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息子たちへ。私は祈りをこめて「月が綺麗だね」と伝え続ける
その日は、ちょうど真東に向かって車を走らせていました。
家族で遠出をした帰り道。すると目の前に出てきたばかりの、大きな満月が姿を表しました。ほんのり赤みを帯びた薄紫色の美しい満月でした。
まるで吸い込まれそうな圧倒的な存在感です。
「あぁ、本当に綺麗だね」私は子どもたちに語りかけました。
「うわ!ほんとに、おっきなお月さまだね~」と応えてくれました。
いつもの保育園からの帰り道。
空を見上げて月を見つけた時、私は必ず、自転車の後ろにのせた次男に、「お月さまキレイだね!」と語りかけるようにしています。
もともと天体にも興味があり、前職では小学生に向けて、月や天体について教える本を何冊か作っていました。だから、他の人よりは空を見上げて月をみてきた回数も多いかもしれません。
「月が綺麗だね」
これまで何気なく口にしていた言葉でしたが、実は、この言葉に、深い祈りの気持ちをこめていることに、最近、気がついたのです。
私が、息子たちに「月が綺麗だね」と伝えるワケ
朝、早起きをしたときに、私の一番の楽しみは、窓から朝日が出るのをみることです。深い濃紺の空が、朝日の光で明るい橙色を帯びながら染まっていく様子を視るのが好きです。
どんなにモヤモヤすることがあっても、どれだけ悲しい出来事が起きても、世界中が不安で包まれていたとしても、毎朝、同じように朝日は昇ります。
月も、いつも同じように満ちてかけていきます。
どんなに私が小さなことで一喜一憂し、心のうちが目まぐるしく変わったとしても。何も変わらずに、ただそこにあり続ける太陽と月の存在の、ありがたさに、ある時、ふと気がついた瞬間がありました。
それは当たり前のように思えるけれど、全く当たり前ではない。
というような不思議な感覚でした。
何もかも変わり続けるこの世界の中で、こんなにも確かに、同じであり続けてくれる存在に気づき、心底、ほっとしたような感覚でした。
私が息子に「月が綺麗だね」と伝える理由。
それは、どんなに人生に困難が訪れようとも、全てを失うような出来事が起こったとしても。
ふと空を見上げたときに、月を見て、どうか希望を少しでも見出せるように。心が少しでも優しく癒やされることがありますように。
そんな祈りの気持ちを込めていることに気がつきました。
なぜなら、月だけは、変わらずずっと息子たちのそばで昇り続けてくれるからです。
1瞬の運命のいたずらで、人生が変わってしまうこともある
この地球上で生きているのは、確かなようで、実はとても脆いものです。大きな地震がくれば建物は壊れ、大雨が降れば川は氾濫し、濁流が家をのみこみます。2011年の3月11日も、まさにそのような日だったと思います。
たとえ何かで成功したように見えても、急に失落するということもあります。愛情をこめて育ててきた愛する子を、突然、交通事故で失うこともあるかもしれません。
一生懸命に真面目に生きてきても、たった一瞬の運命のいたずらや、抗えない争いが引き起こした戦火の中で、人生が様変わりしてしまうことは、どうしてもあります。
それを防ぐためにも、私たちは知恵をふりしぼって、助け合い、毎日を懸命に生きています。
どうか、この平和な毎日が続きますようにと、祈りをこめて。
でも、もしも、その祈りが届かなかったとしたら。
なにかも奪い去られてしまうような事があったときに、ふと月を見上げて「綺麗だな」と、心がほんの少しでも優しく慰められるような瞬間があったらいいなと。
何もかも失った時に、「月」だけはきっと、確実にそこにあり続けてくれると思うからです。
お日さまに守られているという感覚
そもそも、考えてみれば、太陽があるからこそ、全ての生きとしいける物は成長し、食べ物を得ることができます。
太陽は全てのものの源である。その太陽が毎日昇り続けている。
もしかしたら、古代の人達や、もっと昔に生きていた人たちは当たり前のように感じていたかもしれないこと。でも、私はすっかりそれを忘れていました。
私は、何か大きなものに守られているのかもしれない。そんなことに、人生の半ばに来てようやく気づき、朝日をみるようになりました。すると、不思議とお日様に自分が愛されているような気持ちをもらうようになりました。
月も全く同じです。
月明かりを浴びながら、夜道を考え事をしながら歩くのが好きです。不思議と守られているような気持ちになり、1人でいても寂しくないのです。
私が息子たちに伝えていきたいこと
伝えたいことはたくさんありますが、身近な美しいものに気づける心を伝えたいと思っています。
歩いていて、ふと気づく、道端に咲いた花。
春になると咲く、梅やユキヤナギ、そして桜、木蓮。
木に止まっている美しいメジロ。ハクセキレイ。川で魚を、懸命に探すカワウ。
天体と同じように、身近には沢山の美しいものに溢れています。美しい彫刻や建造物など、芸術もそうだと思います。
そのことに、気づいて欲しい。美しいものに気づく感性は、心を守ってくれると感じています。
最も身近にある美しいものは、私たちの身体でもあります。一番美しく精巧な作りで、どんなに科学が発展しても、この作りは再現できません。最も神秘にあふれているのは、まさに私たちの身体です。
そんなことにも気づき、自分を大切にして欲しい。そういう感性を、息子たちに伝えていきたいと思っています。
その心は、いつか出会うかもしれない困難に立ち向かうための、大切な基礎になると思うからです。
最後に、私が最も好きな本のうちの1冊である
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』から、引用します。
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きたり疲れたり、孤独にさいなまされることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。 地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
レーチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』
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