違いばかり叫んで、権力に執着して、何もかえることができなかった古い政治はゴミ箱に捨ててしまえ。地に足がついた政策論議から始めて、現実を少しずつかえていこう-。それが国民民主党の主張だ。
たしかに日本人はイデオロギー論争が苦手だ。
でも具体的で小さい工夫を積み上げていくことは得意だ。
国民民主党は、そんな日本人にふさわしい〈変革〉を起こそうと頑張る。
国民民主党とトランプとの相似点は、理念への過小評価。
トランプとの相違点は、権力への執着の欠如。議論の創造性の肯定。現状の体制内での変革を望んでいること。
国民民主党が日本の若者にウケるのも分かる。
日本の若者は、靖国とか憲法9条とか地球温暖化とか、大きな問題には無関心だ。それよりもなによりも自分自身の小さな「手取り」が大事である。
日本の若者は、「大きな主語」を使う人間を馬鹿にする。
盆栽みたいに、スマホのゲームみたいに、小さな世界が好きなのだ。
たしかに若者だけに限らず、日本人のメンタリティは小さい。小さいことにエネルギーを集中する。ペットボトルのフタだけわざわざ別に捨てるとか。使っていない部屋の電気は消すとか。マスクをつけるとか。手洗いを必ずするとか。
隣を見ながらチマチマと。せせこましい。
でもそれがこのちっぽけな島国の住民の、身の丈には合っていそうだ。
外交だって、世界戦略なんていらない。知らない。関係ない。
ウクライナの新しい国境線はどこに引きましょうとか、難しいことはわからない。
でも、それでいいのかも。
でも、それでいいから、キーウで寒さに震えるひとたちのために、自衛隊と発電機をおくってあげようよ。そしてカップラーメンをキーウの子どもたちと一緒に食べよう。
それから使い捨てカイロを配ろう。使い捨てカイロなんて、何の抜本的解決にもならない、悲しいほどまでに日本的解決かもしれないけど、それでも無いよりはマシじゃないか。
それはそれで、核兵器廃絶ほど華やかではないが、ひとつの国際貢献かもしれない。べつにノーベル平和賞、いらないしさ。