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東京大学FoundXの主張する成功するスタートアップの特徴とゲームフリークの比較


概要

スタートアップとは、革新的な製品・サービスの提供により、急速な成長を遂げようとする意志を持った新興企業のことである。そのビジネスにはしばしば高度な技術が要求され、また最先端の学術知識の社会実装・貢献の場となることから、大学が所属学生や卒業生に対してスタートアップ起業支援を行っていることも少なくない。例えば東京大学では工学部共通科目としてアントレプレナーシップが開講され、今や学生であっても起業に関する基礎知識を学習することは普通のこととなっている。

FoundXはそんな数ある東大の起業支援組織の1つで、ウェブサイトに大量の学習資料を公開しており、それらを熟読すればスタートアップについて十分な知識が得られるようになっている。ところが、日本で起業を志す者が参考にするには使い難い点が2つある。1点目には資料が膨大であり読み切るのが難しく、加えて読み終わった後に必要な知識をもう一度探すのが困難であること。2点目には海外記事(Sam AltmanやPaul Grahamが代表を務めるY Combinator)の翻訳が多く、そこではアメリカの様々な企業が教訓毎に最も適したものが具体例として挙げられていること。アメリカで育ったアメリカの企業の様子より日本で育った日本の企業の様子の方が日本の起業家にとって役立つであろうし、多数の企業について浅く知るよりも、全項目に対して1つの企業がそれぞれどの程度当て嵌まっているか知りたいということもあるであろう。

そこで、本稿では日本の成功したスタートアップから1つを選び、その企業についてFoundXの主張する成功するスタートアップの特徴をどの程度満たしているか、1つの記事で網羅的に記述する。対象は世界的コンテンツであるポケモンの開発元で、田尻智が創業したゲームフリークとする。ゲームフリークに関する情報は畠山けんじ、久保雅一、『ポケモンストーリー』、日経BP社、2000及び宮昌太朗、田尻智、『田尻智 ポケモンを創った男』、メディアファクトリー、2009、そして『小学館版 学習まんがスペシャル ポケモンをつくった男 田尻智』、2018の計3冊から得るものとする。この比較の結果、ゲームフリークは成功するスタートアップの特徴をほぼ満たしているということが判明した。

アイデア

アイデアは明快かつすぐ誰かを興奮させる

アイデアは明快でなければならないとSam Altmanは主張する。

概して、アイデアを伝えるためには、明快でなくてはなりません。複雑なアイデアは混乱した思考や問題をでっちあげているサインです。もしアイデアを初めて聞いたとき、少なくとも何人かがそれほど興奮しないときは悪いサインでしょう。

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

これに対し、ゲームフリークは明確な回答を持っている。交換がアイデアであり、そのアイデアは川口孝志と石原恒和を魅了した。

田尻君がやってきたとき、ぼくもちょうど東京事務所にいたので、話を聞くことになったんです。ゲームボーイの通信ケーブルは、対戦のために作られたケーブルだったんですけど、田尻君はそれを交換ケーブルに使いませんかと言ってきた。彼はそのときイメージのスケッチを持ってきていたんですが、そこにはゲームボーイの絵が描いてあって、ケーブルの中を通って自分が持っているアイテムが、トトトトッて、相手のゲームボーイに移っていくというイメージが伝わってきたんです。こういう風に、ケーブルを通っていろんなものが行ったり来たりできたら楽しいですよね、とね。そのときはカプセルモンスターと彼は呼んでいて、ガチャガチャで売ってるカプセルの中に人形が入っているあれ、あれがまさに、彼が持っていたイメージで、それがケーブルを通って相手のゲームボーイにガチャンと落ちるっていうね。それがすごく面白くてね。プレゼンを聞いて石原さんと面白いねって言い合ったんです。

『ポケモン・ストーリー』p75~76

「スタートアップのアイデア」を考えない

良いスタートアップのアイデアを得るには、最初から「スタートアップのアイデア」を考え出そうとするのは逆効果である。そもそも、最初は企業にするつもりすらなく、単にやりたかったからやってみた、そういうところから始まることが多い。

良いスタートアップのアイディアを得るには、一歩下がってみることだ。 スタートアップのアイディアについて必死に考えるんじゃなくて、 頑張らないでもスタートアップのアイディアが浮かんでくるように 心の持ち方を変えるんだ。最初はそれがスタートアップのアイディアになるなんて 気づかないくらい自然に浮かんでくるようにね。
これは単に可能性の話じゃない。Appleも、Yahooも、Googleも、Facebookも そうやって始まったんだ。このどれも、最初から企業にするつもりでさえなかった。 単なるサイドプロジェクトだったんだ。最良のスタートアップは、 サイドプロジェクトとして始まらなくてはならないとさえ言えるかもしれない。 素晴らしいアイディアは、あまりに普通考えることからかけ離れているから、 起業のためのアイディアを探していると真っ先に却下してしまうだろう。

https://practical-scheme.net/trans/before-j.html

ゲームフリークはこれに完全に当て嵌まっていて、当初はゲームを作ろうという予定すらなく、田尻が単に同名の同人誌を発行しているだけであった。そこから共鳴した仲間が集まり、ゲーム制作企業としてのゲームフリークへと繋がっていく。

田尻 そうですね。ゲーム好きの友達はいたけど、僕ほど好きだという友達はあまりいなかった。もうちょっとうまく遊べば面白さが倍増する方法があるのに、そういう情報を交換するのが、知り合いに会って、興味を持っていれば話すっていう、そういう方法しかないのが一番……。
――フラストレーションだった。
田尻 欲求不満というか、もったいないっていう。たとえばアーケード版の『ドンキーコング』だと、1面でハシゴを登って、ちょっと左の端から飛び下りるとクリアになるって技があったんだよね。で、その技は、今なら知っている人は知っている技なんだけど、当時は本当に『ドンキーコング』が好きなヤツに言わないと、「おお、すげえ」っていう反応が返ってこないわけだよ。
――ああ、通用しない。
田尻 うん。で、これは一体どうしたらいいんだろうと(笑)。
――多くの人に伝えるにはどうしたらよいか、と。
田尻 そうそう。麻雀だって『ジャンピュータ』を遊ぶために勉強してルールを覚えて、やるようになったわけだし(笑)。フリテンのときにも、チーの後だと上がれるバグがあるぞ、とかね(笑)。
――研究して。
田尻 うん。今なら本当に小さなミニ情報みたいなもんなんだけど、知っているのと知っていないのでは、ゲームのやり甲斐が全然違う。そういう価値があると当時は思ってて。文章を書くのも好きだけど、ゲームを作っているテクノロジーはコンピュータだし、自分の興味とか姿勢は理系に向かっているな、と思ったわけ。それで、国立東京高専――今だと「ロボコン」とかで知られてるとこだけど、もともとはエンジニアを育てることを目的に作られた学校で、ここならわりと早くから理系の勉強ができる。そういうわけで、そこの電気工学科に入るんだな。しかも、その学校自体、すごく自由な校風だったんだよね。別に制服を着ていかなくてもいいし、決められた日数だけ授業に出て、成績をちゃんと出して、卒業研究すればいい、みたいな。そういうところにいたせいで、余計、ゲームの情報のやり取りをどうするのかってことについて、考えるヒマができてしまった(笑)。
――妄想を炸裂させる時間が(笑)。
田尻 それで、80年代の初め、ポスト『インベーダー』を狙って、一番積極的に新しいゲームを出していたのはタイトーなんだよね。当たったか当たらないかは別にして、種類は出していたんだよ。で、そのリストを作って、内容をキャプションにして、自分がやった面白さをABCDEでランクをつけて。
――5段階評価をして(笑)。
田尻 そう(笑)。そうやって実際に資料を作り始めるわけ。全部手書きなんだけど。あとは、さっき言ったようなゲーム好きなら面白がりそうなゲーム情報とかテクニックを書いて。当時は雑誌のフォーマットをどうやれば具体的に作れるのか全然わかんなかったから、手書きでここまで書いたんだし、あとは表紙をつけて売るかっていう(笑)。
――アバウトですねー(笑)。それが「ゲームフリーク」の創刊号。
田尻 それで八王子にある10円コピーの安いところに行って多量にコピーして。それで日曜の朝には二つ折りにして、表紙までつけたら、ホッチキスで止めて、一冊出来上がりっていう。40冊から50冊くらいできたら、新宿にフリースペースっていう同人誌も扱ってる書店があったんですよ。そこに行って、「これを置いてくれ」と。

『田尻智 ポケモンを創った男』p32~35

自分自身がターゲットユーザー

各人が保有する資産や可処分時間は有限である為、あったら嬉しいが無くても良い、その程度の製品・サービスは利用されない。その為、強く欲している人が明らかに存在するものを作るべきであり、従ってターゲットユーザーとして望ましいのは自分、もしくは自分がよく理解している人々である。

自分自身が抱えている問題に取り組むことが、なぜそんなに大事なのか? 何より、問題が本当に存在していることが保証されているからだ。存在する問題にだけ取り組みべきだと言うと当たり前に聞こえる。しかし、スタートアップが犯す失敗として最もよくあるのが、誰のものでもない問題を解決しようとすることだ。

https://kakinokimasa.jp/n/nbe59e38f2d37

一般的に、自分自身が必要とするものを作り出すのがベストです。この場合、顧客の声を聞くよりも、はるかに深く理解して最初のプロダクトを作ることができます。自分には必要でなく、他者が必要としているものを作る場合は、大きなデメリットがあると理解したうえで、顧客のあらゆる声に耳を傾けてください。可能であれば顧客のオフィス内で仕事をするようにし、不可能であれば1日に何度も顧客と話す機会を作ってください。

https://review.foundx.jp/entry/idea_product_team_execution_why_to_start_a_startup

解くべき最良の問題は、自分が個人的に抱えている問題であると思える。Appleはスティーブ・ウォズニアックがコンピュータをほしかったから生まれたのであり、Googleはラリーとサーゲイがオンラインで情報を見つけられなかったから生まれ、HotmailはSabeer Bhatia と ジャック・スミスが仕事でメールを交換できなかったため生まれた。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/startupmistakes.htm

ポケモンの開発より遥かに前の時期であるが、重度のゲーマーである田尻は既存のゲームに不満を持っていて、自分でどうにかして解決したいと思っていた。自分自身がターゲットユーザーである。

80年代当時、ゲーム界は大きな転換期にさしかかっていました。急速に進化し始めたコンピュータ・テクノロジーがゲーム機に続々と取り入れられていったのです。それまで平面の線画でしかなかったパックマンが丸みを帯びた立体として描かれたり、より複雑な動きをするインベーダーゲームが登場したりしました。
しかし、田尻はそんなゲームを見るたびに、がっかりしてしまいました。ビジュアルがいくらリアルで複雑なものになろうと、ゲームそのものは「パックマン」であり「インベーダーゲーム」であることに変わりはなかったからです。
そうじゃない、そうじゃないんだ! 田尻は思いました。
それじゃあ、コンピュータというハードのテクノロジーに頼っているだけじゃないか! ゲームのおもしろさは、ビジュアルの立体化や複雑さにあるんじゃない。アイデアそのものにあるんだ。ゲームの仕組みにあるんだ。そのことにどうしてみんな気づかないんだろう――。

『ポケモン・ストーリー』p33~34

規模が拡大し、模倣が難しいビジネス

独占という表現だと分かり難いが、規模が拡大し、模倣も難しいビジネスを確立するのは当然のことである。

私たちはまた、その会社がどのようにしていずれ市場を独占していくのかを問いかけます。このためには様々な条件がありますが、私たちは Peter Thiel のものを使います。当然私たちは競合企業に対して非倫理的な方策をとることを求めているわけではありません。代わりに私たちは、規模がどんどん拡大していくような、さらには模倣することが難しいようなビジネスを求めています。

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

これに関してはビジネスモデルという観点ではゲームフリークは回答を持っていない。ゲームを売って儲けるというのは以前から経済的成功を収める手段として知られており、模倣に関しても防ぐという意識自体が薄い。ゲーム以外への拡大は小学館の貢献が大きく、ゲームフリークが当初からその野望を持っていた訳ではない。

ブッシュネルの思惑通り、業務用ビデオゲーム機に組み込んだアタリの『ポン』は大ヒットしました。ブッシュネルは続いて、1人でできる『ポン』を考えていたとき、日本でブロック崩しとして知られているゲームを思いつきます。ブッシュネルはこれに『ブレイクアウト』と名付けて、アタリの第2作目として発売しました。『ブレイクアウト』は『ポン』を上回る成功を収めました。
ブッシュネルは、シリコンバレーで最初に巨万の富を手にした若者になりました。自家用ジェット機を2機所有し、気分次第で世界中どこにでも自ら操縦して出かけ、着陸した土地が気に入るとそこに邸宅を買う――。それが最盛期のブッシュネルの生活でした。飛行機の操縦桿を握っていないときはヨットの舵りんを握っていたとも言われています。アップルの設立者スティーブ・ジョブズもマイクロソフトのビル・ゲイツもまだ世に出ていない時代です。というより、彼らの目標こそが、ブッシュネルでありアタリでした。

『ポケモン・ストーリー』p56~57

でも、王道を実現するのは一番難しい。だから相当堂々巡りをした。
だって、つくっている間に、ドラクエの続編(ドラクエ5:スーパーファミコン)はできあがってくるし、その中にモンスターじいさんがいて今度はモンスターを使えるらしいよ、とか情報が入ってくる。そうなると、せっかくこっちのゲームができても、これ、真似じゃないの、と言われるんじゃないかという話にもなる。しまいには、じゃあ、これ止めるかっていう話が出たこともあった。結局は、志が違うんだからいいじゃないかということになったんですけどね。ポケモンの後に出たゲームボーイのドラクエ・モンスターズだって、志から言ったら、うちとは全然違うしね。ぼくらが持っているものとは違う。そう思う。

『ポケモン・ストーリー』p514

ゲームフリークが模倣対策に熱心ではないのは、ゲームという市場の性質に由来すると思われる。多くの製品・サービスは1人が1つしか利用しないものの、ゲームソフトは1人が複数購入して遊ぶものである為、模倣の出現が自社製品の売上減少に直結しないからである。

但し、ゲーム以外でもこれに近い話はあって、特にスタートアップの初期においては、競合について考えることの意義は薄いとされている。

競合に関する簡潔なアドバイス: 競合はスタートアップではありもしない幽霊のような話です。初めての創業者たちは、競合が99%のスタートアップが失敗に終わる理由だと考えます。しかし99%のスタートアップは、他殺ではなく、自ら死を選んでいます。その代わりに、会社内の問題について悩んでください。もしあなたが失敗した場合、その理由は恐らく、素晴らしい製品もしくは素晴らしい会社を作れなかったからでしょう。
99%の場合、競合相手については無視するべきです。彼らが大量の資金を調達したり、メディアで評判になっていたりするとき、特に無視をするよう心がけてください。競合相手については、実際の出荷された製品であなたを打ちのめさない限り、心配しないでください。プレスリリースはコードを書くよりも簡単で、それは素晴らしい製品を作るよりはるかに簡単です。Henry Fordの言葉を引用すると、「恐るるに足る競合相手とは、あなたのことは全く気にも留めず、常にひたすら自らのビジネスを改善していく者である。」

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

市場の規模と成長性

市場の規模が大きく成長性があればその波に乗れるので、それはそれで出資者への説明はし易くなるものの、小さな市場の大部分を占有し、その後製品と共に市場を大きくしていく方がより望ましい。

最後に市場についてです。現在どの程度の規模なのか、その成長速度、そして何故10年間で大規模になるのかどうか、問いかけます。どうしてその市場が急速に成長しているのか、そしてなぜスタートアップとして目指すに値する市場かについて理解しようとします。私たちは、大部分の人々がまだ気づいていない大規模なテクノロジーの変遷が始まる瞬間を好みます — 大企業はそれらに取り組むのがうまくありません。そして反直観的ですが、最善の答えは小さな市場の大きな部分の獲得を目指すことです。

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

意図したことではないが、ゲームフリークはこれに当て嵌まっている。ポケモンの開発が遅れてその間にゲームボーイは時代遅れになったものの、ポケモンの大流行によりゲームボーイの売り上げが復活し、後継機であるゲームボーイカラー、アドバンス等の開発が決定した。

久保がポケモンに初めて出会った95年11月は、任天堂の問屋グループ「初心会」を中心に毎年開かれる任天堂関連商品イベント「任天堂スペースワールド」の開催月でした。久保も誘われて、週末の一般公開に先立つ11月24日金曜日、幕張メッセの会場に行ってみました。
「任天堂ブースは、会場全体がもうNINTENDO64が当然メインでした。会場左手奥にゲームボーイも展示されてましたが、いかにも末席といった端っこにあって、人だかりもなかった。ほとんど忘れ去られている。地味だなあって思いましたね」
このとき、石原も久保と一緒にゲームボーイのコーナーにいました。
「まだ通信バグが残っていましたが、展示はしたんです。当時としては初めての大型液晶モニターをポケモンの展示に使ったんですけどね。10台くらいゲームボーイを置いて、対戦できるようにしてあったんですけど、本当に地味でしたね。当時は、ゲームボーイのソフトの展示があること自体珍しいくらいでした。誰も見向きもしなかったんですよ。やはり、流通的にも営業的にも、そんなにでかいタマじゃなかったんです。ゲームとしては評価は高いし、それなりにいけるんじゃないかというところはあるんだけれども、まあ、ゲームボーイのソフトが50万本、100万本売れる時代じゃないよっていうことだったんです。マリオのピクロスは100万本売れましたが、それは気軽に遊べるパズルゲームでした。RPGのポケモンは、そんなわけにはいかんだろう、あれば別物という評価だったのです」(石原)

『ポケモン・ストーリー』p192~193

田尻 続編とはちょっと違うんだけど、ある言い方をすれば続編だよね。
――『ルビー』『サファイア』は、もうちょっと違うんですか?
田尻 そうだね。『ポケモン』の成功によってゲームボーイの後継ハードの規格が立ち上がって、その両方のプレゼンという意味合いも強い。ゲームボーイカラーとかアドバンスとか、明らかに『ポケモン』が出てから携帯ゲームの市場にボリュームがあるというふうに風向きが変わってきた。それに合わせて作るということも必要になってきたんだよね。だから、より洗練された『ポケモン』っていう部分と、ハードウェアからの要求されたアーキテクチャー、たとえば2対2のバトルシステムとかなんだけど、それによって『ポケモン』のゲームシステムがより深みを増すことができたと思う。その両方だな。

『田尻智 ポケモンを創った男』p134~135

但し、ゲームボーイソフトという市場にまだ可能性を感じていた人もいる。それがコロコロコミック及びその副編集長の久保である。ゲームフリークが把握していなかった市場の規模や成長性に関する理解をそれらが補った形になる。

ポケモン発売当時も、月刊『コロコロコミック』が120万部、別冊もその半分の60万部という部数を誇っていました。その『コロコロコミック』がポケモンを取り上げることになったのは、まさにポケモンがゲームボーイ用ソフトだったからでした。『コロコロコミック』の編集手法は、当時も今も徹底した子どもたちへのマーケティングにあります。ですから、子どもたちの小遣いの額が月にいくらで、お年玉をどのくらいもらっているか、といったアンケートを毎号のようにとって集計していました。それによれば、1996年当時、小学生のお年玉の平均は約2万6200円でした。
『コロコロコミック』編集部では、そのお年玉で子どもたちは何を買うだろうかと考えました。ここではポケモンに関係のあるゲーム関連の消費傾向についてだけお話ししますが、2万6200円という額では、定価3万9800円のソニープレイステーションは、そもそも買えません。定価2万2400円だった任天堂N64なら本体は買うことができますが、5800円、6800円という値段のN64用ソフトは1本も買えません。セガ・サターンにしても同様です。
しかし、値下げされて当時8000円だったゲームボーイなら、ソフトも2000円台から3000円台までと安かったので、本体とゲームソフトを数本買った上に、友達と映画を見に行き、その残りを貯金に回すこともできました。
もちろん、親や祖父母に高額なゲーム機を買ってもらうケースもあるでしょうが、多くの子供たちは、自分のお年玉は予算を組んで計画的に使っているというのが、『コロコロコミック』のアンケートから浮かび上がってくる小学生像でした。
また、アンケートの集計から、子どもたちのゲームボーイ保有率が約65%、スーパーファミコンにいたっては約95%という実態もわかっていました。世の中がどれほど新鋭ゲーム機に浮かれても、現実には大半の子どもがゲームボーイとスーパーファミコンで遊んでいたのです。それを知っているのが、『コロコロコミック』の強さでした。
『コロコロコミック』は自身を持ってゲームボーイとスーパーファミコンを子どもたちの基本ゲーム機と位置づけ、次世代ゲーム機をメインにした紙面作りをする他誌とは明確に一線を画していました。「世の中がどんなに騒いでいても、俺たちは違うぞ」(久保)という編集部だったのです。

『ポケモン・ストーリー』p177~179

素晴らしいチーム

創業者の性格は良い

起業家というとスティーブ・ジョブズのようなエキセントリックな、ややもすると人格破綻者寸前というのを典型例として想像しがちだが、そのような起業家は少ない。というのも、話し辛い創業者は他のメンバーと心を通わせることが出来ないからである。

なかなか話しづらい創業者はほぼいかなる場合でも悪い創業者であると言えます。コミュニケーションは創業者にとって非常に重要なスキルです — 実際に私は、これが最も重要な、しかしなかなか語られることのない、創業者としてのスキルだと思います。

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

田尻は創業以前から多くの人から慕われており、この条件を満たしている。

「田尻君のアダ名は社長でした。まだ会社もできてない頃、同人誌をやっていた頃から、彼は社長と呼ばれてたんですね。なぜそう呼ばれていたかっていうと、非常に面倒見がよかったんですよ。そのころ彼は、雑誌の『ログイン』誌とかいろんな場所で原稿を書いていたわけですが、ゲーム好きや漫画好きなどマニアックな連中が彼の周りに集まっていたわけです。そういう連中が、田尻さんのところに行けばメシ食わせてくれるとか、あいつのところに行けば仕事が回ってくるかもしれないっていうふうに、頼りにされていたんですね。そんなわけで、自然に人が彼のところに集まってくるようになっていたんです」
田尻のあだ名が「社長」だったというのは、ゲームクリエーターとして田尻を見ていた者にとっては、意外なエピソードです。それは、初めて田尻と知り合ったときの石原にしても同じでした。
「本当に意外ですよねえ。でも田尻君はすごく面倒見がいいんです。感受性も豊かだし。そしてゲーム好き。早くから原稿を書いていたせいか、人当たりもいいし、こだわりも深いしね。彼が書く原稿は、本当に深いこだわりが感じられましたね」

『ポケモン・ストーリー』p35~36

良い共同創業者は本当に欲しい

創業者が1人であるのは何が問題なのだろう? まず何より、それが不信任投票だということがある。それはおそらく、その創業者が一緒に会社を始めてくれる友達を誰も見つけられなかったということを意味する。これはすごく憂慮すべきことであり、彼の友達は彼のことを一番よく知っている人たちだからだ。
そしてたとえ創業者の友達がみんな間違っていて、その会社に十分見込みがあるという場合でも、彼は依然不利な状況に置かれているのだ。会社を立ち上げるというのは、1人の人間がやるにはあまりにも難しい。たとえあなたがすべての仕事を自分1人でやれるのだとしても、あなたには一緒にブレーンストーミングをし、ばかな決断をしないように説得し、難しいときに元気づけてくれる同僚が必要なのだ。
最後に挙げたのがたぶん最も重要だ。スタートアップにとっての最悪の時というのは本当に最悪なものだ。それに1人で耐えられる人というのはあまりいない。創業者が複数いるときには、団結心が彼らを1つにまとめ、保存法則すら打ち破る。それぞれがみんな「友達をがっかりさせるわけにはいかない」と思うのだ。これは人間の本性の中でも最も強い力の1つであり、それが創業者1人という場合には失われてしまうのだ。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/startupmistakes.htm

共同創業者がいなければならないか、そしてどうやって共同創業者を探すのか、という疑問ですね。これは本当に厳しいものです。私は共同創業者がとても大切だというかなり強い意見を持っています。繰り返しますが、その理由はスタートアップが本当に難しく、共同創業者はあなたが頼る相棒のようなものだからです。共同創業者はあなたと一緒に戦場の前線に行ってくれる人、とも言えます。
しかし、あなたが仕事をしたいと明確に思うような人がいなければ、どうやって共同創業者を探すべきなのかについて私から良いアドバイスを行うことはできません。私の場合、両方の会社で、誰かと一緒に始めましたし、一緒に長い時間議論をしました。共同創業者を見つけるための創業者デートのようなものは、私にはそれほど意味がありませんでした。私は、会社を設立することは、結婚よりも重要な関係のようなものだと考えています。なぜなら金銭的な会話などをより頻繁に行うためです。
共同創業者間の分裂は本当に悪いことです。長いこと知っている人と一緒に仕事をすることを強くお勧めします。できるだけ多くの詳細を話し合って、同じ立場にいることを確認してください。そうした会話は後にすればするほど難しくなります。

https://review.foundx.jp/entry/how_and_why_to_start_a_startup

ダスティンが質問に答えることで言及したように、共同創業者は本当に必要です。しかし、悪い共同創業者を持つことは、共同創業者がいないことよりも悪くなりがちです。多くの人が共同設立者を必要だと言うので、多くの人がランダムに人を選んできて共同創業者にするようなことをします。これは本当に悪いアイデアです。
実際に、Y Combinatorでこのデータを少し分析しました。そしてその結果を見てみると、ランダムに選ばれた共同創業者は100パーセント失敗しています。100パーセントです。

https://review.foundx.jp/entry/how_and_why_to_start_a_startup

形式的にはゲームフリークには共同創業者はいないが、実質的には杉森が該当する。田尻と長く付き合い、お互いに支え合っている。

――じゃあ「ゲームフリーク」のスタッフというよりは、知り合いのゲーム少年のひとり?
田尻 というか、創刊号を出したら「字はボールペンとか鉛筆で書かないほうがいいですよ」とか「もう少し絵があったほうがいい」って書いてきたんだよ。それは確かにそうだと思って、「じゃあ、ゲームフリークを一緒にやらないか」って僕が誘ったんだよね。で、そのあとはゲームについて、絵で語るときには杉森が必ず必要だっていう状況――ゲームフリークのビジュアルに関わる部分は杉森に相談することになるし、彼の色が強く出るようにもなっていく。『クインティ』でもグラフィックは彼がやるって自然に決まったくらいだし、自分がゲームについて語るときにそれをビジュアル面でサポートする力は、杉森が一番達者だし、頼りになるってことなんだけど。
――でも、20年のつき合いになるわけじゃないですか。当然、ケンカもあるだろうし(笑)。
田尻 同棲みたいにして、非常に近いところにずっといて――ずっとあの状態だとやっぱりキツいと思うんだけど、お互いがどういう人間かわかったうえで、一緒にゲームを作れるっていうのは大きいだろうね。
――友達というよりは同志みたいな。
田尻 だから、杉森に関して言えば単純な友達じゃないよね。「ゲームフリーク」が、どうやれば売れるのかわからないような手探り状態のときに、多くの力をもらったというか。僕は小さい絵をドットで描くことぐらいはできるけど、普通の絵が描けない。でも彼の場合は、基本的な絵の力がすごく強い。打ち合わせとか雑談をしてても、言ったことをいちいち絵にするわけ、言っているそばから。そこはすごく面白くて、「ゲームフリーク」だけじゃなくて、僕自身のクリエイティブの重要なパートナーなんだよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p65~66

共同創業者や従業員と緊密な関係を保つ

最も重要な助言を一つ。 自分と共同創業者や大切な人物、さらには彼らにとっての大切な人たちとの関係を決して過小評価しないでください。最終的には、共同創業者と日常的に過ごす時間が長くなっていきます。彼らの大切な人だけでなく、計画、野心、生活の状況を知ること、また、長い目で見て、それらが自分のものと折り合いがつくかどうかを知ることが非常に重要です。多くの場合、それらの不一致を克服することはできません。このことについて早い段階で話をし、定期的に確認しあう時間をとりましょう。考えるべきいくつかのこと—— 3ヶ月間、仕事から離れていられますか? 事業で必要ならば引越しできますか? 仕事の負荷は家族のプランにどのように影響しますか? 私たちは事業にどのような結果を求めているのでしょうか? そこに到達するまでにどのくらいかかりそうですか? 皆が大筋で合意してさえいれば、上記の質問のどれも答えに不正解はありません。

https://review.foundx.jp/entry/advice-for-first-time-founders

田尻は同人誌「ゲームフリーク」発行時代、将来実質的な共同創業者となる杉森のアパートに入り浸っており、両者は互いによく知る関係であった。

――あ、それで杉森さんは町田にアパートを借りるんだ。
田尻 そうそう。「ゲームフリーク」も一緒に作るんだし、ちょうどいいじゃないかと。そうしたら、ほとんど杉森のアパートに俺が入り浸っているような状況になってしまった(笑)。加えてほかのメンバーも来るわけで、杉森にとっちゃプライバシーも何もない。楽しいことは楽しいけどね。一日中、ゲームの話をしているわけだから。楽しいんだけど、杉森には悪いことをしたっていうか、ちょっと濃すぎた(笑)。
――部室みたいな感じだったんでしょうね。
田尻 そうそう。

『田尻智 ポケモンを創った男』p63

杉森以外にも様々なメンバーと同じ空間で過ごしているが、これもスタートアップにおいて望ましいことである。

チームが一緒にいるかどうかはプロジェクトの成功を左右するほどに超重要です。本当に。これはもう間違いなく。
もちろんプロフェッショナル同士の人やタスクが既に分解できてる場合は、リモートでもいいかもしれません。ただ最初は方針が変わりやすければ、要件も変わりやすいので、一緒にいて、暇な人がいてもいので、いわゆるフロー効率性を重要視するのがいいというのは実感しました。
そのためにはチームが一緒の場所に居て、コミュニケーションすることが重要です。

https://tumada.medium.com/side-project-success-and-failure-pattern-b8b02b27d073

人を雇わない

人を雇うことには慎重にならなければならない。人を雇えば支出を増大させるだけでなく、意思決定が遅くなる。

採用について、私が一番最初に伝えたいアドバイスは、採用するな、ということです。私たちがYCで関わってきた最も成功している会社では、採用を始めるまでかなりの長い時間をかけています。従業員には非常にお金がかかります。従業員を雇うことにより、組織に複雑性とコミュニケーションのオーバーヘッドが加わります。共同創業者に言いたくても、従業員のいる前では言えないこともでてきます。従業員により、物事に慣性が加わります —チームに人が増えるにつれて、方向転換をするのが指数関数的に難しくなります。従業員数に会社の価値を求めたくなる衝動をこらえてください。

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

金を使わないために最も重要なことは、人を雇わないということだ。私は極端なのかもしれないが、人を雇うというのは会社がなし得る最悪のことだと思う。第一に、人に対する支出は繰り返し発生する、一番たちの悪い支出だ。彼らはまたオフィスを拡張する原因になり、クールでないオフィスビルに移転する羽目になるかもしれず、それはソフトウェアの質を下げることになる。しかし何よりも悪いのは、彼らはあなたをスローダウンさせるということだ。誰かのオフィスに頭を突っ込んでアイデアについて話すかわりに、8人の人間がそれについてミーティングすることになる。だから人の数は可能な限り少なくした方がいいのだ。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/start.htm

そして人を雇わないようにするには、過剰な資金獲得をしないことも重要である。資金提供者は資金を使うことを期待して資金提供するのだから、過剰な資金を持たされることは急速な会社の拡大を強制されることであり、それに売り上げが伴わなければ倒産する。

資金が少なすぎると失敗するのは明らかなことだが、資金が多すぎて失敗するなんてことがあるのだろうか?
答えはイエスでもありノーでもある。問題は金自体ではなく、金についてやってくるものの方なのだ。Y Combinatorで講演をしたあるVCは、「私の金を数百万ドル受け取ったなら、時計が進み始めることになる」と言った。VCがあなたに投資するとき、彼らはあなたがその金を銀行に預けておいて、ラーメンを食べて生活している2人の男だけで会社を続けさせたりはしない。彼らはその金が働くことを望んでいるのだ。少なくともあなたは適当なオフィススペースに移って、人をもっと雇うことになる。それは状況を変えることになり、そして必ずしもいい方向にというわけでもない。今や会社の社員の多くは、創業者ではなく従業員になる。彼らは創業者たちほど会社に献身的ではない。彼らは何をするか指示してもらう必要がある。そして彼らはオフィス政治をやり始める。
たくさんの金を調達すると、あなたの会社は郊外に移って、子を持つようになる。
さらに危険なことは、ひとたびたくさんの資金を得ると、方向を変えるのがずっと難しくなるということだ。あなたの最初のプランが企業に何かを売ることだったとしよう。VCの資金を得た後、あなたはそれをやる営業部隊を雇う。それから対象は企業ではなく消費者にすべきだと気付いたとしたら、どうなるか? まったく違った種類の販売方法が必要になる。実際に起きることが何かというと、あなたはそのことに気付かないということだ。あなたが人を雇えば雇うほど、同じ方向を向き続けることになる。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/startupmistakes.htm

雇うならば知り合いの中から探す

スタートアップでは初期段階で人を雇うのは最悪だが、雇わなければならない時もある。そのような場合、最良の人を時間をかけて判断し、絶対に必要な者のみを採用する。能力以上に為人やプロジェクトに対する姿勢が重要である為、赤の他人よりよく知っている知り合いの中から探すのが良い。

Airbnbは最初の従業員を5カ月かけて面接し、初年度に雇ったのはたった2人でした。彼らは採用前に、Airbnbの従業員に求める文化的価値観のリストを挙げました。その1つに「Airbnbのために全てを捧げる」とあり、その価値観に賛同できない者は採用されませんでした。
AirbnbのCEOであるBrian Cheskyの熱心さを物語る例を紹介しましょう。彼は応募者に「あなたは余命1年と医者から宣告されてもわが社で働きますか?」と尋ねていたそうです。さすがにこの質問は少々過激すぎたと思って後に「余命10年」と変更したようですが、私が最近聞いた時もまだこの質問をしていました。
雇った従業員は会社を定義する存在となるので、採用は本当に重要です。創業者の信じるものを同じように信じてくれる人が必要です。Cheskyの質問は行き過ぎかもしれませんが、会社が危機に直面する際に共に立ち向かう非常に献身的な従業員の文化を作り上げました。会社が当初大きな危機に直面した際、従業員全員がオフィスに泊まり込み、問題が解決するまでプロダクトを毎日リリースし続けました。Airbnbについて注目すべき点は、最初に入社した従業員約40人は、誰もが創業の一端を担っていると感じていることです。
非常に高い基準を設定して採用に時間をかけることで、全ての人にミッションを知らしめ、それを達成することができます。

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最も良い人材は、自分が以前から知っている人々や社内の人間が以前から知っている人々の中にいます。大企業のほとんどでは、最初の100人またはそれ以上の従業員が個人の紹介によるものです。多くの創業者は、自分や従業員が知っている人間に声をかけることに抵抗を感じます。しかし、FacebookやGoogleに入社すると、最初の数週間のうちに人事部の人間がやってきて、自分の知り合いの中から採用に値するような聡明な人材をリストアップするよう言われます。

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採用時に私が考慮する点が3つあります。
その3つとは、スマートか、仕事をやり遂げられるか、自分はその人と多くの時間を過ごしたいか、です。そして、話を聞いてこの3つ全てにイエスと言える場合、決して後悔しませんし、大抵の場合は問題ありません。この3つについては面接を通じてよく知ることができますが、一番良い方法は共に働くことです。
つまり、過去に一緒に働いたことがある人を採用するのが理想的であり、その場合は面接も必要ないでしょう。これまで一緒に働いたことがない人の場合は、採用前に1~2日程度のプロジェクトで一緒に仕事をしてみるのが良いと思います。そうすれば互いに多くのことを学ぶでしょう。初めて起業する創業者の大半は面接が下手ですが、一緒に働いた人を評価することには長けているものです。

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この条件をゲームフリークは大まかには満たしていた。同人誌「ゲームフリーク」に惹かれてやってきたゲーム好きが必要に応じてゲーム好きの友人を紹介するので、良いゲームを作りたいという理念を共有し易い。そのようにして雇われた者の中で著名なのが増田で、作曲出来る人が必要だという確かな必要性に応じ、従業員からの紹介でクインティ(ゲームフリークが最初に開発したゲームソフト)の制作プロジェクトに参加した。

この条件は「大まかに」しか満たしていないと書いたのは、”無能、社内政治、悲観は迅速に解雇する”の項で後述するように、不用意な採用により人間関係が崩壊し、大量退職を招いたこともあったが故である。

田尻 最後の最後に「ガーン!」っていう。それまでは、プログラマーが解析したゲームの効果音を切り張りしてたんだけど……。
――それじゃマズイわけで(笑)。
田尻 『マリオ』のジャンプ音とか『ポパイ』とかが流れてて(笑)。でも、俺の知ってるメンバーの中に、音楽のできるヤツがいなかったんだよね。そうしたら、プログラマーが行ってた専門学校に、音楽に興味があるっていう同級生がいて、できるかどうかは保証できないけど、声をかけてみようと。それで会ったのが増田。そのときに重要だったのは、プログラムができて、なおかつゲームに興味がある人、2つのフラグが一緒に立つってことだった。もちろん専門学校に行ってるくらいなんだから、プログラムにはもともと興味があるわけなんだけど、曲を作るだけじゃなくて、そのドライバも作るんだよと(笑)。しかもファミコンで、音楽だけじゃなくて効果音も作る(笑)。「それでもやってみませんか」って声をかけたら、「やりましょう」って言ってくれて。彼は、いまでも『ポケモン』の音楽をやってくれてるパートナーなんだけど、このあたりの出会いはゲームオンリーの体験というよりは、ちょっと偶然に頼って探し求めた出会いだよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p74

スキルより情熱と価値観を重視する

スタートアップは当然ながら大企業より人材に乏しいし、職務による完全な分業は不可能である。事業の見通しも不透明なので、当初想像もしていなかったスキルが突然必要になることさえある。それを少ない人数で回さなければならない。故に、今現在の能力よりも会社の価値観に合い、情熱がある人を選ぶ。そういう人ならば、今まで学んだことのないことでも必要になってから習得してくれる(そうでなければ雇わない)。

つまりこうですね。あなたは人を雇う選択肢を持っています。 1つは情熱的で価値観が合っていますが、良いスキルマッチではない場合。もう一つは素晴らしいスキルマッチがあるものの、情熱的ではない場合。答えはこうです。まず第一に価値観、第二が適性、第三がスキル。本当にあなたの価値観やミッションを共有し、自分がやっていることを信じている本当に賢い人を得ることができれば、必要なスキルは学んでくれます。これがこれまで失敗していないフレームワークです。

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ゲームフリークはこれに完全に該当している。森本はプログラミング未経験ながら真っ先に志願してプログラマーになり、増田に至っては、開発に使っていたワークステーションが故障した際、それからUNIXの勉強を始めて修理までしている。

増田も森本も、ゲーム音楽とシナリオやデザインという仕事だけでなく、プログラムにも参加しました。ライターだった森本にはプログラム経験はありませんでしたが、社内でプログラマー希望者を募ったとき、”い”の一番に手を上げました。やってみたかったのです。

『ポケモン・ストーリー』p140
学習まんがp117
学習まんがp118
学習まんがp119

リスク耐性と意志の強さを重視する

アーリーステージで雇う従業員は、リスクをとることを厭わない姿勢が必要となります。そのような人物はだいたい見つけられるでしょうが(そういう気質がなければ、彼らはスタートアップに興味を持たないでしょう)、スタートアップはいわば流行なので、本当にある程度のリスクをとれる人が必要となります。McKinseyとスタートアップのどちらに入るべきか天秤にかけている人は、スタートアップに来てもうまくいく可能性が極めて低いです。
また、非常に意志の強い人材も必要となりますが、これはリスク耐性を持っていることとは少々異なります。ですから、両方を求めるべきです。

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ゲームフリークが意志の強い従業員に恵まれたことは、以下の増田のエピソードに典型的に表れている。

学習まんがp114
学習まんがp115
学習まんがp116

無能、社内政治、悲観は迅速に解雇する

私の経験でも、最悪だと言えます。初めて起業する創業者は皆、従業員の能力がいずれは向上すると期待して待ち続けてしまいます。しかし、うまくいかなかった場合は、早く解雇することです。それは、会社にとっても当の従業員にとっても良いことです。とはいえ、これは実に痛ましく気分の悪いものなので、誰もが最初のうちはうまく対処できません。
仕事ができない従業員だけでなく、a)社内政治を生み出している従業員、b)常にネガティブな従業員も解雇する必要があります。他の従業員はこうした従業員を認識しており、会社にとって非常に有害です。これもやはり大企業では許容できるかもしれませんが(私自身は懐疑的ですが)、スタートアップにとっては命取りとなります。ですから、そういう類の従業員がいないか気を付けてください。
従業員を迅速に解雇することと、アーリーステージで入社した従業員に安心感を与えること、これらのバランスをどうとるか。1度や2度の失敗をしたからといって、その従業員は仕事ができないということではありません。誰でも1度や2度、またはそれ以上の失敗はするもので、従業員を責めるのではなく、大きな愛情をもって、共に働くチームのメンバーとして扱う必要があります。

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ゲームフリークでも社内政治が発生したが故に、解雇を行ったことはある。しかし、社内政治の規模が大きくなってからのことであった為、多くの人が一度に辞めることとなってしまった。早いうちに対処するのが正解だったのであろう。

あとはその頃、会社を作ると通過儀礼のようにして起こる現象というのがいくつかあって。エピソードとして話すと、たとえば最初は、ゲームが好きな人間が集まるから、男ばっかりなわけだよね。で、会社として成長するためには、そこに女の子も入れようと(笑)。そうすると何が起こるかというと、まあわかりやすいんだけども、当時いた女の子が複数の男性社員と関係して、人間関係が壊れてしまった(笑)。その挙げ句にスタッフが辞めたりして、10人のうちの5人に辞められると痛いわけだよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p104

田尻 だけど、前も話したように、ゲームフリークを会社にして2年くらいで、大量に辞めた人もいたわけだよ。で、杉森はそういうトラブルも一緒に体験して、そのあとも一緒に現場にいて作ったり考えたりする、そのことの価値について、僕と同じような見方をしているっていうことなんじゃないかと思ったんだけどね。
杉森 まあ、その大量離脱のときに僕も、考えが浅かったというのもあって、反社長派みたいな時期があったんですよ(笑)。反体制みたいな。で、結果的に会社に残ったんですけど、なんかその時期の思い出がね。ずっと社長に対して後ろめたいというのもある(笑)。
――あはは(笑)。
杉森 あんまり関係ないですけど、僕が高校出たあとから親に心配かけた時期があって、その頃親にかけた迷惑っていうのがずっと心に引っかかってるんですよ。それで今、すごく親孝行に関心があるとか(笑)。それと同じような感じで、社長に対してずっと、申し訳なかったなあって思ってて。……それはまあ、昔の話だからぶっちゃけて言っちゃうと、若い会社にありがちな女の子を巡るトラブルで(笑)。
――ああ、前回の話ですね。
杉森 うん。前も社長が話してましたけど、その女の子がスタッフを抱き込んで(笑)。そっち派と社長派で、ちょっと険悪な感じになってたんですよ。この子を追い出すなら、俺も辞めるみたいな。で、僕も最初はそっち派で(笑)。
――すごい卑近な話(笑)。でも、わかります。
杉森 まあ、若気の至りなんですけど。
田尻 当時はまだ会社のルール作りを始めたばかりで、女の子を入れるとどうなるのかとか、そういうことが全然わからないわけ。それで、女性を入れたほうがいいって思って、ひとり入れたら、関係を持った人と持たない人でちょっとおかしな感じになって(笑)。
――うわー、えげつない(笑)。
田尻 で、結局、辞めてもらうことにしたんだけど、それなら「俺も辞める」みたいな話になって。そのときに、持続してやることの難しさっていうのがわかったんだよね。
杉森 そのみんなが辞める前に、僕と社長で言い争いがあったんですよ。で、社長に対して暴言を吐いたりもしたんだけども、その後にちょっと自己反省をして、そっちのグループと距離を置いてて。そしたら、なんか知らないうちに。
――知らないうちに(笑)。
杉森 結託して突然、数人が辞めちゃってたんですよ。朝、会社に来てみたら、机の上に辞表が置いてあって、誰もいないっていう状況(笑)。「一緒に辞めよう」みたいな声をかけられることもなくて、その時点で僕は違うグループと見なされていたのかもしれないんですけど、誰もいないんですごいびっくりして(笑)。大変なことになったな、と。まあ、そのときは「俺のせいかも」とも思ったし、頑張らないと会社が潰れるみたいなことも思ったし。責任感みたいなのがオタクの心に芽生えたんじゃないかなと(笑)。
――あはは(笑)。
杉森 そのときに僕は、この先みんな辞めたとしても僕は最後まで残ろうって思ってたんですよね。恥ずかしい話なんですど、そういう部分もあるかな。
田尻 でも、そういうことがあったから、長くやっていけるんだよね。そういうことを一緒に体験したから。

『田尻智 ポケモンを創った男』p177~p179

尚、解雇を行う際には、解雇される側も納得出来るよう、事前に準備をしておく必要がある。

2回やったことのある間違ったやり方は、誰かを解雇するのに、その然るべき理由に関わる証拠を集めることをしないというものです。業績を適切に記録するために、明確な警告を与え、果たすべき職務を明確に設定することを忘れないでください。自分と従業員で、時間単位での作業内容の進捗状況と週単位(解雇を急ぐなら日単位でもよいでしょう)の作業リストを記録すべきです。
私にはすでに、このような人たちに訴えると言われ、脅された経験があります。そうでなければ、終わることのない言い争いになります。訴訟問題を抱えるということは、特に資金調達中は、スタートアップにとって究極の不利益です。
時間と進捗度の記録は、このようなことを回避する大きな助けとなります。最初からこれが分かっていればと思います。

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社内文化は創業者の言葉ではなく行動が作る

さらに、ひとたび人を採用したら、核となる価値が何であるか、あなたの会社の文化が何であるかについて正直で本気になることも大切だと考えます。私が「文化とはあなたがこれが文化と宣言するものだ」とは言わないことに注意してください。多くの人は文化を壁に掲げるのが好きですが、文化とは、誰も見ていない時にあなたがどのように振る舞うかということです。文化とは創業者がどのように振る舞うのか、幹部がどのように振る舞うのかということです。あなたが何者であるかということに正直で、偽善者にならないことが本当に重要だと思います。

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ゲームフリークでこれに該当する具体例としては、田尻がスーツを着始めたことがきっかけで会社の規律が確立されたというものがある。

田尻 それにはわかりやすい話があって、彼は背広を着てるじゃない。あれは「社長である」というのを、わかりやすく象徴したスタイルとして選んでるんだよね。でも、たとえば糸井さんは、スーツを着ることはない。だからさっきも話したように、エイプは会社というよりも糸井重里事務所の延長だなと、僕は思ったわけ。僕自身の話をすれば、最初は、ゲームマニアが集まってできた会社なんだから、スーツを着ないっていう選択をしたの。で、僕はもちろん、みんな午後に起きてきて、夜の7時、8時になるとようやくエンジンかかってきて(笑)。で、明け方になるとエンジンが冷めて、寝る、と(笑)。そうすると、さっき言った通り『ジェリーボーイ』の打ち合わせが朝10時からあっても、行けるわけがない。「失礼だ」とか言われるんだけど、「朝、早く起きるのが僕の仕事じゃないもん」とか(笑)。ゲームフリークのなかのシステムとしてはそれでもいいんだけど、新しく入ってきた人にそれをどう説明するのかとか、いろいろ考えると、そういう自由さも決していいとは言いがたい。それで、会社のルール作りを始めようと意識した時点で、自分でスーツを着るようになったんですよ。ほかのスタッフにスーツを着ろとは言わないけども、俺は社長だからスーツを着るよ、と。それが、やっぱり『マリオとワリオ』の頃かな。そうすると、ほかのスタッフに細かいルール――何時に起きて、何時に出ろってことを細かく言わなくても、それぞれのメンバーのなかにそういう意識が育ってきたんだよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』P108~109

素晴らしい製品

実装による問題の反復的定義とアイデアの詳細化

ユーザーが何を求めているか、即ち、何が解くべき問題なのか見定めることと、曖昧さを残しているアイデアを実際に機能するところまで具体化する、この2つを達成する為、製品の開発を実行に移すということが必要である。

技術では問題はさらに難しくなる。本物のベンチャーは、進化してゆく過程で自分達が解こうとしていた問題を発見することが多い。 ある人がアイディアを得る。みんなで実装してみる。 そうすることで(そして多分、そうすることのみで)、本当に解くべき問題は別にあるということがわかる。 教授が授業の課題の問題をどんどん変えて行くことを許可したとしても、 そういうことをやっている時間も、進化を促す市場からのプレッシャーも大学にはない。だから大学の課題は大抵実装をどうするかってことに落ち着く。それはベンチャーの挑戦する問題のうちでは一番簡単なものだ。
ベンチャーは実装だけでなくアイディアも練らなくちゃならない、っていう だけじゃない。実装のやり方そのものが違ってくるんだ。 実装の主な目的はアイディアを詳細化することだ。最初の6ヵ月に作ったものの唯一の価値は、最初のアイディアが間違っていたことを証明しただけ、なんてことも ままある。それは本当に価値があることなんだ。他のみんなが持っている 勘違いを自分がしていないというだけで、とても有利な立場に立っていることになる。

https://practical-scheme.net/trans/mit-j.html

ゲームフリークもポケモンのコンセプトである交換を、ゲームとして具体的にどう実現すればユーザーにとって価値あるものになるか、大きく悩み続けた。そして、IDナンバー(他の人から貰ったポケモンかどうかを区別し、そうであれば早く育つ)、通信進化(一部のポケモンは交換によって進化し、強くなる)、カートリッジの色(色により出現するポケモンの種類が異なるので、自分では手に入れられないポケモンと友達が手に入れられないポケモンとの交換が成立する)という形で実現した。しかし何よりも当時のユーザーを熱狂させたのは間違いなくミュウであろう。

 ゲームフリークは、RPGのノウハウをゼロから模索してゆくほかありませんでした。初めはそれは悪戦苦闘の連続……にすら至らない、手のつけようがそもそもないといった状態でした。さらに田尻はノウハウだけではない、田尻のアイデア自体が内包している難しさについても気づきました。
「企画書に書いたのは、人が欲しくなるようなモンスターをお互いに持っていて、それを交換し合ってお互いが得をしたら、プレーヤー同士仲良くなれる訳だし、ゲームボーイがあってよかったと思えるっていうことです。でも、じゃあ、人が欲しがる魅力的なモンスターって、いったいなんなんだと考え始めると、難しい。お互いに魅力あるものを持っているけれども、交換
したくなるようなものって、一体なんだろうと思うわけです。素晴らしいものをお互いそれぞれ持っているなら、交換しなくたって素晴らしい世界であるわけですからね。つまり、提案としてはいいんだけど、具体的に詰めていくと、果てしのない泥沼になっていく罠のようなものですね。それに気づいたとき、これは厄介だなあ、作り上げるには時間がかかりそうだなあって思いました。それで石原さんに相談したわけです。これはてこずりそうだって」
 つまりポケモンのゲームは、魅力的なポケモンたちをデザインするのももちろんとても重要ですが、その先にあるポケモンたちを使って何をしてゆくのか、というところにエッセンスがあったのです。杉森や森本の言うRPGのノウハウは、実はやがては蓄積できるものです。大きな問題であるにしても、本質的な問題ではありません。
 本当の問題はそこにあるのではなく、戦闘をした結果、何がどうなるのか。通信機能を使って交換した後、何がどうなるのか。そこにありました。田尻は、通信機能を使ってポケモンたちを交換するという行為に、それまでのゲームになかったなにか新しいものを取り込める可能性を感じながら、しかしそれが何であるのか、まだ見定められずにいたのです。川口が、ゲームフリークに不足していたものを「ノウハウ」と言わずに「クリエイティビティ」と言ったのも、そういう意味でしょう。

『ポケモン・ストーリー』p110~111

それで交換するときに、そもそもなんで交換するのかっていったときに、最初に欲しくなるものをあげるっていう動機のほかにも、強力な動機付けが必要だと思ったんで、たとえば里親のように自分のものを相手に預けることで、お互いが得をするという仕組みを打ち出せないかと思ったわけです。そうすると、人の場所にポケモンが移動したときに、ちょっと早く育つとかちょっと強力になるという風になれば、それがわかれば交換する動機になるなあと思ったわけです。ところが、自分のゲームボーイかどうかということをどうやって知るのか、ということが問題なわけですよ。
で、そのためには、乱数で自分のカセットのIDナンバーっていうのを、6万5000くらいの数字の中から選び出して、それぞれ勝手に付ける。カセットのIDが乱数で決まったら、そこから生まれ出てくるポケモンのIDナンバーはみんなその番号なわけですよ。そうすると、乱数でIDナンバーがついているわけですから、確率としては6万5000人と交換し続けない限りは、同じ番号の人と交換することはないですから、ぼくとキミのIDナンバーは違うよねっていうことで、それぞれ別の世界が持てるっていうことになっているわけです。
それで、IDナンバーをつけてゲームを続けていくと、そのナンバーはずっと消えないということになるわけですよね。だから、プレーヤーの立場で言うと、カセットを買ったときにすでに全員がそれぞれカセットが違うんですっていう理解でカセットを買ってもらうという風に、宮本さんに話をしたんです。そうしたら、仕組みとしては面白いけど、ちょっと分かりにくいなといわれたんです。やっぱり、見て分からないといかんのやないかって宮本さんが言って、色が違って見た目が違えばよう分かるって言ったんで、へえ、そんなことしてもいいんですかって言ったんです。そうしてもらえれば、ぼくは助かるけどって。
だから、IDナンバーが違うっていうことを言いたいがために、象徴的に色を変えるというアイデアが出てきたわけです。だけど現実としては、色も変えましょうと。色も変えるんだったら、もうちょっとがんばって、色が違うんだからもう少し、色によっていろいろ違うっていうふうにしなければならないということになったんです。だから、五色とか七色作りたいなあって思うんだけど、現実問題としてそういうことはできないわけだから、とりあえず、最低の二色だということになって、赤と緑になったわけですよ。(中略)
ROMカートリッジの種類をいくつか出すというのは、リスクが大きかったんですよね。極端な話が、同じものを色を変えて売っていいのかっていうふうに思う人もいるわけだ。だから、ちょっと違うんですっていうふうに、前向きにきちんと提案できて、商品もそういうふうにできるってしておかないと。宮本さんはいいって言ってくれたんだけど、工場のほうでは、おんなじものなら同じ色でいいじゃんとも言っていたというんですよ。
ぼくとしては最初に、色が違うっていうことで、買うところからゲームは始まるってところに、ポジティブな返事がくれば、(売れると思っていた)。男の子がポケモンを全種類網羅したいと思って、赤と緑の両方をそろえたら、全部集まるんだって分かったら、好きな子は両方欲しくなるだろうなって思ったわけですよ。

『ポケモン・ストーリー』p501~503

田尻 たとえば、A君とB君がいて通信でモンスターを交換すると、A君の持っていたものがB君のところに来る。で、そのB君がC君と会って交換すると、A君の持ってたものが今度はC君のところに行く。つまり、A君の知らないところで、自分が関わったポケモンが生きている――パラレルワールドのどこかで生きている可能性がある。そういうことが面白いんだ、と。で、それが一番はっきりわかるには、普通にゲームをしていては絶対に出てこないポケモンをひとつ設定しておいて、それをゲームフリークの開発部で生まれさせる。で、それを交換して出すと、さっき言ったように一度手を離れてしまえば、そのポケモンは勝手に育っていくし、相手の人の図鑑も新しく開いてくから……。
――痕跡が残っていくっていう感じですね。
田尻 それで新しい価値観に目覚める、と。そのアイディアが、ミュウっていうポケモンに繋がるわけだけども。自分としては、ゲームフリークで常にミュウを生産し続けて、みんなが集まる交換会のようなところでミュウを提供する。そのことで、「あ、交換してよかった」っていう楽しみを提供するってイメージだったんだよね。もう少しゲリラ的というか、こぢんまりした感じで。
――下北沢発のミュウみたいな(笑)。
田尻 そうそう(笑)。キャラバンみたいにいろんなところをまわって、交換して……。それが都市伝説みたいな感じで、実は151匹目のポケモンがいるらしいよ、と。しかも、どんどん話に尾ヒレがついて、ゲームのどこかで〇×〇×すると出てくるとか、コイキングを何十匹釣るとどうこうみたいな話になって(笑)。
――デマが流れる。ちょうど『ゼビウス』みたいな感じで。
田尻 そういう話で盛り上がると、それはそれで面白いなと思って。どっちに行くかなと思ってたんですけど、最終的にはイベントでミュウをもらうっていう感じに落ち着いたんですね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p39~40

初期ユーザーと過剰に接して製品改良のフィードバックループ

ユーザーに極度に注意を払い、狂気的に卓越した(insanely great)体験(※凄くするのは製品そのものではない!)を与えなければならない。これは製品改良のフィードバックループに必須である。

創業者が理解するまでに苦労するのは(スティーブ自身が理解するまでには苦労したのかもしれません)、スタートアップの最初の数ヶ月に時間を戻した時に、メチャクチャ凄いが何に姿を変えるかということです。メチャクチャ凄くあるべきなのは、製品ではなく、ユーザーになる経験なのです。製品はユーザーの経験の一要素にすぎません。大企業にとっては、製品は当然市場を支配しています。しかし、顧客への気遣いにより差を穴埋めれば、初期の不完全でバグのある製品によってメチャクチャ凄い経験をユーザーに与えることができますし、与えるべきです。
与えることはできるかもしれませんが、本当に与えるべきなのでしょうか。はい、与えるべきです。初期ユーザーと過剰に関わり合うのは、単に成長を回転させるための許容できるテクニックというだけではありません。最も成功しているスタートアップとって、それは製品を改良するフィードバックループの必要な部分なのです。良い製品を提供することは一回限りの動作ではありません。最も成功したスタートアップと同じ方法で始めたとしても、あなた自身が必要とするものを作っても、最初に作ったものは間違っているのです。失敗の代償が大きい場合を除き、初めから完璧を狙わない方が良いことが多いのです。ソフトウェアでは、特に、実用の域に達したら、すぐにユーザーの前に差し出して、ユーザーがそれをどのように使ってくれるかを確認するのが最良の方法であることが多いのです。完璧主義は先送りの口実であることが多く、あなたがユーザーの一人であったとしても、どのみちユーザーの初期モデルは常に不正確です。
最初のユーザーと直接関わることによって得られるフィードバックは、今後得られるフィードバックの中で最良のものになるでしょう。会社が大きくなると、フォーカスグループを頼りにしなければなりませんが、ユーザーの家やオフィスに出掛けて、一握りのユーザーしかいなかった時にしたように、ユーザーが製品を使っている様子を見たいと思うようになるでしょう。

https://postd.cc/do-things-that-dont-scale/

形式的には、製品を早期に発売して初期のユーザーと直接関わりフィードバックを得て改善するという過程は踏んでいない。このような過程はインターネットを介してゲーム内容のアップデートが可能になった現代であれば可能かもしれないが、当時では難しかったであろう。1人プレイ専用ソフトなら兎も角、通信ケーブルを用いたプレイヤー間の交換をコンセプトとしているポケモンでは尚更である(古いソフトと改善された新しいソフトの間で交換が成立しなければ困ってしまうので)。しかし、完成直前のゲームに対するゲームフリーク社内や任天堂から寄せられた感想や意見に対しては全力で応えており、これがそれに該当するであろう。

それだけではありません。ゲームのモニターも始まっていて、任天堂からも石原からも、ゲームフリーク社内からも、ありとあらゆる意見が寄せられました。それは誰それのセリフはおかしいとか、登場人物の立つ位置が変だとか、ここに木がもう1本生えていたらいいのにとか、あのポケモンのここはこう直した方が可愛いのではないかとか、誰それとのバトルは相手が弱すぎるのではないかとか、逆に強すぎるのではないかとか、ポケモンについての不平不満と呼びたくなるような意見でした。田尻の記憶では、「毎日100件くらい」の要望や批評や意見や不平不満が押し寄せてきたのです。田尻はそのすべてが矢のように突き刺さってくるように感じました。そしてそれらの意見をすべてゲームに取り入れていったのです。
「ここがおかしいとか、あそこが変だという話は、いろいろ理屈をつけて放り出せば、それで終わりにできるんですよ。でも、そうしないで、全部受け入れようって思ったんです。全部を解決できるまで、逃げ出さないでシナリオを書き換えてみようと思ったんです。ポケモンは、そうしなければいけないと思ったんです」

『ポケモン・ストーリー』p155~156

偏執的に拘る(1)~ポケモンに名前を付けられるようにする

成功を収めた創業者たちに彼らの自社プロダクトに対する考え方を聞いてみると、「fanatical(偏執的)」という言葉がいつも出てきます。創業者たちは、細部に至るまで品質に熱狂的にこだわった、プロダクトを正確に説明するための試作品を熱狂的に作り上げた、カスタマーサポートがあるべき姿を熱狂的に考えた、などです。実際に成功を収めたYC企業に共通するのは、創業者が就寝中、夜中にユーザーがメールを送ってきても1時間以内に回答を返信できるようPagerdutyをチケットシステムに連携させたということです。企業は設立当初にこれをやっています。創業者は、プロダクトに不具合が起こったら苦痛で、寝ていても起きてその不具合を解消したいものです。彼らは不良品を出荷しませんが、出してしまった場合は実に迅速に対応します。素晴らしいプロダクトを作り出すにはある程度の「熱狂的行為」が必要なのは間違いありません。

https://review.foundx.jp/entry/idea_product_team_execution_why_to_start_a_startup

これは完全に当て嵌まっていて、ゲームフリークは自分のポケモンにニックネームを付けられるようにする為に、カセットに使うSRAMの容量を増やすよう石原と共に任天堂に要求しており、それが発売延期の一因になってさえいる。

ここで石原が30匹と言っているのは、捕まえて(ゲームの中では「ゲットする」と言います)自分で名前を付けて保存しておけるポケモンの数が30匹という意味です。名無しのポケモンなら100匹程度まで保存しておくことはできました。プレーヤーが付けた名前を残さなくていいなら、その名前の分だけメモリーを使わずにすむからです。開発の途中までは、実際そうなっていたのです。捕まえたポケモンのうち、100匹くらいは、プレーしていれば持っていたくなるだろうと考えたからでした。そのポケモンが名無しでも仕方がないと考えたのは、開発中はメモリーを節約したかったからでした。しかし、制作が進むにつれて田尻のテンションも上がり、捕獲したポケモンに名前が付けられるかどうかは、田尻にとって譲れない重要な問題になってきました。
「名前が付いてなければ、自分のものだということにはならないわけですよ。たとえば、子どもの頃、先生に名前を間違えて呼ばれたら頭にくるじゃないですか。それはオレじゃないと思うわけです。それで、名前を付けると100匹から30匹に減りますけど、それでもいいですかって言われたんですよ。それでも、名前を付けられない100匹より、名前を付けられる30匹の方がいいということに、ゲームフリークとしてはまとまったんです。でも、狙いとしては、30匹じゃなくて、150匹全部に名前を付けて保存できるようにしたいということでした。それで、これはRAMが増えたりデータをセーブできる場所が増えたりすれば解決できるんですけど、どうでしょうって、資料を用意して石原さんに相談したんです。まあこれは、駆け引きですね」(田尻)
相談を受けた石原は、無名の100匹より名前をつけた30匹の方がこのゲームの価値を高めるんだということを任天堂に話してみて、それで任天堂を説得できたら、メモリーを増やす努力もしてみようと、田尻に約束しました。
しかし、作り手側の要望を入れて30匹以上のポケモンを、できれば150匹のポケモンすべてを格納できるようにするとなると、当時最新鋭の32キロバイトのSRAMを使わなければなりませんでした。当時32キロバイトのSRAMは、その道では256Kビット(読み=ニゴロケイビット)と呼ばれる贅沢品でした。大量生産されて価格の安い8キロバイト(64Kビット)と比べると、コストがぐんと上がるのです。
「価格ですか? 詳しい数字はお話できませんけれど、どんどん変動するので何倍にもなりますね」(石原)
ゲームボーイというプラットフォームを持っているのは任天堂ですし、そのゲームソフトのカートリッジの生産をするのも任天堂です。コストの問題はメーカープロパーの問題ですから、ゲームフリークやクリーチャーズにはまったく決定権のない事柄でした。しかしそれでも、石原と田尻は、ポケモンをもっとたくさん捕まえておくことができたら、そして捕まえたポケモンたちに名前をつけてセーブできるようになったら、ゲームがどんなに素晴らしいものになるかということを、ことあるごとに任天堂に伝えていました。そのためには、SRAMのメモリーを増やせばいいだけなんですよ、というニュアンスを交えて。
「そうしたら、最後の最後にね、宮本さんが、それでゲームが全然変わってくるのであれば32キロバイトのSRAMにしようよ、って言ってくれたんですよ。それで捕まえたポケモン用のデータエリアがガーンと増えて8倍になったんです」(石原)
SRAMの容量が増えた倍率とポケモン格納エリアの容量の倍率が異なるのは、ファイルの圧縮の仕方やゲーム情報がセーブされているエリアの問題によるものです。とにかくこれで、捕まえていけるポケモンの数は、一気に8倍の240匹にまで膨らむことになりました。それまで一つだった定員30匹の格納ボックスが八つに増えるのです。ゲームフリークのプログラマーたちは、デバッグしていた手をいったん下ろして、直ちに32キロバイトSRAMに合わせて仮のプログラムを書いてみました。
「32キロバイトのSRAMにしたポケモンで、みんなで遊んでみたら、断然こっちの方が面白いっていうことになったんです。そうなると、それだけ格納できるようになったのなら、こんなこともしようってアイデアも新たに出てきたりする」(石原)
(中略、SRAMの供給量確保の問題についての記述)
それでもゲームは、捕まえたポケモンを全部格納できた方が絶対に面白いという評価が変わらず、宮本が「別のゲームになったね」と石原に言ったほど奥行きが出てきました。それならば、必要なだけのSRAMは任天堂の力で何とかしようということになって、最終的に32キロバイトのSRAMを使うことが決まりました。
「でもそうなればそうなったで、セーブする領域とかも変わってくるので、その調整もしなければなりませんでしたし、変更部分から新たなバグが発生してきたりもしました。それにも増して大変だったのは、SRAMの容量が4倍になったことで、ゲームの中身をだいぶいじったことです。珍しいポケモンとか伝説のポケモンとかのアイデアが、後から後から入ってきたんですよ。ポケモンの出現率ももちろんそれによって変わってきますから、たとえばトキワの森にいるピカチュウを、3パーセントの出現率でしか出現しないポケモンにしようとかという、ポケモンの珍しさの度合いも、最後の最後に決まったんです。ですから、ぼくたちの間でも、あのポケモンって、どこにいるのっていう話題が、最後までかわされていたんです」(石原)

『ポケモン・ストーリー』p145~150

偏執的に拘る(2)~ポケモンの世界観への個人のリアリティの反映

田尻 驚きもあまりない。驚いたのは、やっぱり1000万本とか超えたときだよねえ。
――あはは(笑)。
田尻 あとは、北米で発売されてうまくいったことだよね。海外では売れるかどうかについては、はっきり手応えを感じられなかったから。やっぱり僕自身は、『ドラゴンクエスト』のように騎士英雄伝を題材としたゲームがあって、それに対して異議を申し立てた『マザー』があって――『マザー』は、現代の少年を主人公にしたロールプレイングゲームだったけど、その『マザー』ですら、舞台はアメリカ郊外の田舎町。そこが舞台で、主人公は私自身であるということに、まだ違和感があったんだよね。それで僕が、プレーヤー自身が主入公(原文ママ)であるゲームを作ろうと決意したときに、『ポケモン』のポッポみたいな、ああいう普通の動物を思わせるようなキャラクターまで許容して、みんなそれぞれが個性を持っているっていう世界を考え出したわけなんだけども。
――そこのところをもう少し突っ込んでうかがいたいんですけど、『ポケモン』の風景のあり方自体、すごく日本的ですよね。
田尻 そこはかなり意識しました。つまり、僕くらいの年齢の人間にとって「自分の投影だ」と思っていたものの多くが、アメリカの文化の象徴であったり、そういうものに置き換わってる気がするんだよね。良い悪いは別にして、そういう勘違いをするようなものがあって、たとえば『マザー』がそのいい例。あれを日本人が作るということに、その辺のアイデンティティの曖昧さがあるように思うんだな。だから、糸井さんがロールプレイングゲームの狭量なテーマの持ち方に異議を唱えたのと同じように、僕は『マザー』とそれ以前のゲームに対して、異議を唱えてみようと思ったんだよね。
――それが、あの風景のあり方に通じてる。
田尻 ただそれは、あからさまな日本の伝統文化の投影のようなものではない。そこは、現代の日本人が作るものじゃなきゃいけないとも思うし。
――ついこの間、あるゲーム雑誌で”ファンタジー”の特集をやるというんで、テキストを書いたんですよ。で、そのとき痛感したのが、いかに僕らの想像力がアメリカのものに頼ってるのか。『ドラゴンクエスト』だって、アメリカ流に解釈された”剣と魔法の世界”だし、『マザー2』だって(スティーブン・)スピルバーグやティム・バートンが描いてる世界なわけで、決して僕ら自身のリアリティではない。そこには結構、ギョッとするところがあって。
田尻 それは、ゲームだけではなく日本の音楽だったり(笑)、さまざまなメディアで同じことが言える。非常に根源的な問題だと思うんですよ。問題は、そういうアイデンティティに関して、ちゃんと考えるっていうかさ。明解に答えを見い出さなくても、問題提起があればいいと思う。でも往々にして、非常に乱暴かつ断定的に、「アニメやゲームやマンガは日本の文化だ」みたいなことを言うわけじゃない(笑)。
――あはは(笑)。そうですね。
田尻 その背景になっている体験とかイマジネーションの源泉がどこから来てるのか、そこには認識の勘違いみたいなものがあるんじゃないかっていうのは、もう少し口に出していう必要があると思うんだよね。少なくとも、少なくとも、僕自身が『ポケモン』を作っているときに持ってた問題意識は、そこにある。だからさっき言ったように、「自分自身のリアリティって何だろう」って考えることが大事なんだよね。それがアメリカ文化に違いないって思っている人も多いし、それをあえて否定する必要はない。そういう現状はあるんだから。僕自身『ポケモン』を作ってるとき、「自分の認識の原点とは何か」っていうのを振り返ると、日本とか海外というのとは別の、何か外的な存在がある。いわゆる怪物じゃなくて、それが昆虫だったり、動物だったり、他人だったりする。幼少期から振り返って、もう一度そういうふうに認識を組み立て直してたことが、『ポケモン』の原点になるんだよね。そういう微分積分のようなことを繰り返した結果、ある種、どこの国でも置き換えが可能なものになったんだと思うんだけど。
――じゃあ、『ポケモン』の世界は、田尻さんとしては抽象的な世界のつもりだった?
田尻 抽象的というのとは、ちょっと違うな。自分のリアルというものが何かということを、繰り返し反復した結果、出来上がったものというか。
――僕は、『ポケモン』ってものすごく具体的な作品だと思うんですよ。たとえば、砂漠の真ん中で暮らしている人には、きっとわからないだろうと思う(笑)。
田尻 ああ、そうだね(笑)。
――ことばの選び方は難しいですけど、ヨーロッパの古い街並なんかよりは、はるかに東京郊外の殺伐とした感じが残ってる。で、そこは田尻さんが意識的にやってることではないんだろうなあ、とも思うんです。
田尻 うん。
――必然的にそうなってしまうものとして、デザインされているというか。それは、田尻さん自身の、個別の物語なんだろうなという気もする。
田尻 だから、個人のリアリティを追求した結果、北米でも欧州でもきちんと評価を受けたということだと思うんだよね。たとえば『ドラゴンクエスト』は日本では評価されているけど、海外ではそうではない。『マザー』だって、プレイした人はいいゲームだと思うだろうけども、日本で出たほど北米やヨーロッパでは売れなかった。それはなぜか、と。そういう問題意識があったんだろうな。
――端的に言っちゃうと『ドラクエ』にしろ『マザー』にしろ世界観は、借りものなわけですよね。……と、そこまで言い切ってしまっていいのかとは思いますけど。
田尻 うん。だから、『ポケモン』が海外のユーザーにどういうふうに見えているのかは、もう少し詳しく知りたいよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p118~122

素晴らしい実行力

起業しなければならないのでなければ起業しない

良い会社に就職すれば高い給料が得られるし、その中で従業員として製品・サービス開発をするのでも大きく世界を変えられることは多い。

従業員として大きな影響を与えることのできた、具体的な例を挙げたいと思います。Brett Taylor は Quip のトップですが、彼は起業家になる前に、すでに1000人以上の従業員を雇っていた Google に加わりました。そこでは、今日私を含めて何億人もの人々が使用しているGoogleマップの開発を先導することができました。
Asana での私の共同設立者 Justin Rosensteinも同様の時期にGoogleに参加しました。そこで彼は、Gmail の中の GChat 機能を試作しました。10年以上前のことですが、まだ数百万人の人々によって使用されています。その後すぐに、彼はまだ数百人規模だったFacebookに行き、Likeボタンを作成したハッカソンのプロジェクトをリードしました。皆さんの中にはおそらくそれを 1 度や 2 度ぐらいは使った人もいるでしょう。

https://review.foundx.jp/entry/how_and_why_to_start_a_startup

大企業の中に入る方が環境や使えるリソースも多く、通常そちらがより望ましい。では何故起業するのか、それはそうせざるを得ないからである。

それは、スタートアップをやらずにはいられないから、というものです。
これには2つのルーツがあります。
最初は情熱です。私たちが会社を立ち上げるのがどれほど難しいかを話しましたが、情熱は本当に重要なのです。あなたは力を得るために情熱を必要とするでしょう。そしてあなたはリーダーとして、あなたについてきてくれる素晴らしい人たちを採用するためにも情熱が必要です。
第2の理由は、あなたが会社を立ち上げることによって何かを実現させる正しい人だということです。もしあなたが失敗してしまえば、実際に何か大切な世界を奪うことになるでしょう。
これが意味するのは、アイデアそのものが本当は価値があることであり、そのアイデアを世界に実現するためには、あなたが最高の人物でなければならない、ということです。
あなたが最高の人でないなら、その他の人が別の場所にいて、彼らはおそらくあなたと競争し、さらに価値のあるものを創造することにあります。一方、あなたが最高の人であったとしても、既存の会社の文脈の中でそれをするべきかもしれません。
(中略)
成功した起業家に会うと、こうした理由を通常聞きます。彼らが会社を始めたのは、次にすることはそれ以外には考えられなかったから、です。ただそれだけです。短くも素晴らしい理由です。

https://review.foundx.jp/entry/how_and_why_to_start_a_startup

これにゲームフリークは当て嵌まっていて、コンテストに応募したり、単にアイデアを売り込んだだけでは、既存のゲームメイカーがそれを実際に作ることはないということに田尻が気付いたからである。田尻は自分のアイデアをゲームにするには自分で作るしかないと悟ったのである。そして最初の自主制作ゲーム「クインティ」を完成させた後、これからもゲームを作りたいと思い、仲間を説得して会社化を行った。

当時の田尻は、「自分のアイデアでゲームをつくりたい!」という強い意思を持っていました。そこで、田尻は、自分のゲームアイデアをコンテストで評価してくれたセガに、分厚い企画書をつくって、持ち込んでみました。企画書には、いくつものゲームのアイデアが記されていました。
しかし、物事はそう簡単には進みません。セガの担当者の中には、田尻の企画書のアイデアから実際にゲーム制作まで考えてくれた人もいましたが、実際に商品化されることはありませんでした。
そんなことが何度か続くうちに、田尻は、セガの担当者の熱意不足ではないかと考えるようになりました。自分のような子どものアイデアを商品化するなんてばかばかしい――セガの人たちは、そう思っているんじゃないだろうか。
田尻は決心しました。大人が相手にしてくれないなら、自分の力でゲームを作ってやろう。

『ポケモン・ストーリー』p32

田尻 感慨はありましたね。つまり、『クインティ』を仕上げるまでに、社員として給料を払うっていう会社のようなシステム、それが仕組みとして始まったことが、自分にとっては非常に大きかった。『クインティ』が完成して、そこそこ行けるとなると――当時、ナムコで「そこそこ行ける」っていうのは、初期ロットで20万本くらい出すっていう意味なんだけども、そうすると、5000万円近く入ってくる。そこは非常に難しい問題だな、と。ゲームを作ってみたいっていう欲求に忠実に従って作ってきて、出来上がって持ち込んで、それでここまで来たのはいいんだけれども……なんていうか、これで終わりだと山分けになっちゃうんだよね。本当にそれでいいのか。
――なるほど。
田尻 で、俺はやっぱり、ほかの道を探しながらもゲームを作っていきたいと思うってメンバーに言って。それで、ある程度の報酬はもらうけれども、ナムコから得たロイヤリティはゲームフリークを会社にして、ゲームを作り続けるための自己資金にしよう、と。その原型は『クインティ』が仕上がる直前、プログラマーにお金を払って最後までつき合ってもらおうっていうことにあったんだけども、つまり、こういうことを持続可能にするためには、会社というシステムが必要なんだ、と。発売が決まってから、そこに気づいたんだよね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p81~82

そこで、次を作るには、会社にする必要があるっていう意識が強くなってきたっていう。いろんな会社に企画書を持って行ったりもしたんだけど、そのためには説得力が必要になってくるというかね。フリーだったり個人だったりということが、非常に大きな壁になってきたんだな。

『田尻智 ポケモンを創った男』p92

創業者自ら製品開発をする

真にやる気に満ち溢れ、高い品質で求める製品を作り上げられるのは、しばしば創業者本人だけである。優秀な人を製品開発要員として雇うには高い金がかかる上、情熱にも欠けている。何より、製品を自作することはユーザーからのフィードバックを得る上でプラスになる。

エンジニアをアウトソースすることの一般的な問題点は、アウトソースした人たちはあなたほどのモチベーションを持っておらず、しばしば極めて高くつくということです。

https://review.foundx.jp/entry/one_order_of_operations_for_starting_a_startup

スタートアップのためとあらば、ハッカーにはビジネスに関して学習する姿勢があります。ビジネス系の人も見習うべきです。もしあなたが自分はこのような姿勢を取らないと言うなら、スタートアップの過程にはコーディングの学習よりもずっと大きな困難が先に待ち受けていることを覚えておいてください。また、コーディングはおそらく、自分に合う共同創業者を見つけるのに要する時間よりももっと短い時間で習得できるであろうことも覚えておくべきでしょう。
(中略)
そうすれば製品の初回バージョンを自分で作ることができますし、たとえそれがひどい出来栄えだったとしても(YCでも非技術系の創業者でCodecademyでハックを学び、プロトタイプが作れるレベルまで習得した人がいました)、リアルなユーザーフィードバックが得られ、モックアップではない実際の製品に改良を重ねることができ、さらには優秀なハッカーを感心させて仲間に加わってもらえるようになるかもしれません。チューリング賞には届かなくとも、あなたに頭脳と強い意志があれば、意味のあるバージョン1を作れるほどには上達できるはずです。

https://review.foundx.jp/entry/non-technical-founder-learn-to-hack

田尻はゲームフリーク創業以前から技術を学び自分で作りたいものを作っており、この条件を満たしている。

田尻は、すでに高専1年生のころから、自身のオリジナリティを盛り込んだインベーダーゲームをつくりたいと考え始めていました。田尻が『俺インベーダー』と名付けていたゲームです。具体的なプランがあったわけではありません。いつかは自分の道を変えたあのインベーダーゲームを超えるゲームを作りたいという決意表明でした。そのために、田尻はプログラミングに必要なC言語などコンピュータについての専門知識を勉強し始め、当時はまだ高価だったパソコンの購入資金を作ろうとバイトもしました。そして、実際にプログラムを組んでみたこともあったのです。

『ポケモン・ストーリー』p31~32

実際、田尻は学生時代に『オリウス』と名付けた自作ソフトを作っています。これは大ヒットしたアーケードゲームを改変したものでした。田尻の話では、「『ゼビウス』で1000万点を出せるレベルのマニアがあらゆるテクニックを駆使してようやくクリアできる難易度」のゲームでした。もちろん、個人的な改造ソフトですから、発表するわけにはいきません。それでも田尻はこう振り返っています。
「自信作でしたよ。それで馴染みのゲームセンターに頼んで、夜中にちょっとだけ置かせてもらったりね」

『ポケモン・ストーリー』p32~33

大学院生のように貧乏な生活、拠点

スタートアップはいつから稼げるようになるか分からない。支出が少なければ少ないほど倒産までの時間を延ばすことが出来、その間にやれることも増えてくる。見栄えを気にせず、大学院生のように貧乏に過ごすべきである。

二番目の利点、貧乏については、利点には聞こえないかもしれないけれど、 非常に大きなものなんだ。貧乏ということは、安く生活できるということだ。 ベンチャーにとってこれは決定的に重要だ。ベンチャーが諦める理由のほとんどは、 資金が底をついたことだ。もちろんその原因となった別の理由があるだろうから、こうまとめてしまうのは誤解を招くかもしれない。 でも、問題の根本が何であれ、資金を食いつぶすスピードが遅ければそれだけ回復するチャンスが増えるわけだ。 そもそもベンチャーというのは最初はあらゆる種類の間違いをするものだから、 失敗から回復するためのマージンというのは貴重なものだ。
多くのベンチャーは、当初計画していたものとは違ったものをやることになる。成功するベンチャーがうまく行くプロジェクトを見つける方法は、やってみてうまく行くかどうか試してみることだ。 だからベンチャーが一番やっちゃいけないのは、強固で厳密に規定された計画を最初に作って、たくさんの資金をそれを実行することに費すってことだ。 なるべく安く運用してアイディア自身が進化する時間を稼ぐのが良い。
近年では、大学院生は実質的にノーコストで暮らせると言ってもいいだろう。 これはより年齢が上の創業者に比べて強力な武器だ。ソフトウェアベンチャーの主なコストは人件費だからね。子供がいたりローンを抱えている人はものすごく不利な立場にある。私が32歳より25歳に賭ける理由のひとつがそれだ。 32歳は、多分より良いプログラマではあるだろうけれど、ずっと高くつく生活を送っていることだろう。25歳だったら仕事の経験は少ないが(それは後で蓄積できる)、大学生並みの安い生活費で暮らせる。

https://practical-scheme.net/trans/mit-j.html

VCから何百万ドルか受け取ると、何か金持ちになったような気になるものだ。あなたは金持ちになってはいないことを認識しておくのが重要だ。金持ちの会社というのは大きな収入のある会社だ。VCの金は収入ではない。それはあなたが収益をあげることを期待して投資家がよこしてくれた金だ。だから何百万ドルという金が銀行口座に入っていようと、あなた自身は依然貧乏なのだ。
多くのスタートアップにとって、モデルとすべきは大学院生であって、法律事務所ではない。クールで安価というところを狙い、高価で派手なのは避けることだ。スタートアップがこのことを理解しているか判断する私たちの方法は、彼らがアーロンチェアを使っているか見るということだ。アーロンチェアはバブルの時に現れて、スタートアップの間でとても人気があった。特に当時すごくありふれていたVCの金で賄っているままごとみたいなスタートアップでそうだった。私たちはすごく安物のオフィスチェアを使っており、肘掛けがみんな取れていた。ときにちょっと当惑することもあったが、今思えば私たちのオフィスの大学院のような雰囲気は、私たちがそれと知らずに正しくやっていたもう一つのことだった。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/start.htm

ゲームフリークはこの条件を満たしている。田尻のライターとしての原稿料という乏しい資金でマンションの一室を借りてゲーム開発が始まっているのだ。但し、この時点では多くのメンバーは学生で、会社は創業前、従って、給料の支払い等も当初は必要としていなかったということには注意が必要である。

田尻は、ライター仕事の原稿料を元に、東京の若者の町・世田谷区下北沢に、仕事場としてマンションを借りました。下北沢なら、実家のある町田とも小田急線一本でつながっています。このマンションで、田尻を中心とするゲームマニアたちは、彼らだけで彼らにとってのゲームというものを作り始めたのです。

『ポケモン・ストーリー』p38

しかし、この状態はラーメン代稼ぎという近年のスタイルに近いと表現した方がより適切かもしれない。

「ラーメン代稼ぎ」という言葉が広まったので、この概念が正確には何を意味するのか説明する必要があるだろう。
ラーメン代稼ぎとは、ベンチャーが起業家の生活費をギリギリまかなえる程度の利益を上げることだ。かつてのベンチャーが目指したのとは違う収益だ。かつての収益は、大きく賭け、最終的に利益を生むことを目指したが、ラーメン代稼ぎが主に重視するのは時間を稼ぐことだ。
かつてのベンチャーは通常、かなりの大金を費やしたあとで、ようやく損益分岐点まで達した。コンピュータのハードウェアを作る会社は、毎年5000万ドルを費やしながら、5年間、黒字化しないかもしれない。だが黒字化したら、毎年5000万ドルの黒字となる可能性がある。こういった黒字がベンチャーの成功を意味した。
ラーメン代稼ぎは正反対だ。1カ月あたりの利益は3000ドルでしかないが、2カ月後に黒字となるベンチャーだ。というのも、25歳前後の数名の社員しかおらず、彼らは事実上、普通の生活程度のお金で生活できるからだ。1カ月あたり3000ドルの利益は、企業が軌道に乗ったどころか、成功への足がかりを得たことすら意味しない。だがラーメン代稼ぎに達したベンチャーは、かつての黒字化したベンチャーと重要なところで一致している。存続のために金を調達する必要がなくなったんだ。

http://blog.livedoor.jp/lionfan/archives/52682058.html

田尻 結局、雑誌の仕事ができるのは実はいいことで、ゲームフリークがどんな状態でも、とりあえず維持はできる。(中略)そういう普通のライターとしての活動をして、ゲームフリークの事務所維持っていう最低のインフラ整備に使うっていう。
――じゃあ感覚としては、雑誌に原稿を書いて、稼いだお金を『クインティ』の制作に突っ込む?
田尻 そうだね。最後は非常にわかりやすい形でそうなった。

『田尻智 ポケモンを創った男』p71~72

複数回の短期プロジェクトで経験を積む

当然といえば当然なのですが、プロジェクトを何回も何回もやっている人がいるチームは、プロジェクトの進め方がうまい傾向にあります。分水嶺は 3 回ぐらいでしょうか。これは仮説どおりでした。
このため、プロジェクトは複数回やってもらうことを前提とした設計としています。最初に作るのは Web サービスなどがサイクルが短くていいなと感じています。ハードウェアは調達が絡むので、どうしてもサイクルが長くなりがちです。ただ Web サービスは大概やりつくされてしまっているのでなかなか難しい…という課題もあります。
何回もプロジェクトをやっている人はお金と時間の使い方がうまくなってくるように思います。特にお金を使って時間を短縮する方法といいますか。シリアルアントレプレナーが強いのはこのあたりかなと。
失敗してもいいから何度も挑戦すること、これを伝えるのはとても難しいのですが、これを繰り返してもらうことで確実に伸びていく手応えはあります。あとはこのサイクルをどう早くするかが課題です。

https://tumada.medium.com/side-project-success-and-failure-pattern-b8b02b27d073

ゲームフリークはこれに完全に該当している。ポケモンの開発が暗礁に乗り上げた時期、短期で完成する受託開発を繰り返して会社の運転資金を稼ぎ、それのみならず開発経験も積み、更には開発者としての信用を得ている。

たとえば『ヨッシーのたまご』なんかは、そういう部分とは違う。任天堂に横井軍平さんという人がいて――もう亡くなられましたけど、あの方に半年でゲームボーイとファミコンで動く、シンプルで面白いゲームを作れるかっていう課題を出されたんですよ。で「やります」と(笑)。最初にモデルを3つくらい持っていったんだけども、そのなかに、エサが2つ落ちてくるっていうアイディアがあって。それを見た横井さんに「落ちた後でも、天秤みたいなもので入れ代えられればゲームとしては上手くいくんじゃないか」みたいなことを言ってもらえたんですよ。それで方向性が決まって、半年でゲームボーイ版とファミコン版を商品化することができた。そこは、今まで話したような、幼少期からの僕の体験とかゲームセンター野郎だった時代の自分とは、少し違うスタンスだと思うんだけども。課題を与えられて、自分はクリアできるのかっていう。プロとしての仕事の仕方を、横井さんに教えてもらったというかね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p24~25

「このゲームには、会社の経営の面で、とても助けられましたね。これでゲームフリークは存続できたわけです」(田尻)
『クインティ』は自主制作ソフトの金字塔ですが、田尻はこの『ヨッシーのたまご』で、キャラクターの扱いにも巧みなことを実証して見せ、たちまちアクション系ソフトのヒットメーカーの評価を得ました。また、『ヨッシーのたまご』で、ゲームフリークは初めて、通信ケーブルによる対戦モードのプログラムも経験しました。この経験は重要だったと、石原は話しています。
「通信のプログラムというのは結構厄介なんですが、このとき、通信で送るべき情報とか中身、そのやり方というものが固まっていったという気が、すごくしますね」
田尻が「明日のためのその1」として作った『ヨッシーのたまご』は、やがて孵るポケモンのための貴重な体験を、田尻とゲームフリークにもたらしてくれたのです。

『ポケモン・ストーリー』p114~115

『ヨッシーのたまご』が出た91年以後、ポケモンが完成するまでにゲームフリークが制作したソフトを数えてみると5本ほどあります。
91年 スーパーファミコンソフト『ジェリーボーイ』
 (ソニーエンターテインメント 5万本 *後にアメリカでも発売)
92年 メガドライブソフト『まじかる☆タルるートくん』
 (セガ・エンタープライゼス 6万本)
93年 スーパーファミコンソフト『マリオとワリオ』
 (マウス専用ソフト、任天堂 80万本)
94年 ゲームボーイソフト『ノンタンといっしょ くるくるぱずる』
 (ビクター 集計なし *後にスーパーファミコン用も開発)
   メガドライブソフト『パルスマン』
 (セガ・エンタープライゼス 集計なし)

『ポケモン・ストーリー』p124~125

そうだね。『タルるート』が出たことで、やっとプロジェクトを立ち上げてから完成までできたっていう。ラインが、ある程度リズムをもってきちんとまわったというかね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p97

田尻 『ヨッシー』はうまくいった作品かな。でも、『ヨッシー』のあとに『マリオとワリオ』を作って、ちゃんと続けて任天堂の商品を提供できたということが大きい。

『田尻智 ポケモンを創った男』p103

『マリオとワリオ』が終わったあとに『ポケモン』完成までのモデルが見えたんだよね。『ヨッシー』と『マリオとワリオ』を手掛けて、会社として持続していける可能性が見えた。『ポケモン』に全力で取り組んでもいいし、ほかのものを選ぶ可能性もある。で、『マリオとワリオ』の直後から『ポケモン』の制作にエンジンがかかる、と。

『田尻智 ポケモンを創った男』p112

資金調達では大成功の可能性を伝える

資金調達では、VCやエンジェル投資家に対し、会社が黒字になる確率の高さではなく、大成功する可能性がゼロではないということを伝える必要がある。というのも、スタートアップ投資とは、確実に少額儲かる投資を多数の会社に対して行うものではなく、多数の会社に投資し、その中の1つが爆発的に成長して大きな利益を得るというスキームで動いているからである。

一見投資家はハイリスクなギャンブルをしているように見えるが、そうではない。このことは同じ構造のビジネスが身近に存在していることから理解出来る。週刊少年ジャンプである。その編集部において、新連載が不評ですぐ連載終了するリスクを重く、大人気になってアニメやゲーム化までする大ヒットになる可能性を軽く見て、新連載を始めないということがあるだろうか(、いや、ない)。この商売が安定して存続出来るのは、連載を始めた段階では単に雑誌に載せるだけであり、マルチメディア展開のような大金を必要とする行動はしないからである。連載してみて不人気なら、すぐ打ち切れば損失は極めて小さく、逆に人気が出れば、それに応じて少しずつ商品展開を広げれば良く、人気の規模に応じた利益を得られる。スタートアップ投資も同じで、先ずは少額のみ渡し、上手くいかなければ資金提供は打ち切り、逆に順調であれば、事業の成長を見て段々と規模を大きくする。そうすると、大爆発の可能性を確保しつつリスクも小さく出来るのである。

お金のある投資家がお金のないスタートアップに対して上の立場ということはなく、投資家もまた起業家の才能を見逃すことを恐れているということは把握しておくべきである。

資金調達を成功させる秘訣は良い会社を持つことです。創業者が過剰にプロセスを最適化させようとするその他物事のほとんどは、その時間の5%ほどの意味しか持ちません。投資家たちは投資するしないに関わらず、この先大成功を収めるであろう会社で、外部資金でこそ急成長する会社を探しています。「大成功」の部分が重要です —なぜなら投資家の運用益は成功の度合いに依存するのですから。もし、投資家が、あなたの会社は100%の確率で1億ドル規模の会社に成長するが、それ以上に成長する可能性は無いと考えたとすると、彼/彼女がたとえ非常に低い査定額であっても投資することは恐らく無いでしょう。どうしてあなたは大成功をつかめるのか、常に説明してください。
投資家は次なるGoogleを見逃すのでは無いか、そして後から省みて馬鹿げたものへ投資して損をするのではないかという二重の恐怖により常に動かされています。(いくら最高の会社であっても、両者を同時に恐れます。)

https://review.foundx.jp/entry/startup_playbook_sam_altman_y_combinator

ゲームフリークはVCやエンジェル投資家から資金提供を受けた訳ではないが、天才の発想がゲーム界を牽引するという任天堂の世界観、及びポケモンの開発が遅れたゲームフリークへの対応は、これに近しいものがある。

天才が作る新しく刺激的なゲームソフトが、ビデオゲームの裾野を広げ、マーケットを育てていく。それが山内の考えでした。
しかし天才は――、山内は考えました。訓練や教育によって作ることができるものではない。だから、天才をこの業界に招かねばならない。招いてアイデアを頂戴しなければならない。となれば、ダイヤの原石のような天才たちのアイデアを磨き上げるために、知恵と技術と資金を出す受け皿が必要になる――。
ここで任天堂と糸井重里が結びつきます。山内は、業界外の新鮮なアイデアの受け皿になる会社を設立することにしたのです。それが株式会社エイプでした。山内は以前から付き合いのあったコピーライターの糸井重里をパートナーに選びました。
(中略)
そのエイプに飛び込んできたのが、ゲームボーイの通信機能を「交換」に使うゲームという、誰も思いつかなかったアイデアを持った田尻だったのです。実は田尻が『カプセルモンスター(仮)』のプレゼンテーションを行ったのは、任天堂東京事務所のビルにあったこのエイプでした。任天堂にとっては、田尻がやってきたこともエイプ設立の大きな成果でした。山内の言う「天才の受け皿会社エイプ」は立派に機能したのです。

『ポケモン・ストーリー』p96~97

それにしても、開発を委託した任天堂は、この遅延をどう見ていたのでしょうか?川口はこう話しています。
「毎年決算の時期になると、経理が『この費用はいつまで前渡し費用にしておくんですか? もう損金にした方がいいんじゃないですか?』と言ってきてました。支払ったままでその対価が入ってきていないので、経理上、引っかかったままになるじゃないですか。そのたびに、すみません、もうできると思いますからって言って、引き延ばしていたんです。損金としてと閉じてもよかったんですけどね、経理上はね。でも、ぼくのイメージの中で、続けておきたいというのがあったので。でも、休止していた2、3年の間には、ポケモンはぼくの意識の中ではかなり薄くなっていましたね」
これは破格の対応でした。もちろん任天堂にこのときの開発費を宙に浮かせておけるだけの余裕があったからできたことではありますが、それに加えて、石原と田尻に対して全幅の信頼を置く川口だったがゆえにできたことでもありました。その信頼とは、人情のしがらみとか人柄といったウェットな信頼関係を指しているのではありません。才能です。石原と田尻が持つ、それぞれ人に抜きん出て優れた才能です。その石原と田尻が作りたいと言っているのであれば、作りたいものを作ってもらえばいいのではないか。それが任天堂の社員である川口のポケモンへの参加の仕方でした。
「本質的にぼくはクリエーターではありませんが、彼らとは全然違う発想で、彼らのやりたいことを取りまとめていくというのが、ぼくのクリエイティブだと思っています。マクロ的なクリエイティブですね。任天堂の中で法務の仕事だけしていれば、法律に縛られ、ロジックで論理的に物事を整理し、規制していくということになりますが、石原さんや田尻君、それに糸井さんや多くのゲーム業界のクリエーターの人たちと交流するうちに、自分ももっとクリエイティブな仕事に関わっていきたいと思うようになったわけです。これだけの優秀な人たちですから、学ぶことがたくさんあるわけで、それをリーガルというフィールドにフィードバックしていったわけです。論理的に説明するのは難しいのですが、ぼくは任天堂の社員として、彼らとは全然違う発想で、彼らのやりたいことを取りまとめてゆこうと思ったんです」

『ポケモン・ストーリー』p119~120

成功のみならず失敗までにも予想以上に時間が掛かる

成功まで時間が掛かるという事実は文字通りだが、敢えてわざわざ言う必要がある。そもそも起業したということは、思い付いたアイデアが本人を起業に駆り立てる程に素晴らしい(と感じさせる)ということであり、そんな素晴らしいアイデアはすぐに大成功すると思ってしまう。始めてみれば分かる、そんなことにはならない。

多くの創業者、特に学生の創業者は、自身のスタートアップはわずか2~3年で軌道に乗り、その後は本当に好きなものに取り組めると考えています。しかし、ほとんどはそうはなりません。優れたスタートアップは軌道に乗るまで10年を費やすのが普通です。

https://review.foundx.jp/entry/idea_product_team_execution_why_to_start_a_startup

しかも失敗するにしても、すぐに失敗だと判明させてはくれない。成功するのか失敗するのか分からないまま、何年も上手くいかない状況に置かれ続ける。

人は、起業する段階で、非常にストレスを感じ、物事がうまくいかず、気に入らなかったらすぐに投げ出してしまいます。創業者にとって投げ出してしまうことは可能ですが、それは実に格好悪く、今後のキャリアの大きな汚点となります。順調であれば10年、順調でなくとも5年程度は仕事に専念することになります。つまり、会社が順調にいかないことを判断するのに3年、会社の着地点をうまく見つけられたら、その後買収企業で2年です。その前に放り出してしまえば、金銭的に窮地に追い込まれるだけでなく、会社の全従業員を窮地に追い込むことにもなります。つまり、運がよければ、ひどいスタートアップのアイデアで、すぐに失敗するでしょうが、ほとんどの場合はそうはならないということです。

https://review.foundx.jp/entry/idea_product_team_execution_why_to_start_a_startup

ゲームフリークも同じく、当初ポケモンは1年で作る予定であったが、実際には6年も掛かっており、その間にプロジェクト瓦解の危機を何度も迎えていた。

ポケモンの場合、開発期間は1年ということになっていました。1991年末が納期です。しかし、その最初の1年はあっという間に過ぎてしまいました。それどころか、その翌年になっても、翌々年になっても、一向に出来上がりそうにありませんでした。
そして92年からの数年間は、開発そのものがストップするという事態になってしまいました。その間に試作品をエイプと任天堂に見せたこともありますが、完成にはほど遠い状態でした。石原によれば、完成したゲームの定義は、「ゲームタイトルが出て、ゲームをクリアできて、エンディングのスタッフロールが流れて終わり、リセットボタンを押すとまたゲームの最初のゲームスタートのシーンに戻るという状態になったゲーム」というものです。この言葉を借りれば、ポケモンは何年間も、ゲームのクリアができない状態が続くことになってしまったのです。

『ポケモン・ストーリー』p104

多くの人に対し責任を持つ

人は皆、自分が起業した会社のCEOとなりピラミッドの頂点に立つというビジョンを持っています。これをモチベーションとする人もいるですが、現実は全く違います。
現実はこうです。自分以外の人全てがボスなのです。会社の従業員、顧客、パートナー、ユーザー、メディアなどです。私はこんなに多くのボスを持ったことがなったし、こんなに多くの人に説明責任を負わなければならなかったこともありません。
大半のCEOの時間は他の人への報告に費やされています。少なくとも私や私の知っているCEOはそう感じています。人に権力や権限を行使したければ、軍隊か政界に入ることです。起業家にはならないでください。

—Phil Libin

https://review.foundx.jp/entry/idea_product_team_execution_why_to_start_a_startup

田尻も同様でポケモンの完成前から苦しかった。そしてポケモンが発売されて大流行を引き起こしてからは、金銭的な苦しみからは解放されるも、社会的な責任はより重くなった。

で、全体のスケジュールがおされて、苦しい思いをしていくのと同時に、『ポケモン』にはまだまだ時間がかかる。なかなか形にならなくって、当時エイプにいた石原さんに相談をしに行くわけだ。「苦しいんです」と(笑)。苦しいって思うのは、金銭的に苦しいと、「苦しい」って思うわけだよね。ゲームの出来がどうこうっていうことに関しては、作っているときはあまり不安にならないんだけど、さっき言ったように社員にしたんだからお金を払わなきゃいけない。責任上、月単位に支払う給料があって、それが目に見えて苦しくなるのが、'91年くらい。『ジェリーボーイ』ができるかできないかくらいだね。

『田尻智 ポケモンを創った男』p97

ただ、もう会社にした以上、自分はともかく、社員がいますからね。自分は食べないで我慢できても、他人はそうはいかない。会社を作るというのはぼくにとってすごく負担だったですよ。会社を作るっていうのは、他人に責任を持つことの証明だと思ったわけです。それで、石原さんに相談して、なんか、ポケモンをやりつづけるために、とりあえず明日のためのその1みたいな形でね、何かする仕事はないでしょうかと相談したんですよ。
それでできたのが『ヨッシーのたまご』だったんです。

『ポケモン・ストーリー』p488

――で、『ポケモン』までは、そういうアマチュアリズムというか、インディペンデントな作り方をずっとやられてたと思うんですよね。
田尻 そうですね、『ポケモン』まで。まあ、最初の『ポケモン』までだろうね。それ以降はアマチュアではいられない。ワールドワイドに市場が広がったことによる非常に複雑で多層化した責任とか、法体系の学習とか。やっぱりそういう面で大人にならないと、これだけ爆発的に売れた後の責任が取れない。そこをキチンと取るのがプロフェッショナルであるっていうことだとも悪うし(原文ママ)。

『田尻智 ポケモンを創った男』p36

田尻 うーん、どうかな。今はどちらかというと、経営的な側面が強いのかな。いろんな右往左往を経て、5年くらいかけて『ポケモン』を仕上げたときに、制作のプロ集団としてのゲームフリークは、ひとつ、大きなテーマを出した気がしてるんですよ。ゲームフリークはゲームを作って、いろんな会社に良質なソフトを提供する。その外側には、さらに大きなビジネスのボリュームがあって、そこをウチが吸収して自分でやるようになるのか、それともゲームを作ることに特化するのかっていう。『ポケモン』のときでも、実際に売るエネルギーとして、任天堂サイドで膨大な人が動いている。それはきちんと認識しないといけないって、売れたときに思ったんだよね。任天堂の持ってる商品を売るエネルギーを無視してしまうと、どんなに面白いゲーム作っても、具体的に世界中で売れるというリアリティがつかめない。かといって、ゲームフリークが営業や製造やマーケティングを全部やるのかというと……。そこはちょっと、結果が見えなくなった。しかも現実には、『ポケモン』自体のマーケットの拡大と周辺事業が見えてきて、それをウチらの外側に、オプションとして作る必要が出てきた。つまり、ゲーム以外の“ポケモン”っていう世界観を維持するための、システムとビジネスモデルを作ろう、と。

『田尻智 ポケモンを創った男』p109~110

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