見出し画像

第790回【圧巻人生日誌 日々是成長】781(2023/7/26)▲▲富士山登ってきて分かった、弱くても走るのが嫌いではない理由▲▲


最近朝5時ごろの散歩を再開したのですが、

この時期日の出とともに

北アルプスが朝日で照らされ

山の端がくっきりと映し出され美しい姿を見せます。



自宅近くから見える3,000メートル級の山を見て、

富士山良かったなと1週間半前の出来事に

思いを馳せるのであります。

(もう2週間も経とうとしているとは)


しかし登ることが大嫌いな私が

なんで富士山登って達成感を感じられたのか。

これは実に不思議、

嫌いであるはずのことをやっているのに

何故このような気持ちになれたのか。



恐らく、

黙々とやっていても周りから非難されたり

迷惑をかけることも最小限にできるから

だと思うのです。



パーティを組んでいるので

団体行動であることに変わりはないのですが、

一歩一歩進んでいくことは自己責任だし

トレイルランの大会ではないから

自分のペースをある程度維持しても許容される。



そしてこれは、

弱小ながらも走ることにも同じことが言えそうです。



以前より書いている通り

私は体育の成績が10段階で1ですから、

体を動かすあれこれのスポーツは大嫌いなのです。(でした、かな)



これは事後的に分かったのですが

体育の成績が悪かったのは、

そもそも団体競技が苦手

個人の好き嫌い関係なく強要されるのが我慢ならない

協調性がないと判断される

成績も下がるスパイラル

という一連のロジックがあったようです。



ホントに子供の頃から

好きでもないことを押し付けられるのが

嫌で嫌で仕方がない。

バスケットとかバレーボールとか

心の底から勘弁してくれと思っているのに、

やらなければならないあの苦行の日々。

今思い出しても涙が出そうです。



一方で走ることには

あまり苦を感じなかったのです。



さすがに足の長さの問題もあるので

短距離走には不適合であることは間違い無いのですが、

長い時間、長い距離を黙々と

走っていることが許されるマラソン競技は

私の性分にどうも合っていたようなのです。

恐らくそういう気性が無ければ、

無謀にもウルトラマラソンに出ようなどとは

思いもしなかったはずですから。



富士山を登ることを決めた際も、

どこかで不安はあったけれども

自分ならなんとか登り切れるという

根拠のない自信だけはありました。



これは、

嫌いなことではないから、

という理由によるものだと思います。



走ることも同じ。

嫌いではないので続けられるのでしょう。

好きでないことは続けられない。



村上春樹が

『最も重要なことは学校では学べない』

と何かで書いていました。

私も学校の押し付けシステムの中で

何もできない自分に劣等感しか感じませんでしたが、

走ることも山登ることも大人になってから

自然の成り行きで学んだこと。



そして

何時間も走り続ける、登り続けるという持続力は、

生まれつき持っていたわけでは決してなく

後から身に付いたものであるようです。



結論。

人は得手不得手というのが必ずあるけれども、

好きになれるものは何かしら必ずあるはず。

それは年齢の若い老いは関係なく、

見つけられるものだと思います。

今日も良き1日をお過ごしください。

=======================
★★今日の圧巻人生方程式★★


人には得手不得手が必ずあるもの。
苦手なことを頑張ることも大事だが、
苦にならずに自分を突っ込むことができることを
見つけることは更に大事かもしれない。
=======================

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?