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父と母は有給休暇でデートする

※この記事は以前大学に提出したレポートを書き改めたものです。コピペをもとに改めているため、変なところにスペースがあったりしますが気にしないでください。


私の父はある企業に勤めるサラリーマンだ。父の会社は完全週休2日制で、毎週月曜日から 金曜日まで働き、週末は家にいる。父は習慣を守るタイプで毎朝 5 時 55 分に起床し、6時23分に家を出る(その間のルーティンもお手洗いに行くタイミングまで決まっている)。
社名は伏せるが、会社のホームページによると1日の就業時間は実働7時間40分。水曜日はノー残業デーのため、18 時半頃に帰宅(通勤に 1 時間10分かかる、あとスーパーに寄ったりする)、それ以外の曜日も、大抵19時過ぎに帰宅している。かなりホワイトな企業だ。


そんな父が今年度(※2019年のこと)から平日もたまに家にいる。2019年4月から、労働基準法の改正により、 すべての企業において年 10 日以上の年次有給休暇が付与される労働者に対して、そのうち 5 日 は取得させることが義務付けられたかららしい(父の会社では内2日は夏休みなどの長期休暇に付け加えるような形で取ることになっている。計画年休だそうだ。これに関してはいつ取得しても良いという前提はどこへいった、とも思ったが、会社全体でこの法律に従うために休みを会社の制度として組み込んだのだろう)。
父はすでに3 日分を取得している(=※2019年7月末の時点ですでに5日有給休暇をとっている)。水曜日の半休2回、 金曜日に2回。金曜日に取得して 3 連休にするのだ。水曜日は両日とも病院に行ったらしい。
金曜日、私は 2 限があるので 8 時頃起きる(実際に学校に着くのは 11 時 40 分以降で 3 限だけ出て帰る。朝の準備にこだわりがあるので授業<お化粧&お洋服、必ず遅刻する。さらにいえば本当は4限もあるのだが、コメントペーパーを出せばテストの評価に加点される採点方式にも関わらず、出ていない。父と違い、かなりルーズで落ちぶれた大学生だ。なお、これは本文とはあまり関係なく、2019年後期よりきちんと学校に通えるようになった)。


一番最近有給休暇を取得した日、私はいつも通り 8 時にアラームをセットしていたのだが、 休日も早起きの父によって、7 時 45 分に起こされた。“せいちゃ〜〜ん!起きる時間の 15 分前 だよ〜!”と半笑いで言う父の声を聞き、働き方改革なんて...!と、思った。父が母と二人で映画館に行くので浮足立っていたのはわかる。でも朝の最後の15分はほんとに大事なんだから!
しかし思い返せば、父が休日出勤も残業もほぼ無く(無論、忙しい時期もある)帰宅するよう になったのは最近のことではない。父は、まだ私達が社宅に住んでいた 15 年前も、休日出勤などほとんどしていなかった(今よりはあった。土曜日に私服で会社に行く父の姿が記憶にある)。
父の会社は今のように休みを取らされる時代になる前からホワイト企業だった。当時母は、 自分の夫が勤める会社が残業も休日出勤もあまりない、良い会社だと思っていたそうだ。

だがある時、同じ社宅に住むママ友にそう伝えたところ、彼女の夫は、“残業も休日出勤も している”、“澤田さんだけだよ”、と怒られたそうだ。
他の人が働くなか、父は帰ってきている。他の多くの社員が休日にスーツで出勤するなか、 父は本来なら休日なのだからと私服で行く。実際は父の会社がホワイトだったのではなく、父 が自分にとってホワイトな環境を作っていたのだった。
そうすることで、父が同僚に責められたり、上司との関係性が悪化したかは分からないが、 会社という組織のなかでは少なからずそういうことが起こりうる。父のような労働者にかかる 圧は会社の規定によるものだけではないことを知った。実際、母は直接的ではないが、早く帰っても大丈夫なのか度々確認していたように思う。
ここで、同僚から圧がかかった例として、ある労働者のツイートを取り上げたい。 (うさぎのみみちゃん@usagitoseino さん)
https://twitter.com/usagitoseino/status/1147293466327564288?s=21
このツイートでは、風邪による欠勤を有給休暇にした人に対して他の同僚たちが「空気読め ない」「迷惑」と影で言う姿が 4 コマ漫画で描かれている(作者曰く、彼らに悪意があるわけではない)。
作者はこの現実を目の当たりにしたため、感染症以外では「これは死ぬ」と思わない限り、 有給休暇を取らないことにしたそうだ(絶対に出社しようと決めた)。
本来ならば、有給休暇は権利なのだから理由がデートだろうとショッピングだろうと、関係 ないはずである。そもそも有給休暇を取る理由を聞くこと自体がナンセンスだ。
しかし、権利として有給休暇を取得できても、このように静かな圧がかかることで、権利が形骸化して意味のないものとなる。
労働者の権利のはずが、その労働者から同調圧力がかかる。きっとこの人たちにとって有給休暇は緊急用、趣味や単なる休養のために取るものではないという認識になってしまったのだろう。雑な表現だが、みんなが我慢しているのだからあなたも我慢するのが普通、ということだ。本来もっと自由な(使い方が労働者に任せられた)権利だと理解していながら、嫌々従う もいる一方で、“みんなで我慢”という負の結束を美徳とし、美談のように語る人間もいる。 いずれにしても、“権利なのだから自由にさせろ”と言える人間、言わなくとも自由にしている人間は少ない。
働くことにサービス精神は必要なのだろうか。
週 5 日(もしくはそれ以上)働き、自らの生活(ないし家族の生活)を支えている人から見れ ば、いつでも辞められるアルバイトで自分の趣味用のお金を作っているだけの私の意見は、甘いだろうか。

以前、私は塾講師をしていた。半年ほど働いた段階で塾のサービス残業の多さや、授業の組み方に疑問を抱いていたが、「まぁ、(自校の)社員さんは良い人だし良いか」と思ってい た。
しかし、ある会議でしれっとサービス残業を強要されたことをきっかけに、その残業に不満を抱くようになり、同時に、“社員が良い人だろうとおかしいものはおかしい”と思い直した。
働くことにサービス精神など要らない、決められたルールの中で自分の仕事をこなせばそれで良い、そうあるべきだと。冷静 に考えれば当たり前のことなのだが、当時の私は“良い社員”、“みんなも無給”という静かな圧に無意識に染められていたのかもしれない。きちんと給料の支払いを求めることが“口に出せない理想論”になっていた。
同時に、仕事におけるサービス精神に染められていたのはアルバイトの私だけではなく、社員もであった。辞める直前、働き方改革で 決まった時間に教室のパソコンの電源が落ちるようになった。多くの社員が深夜まで働いている状況を改善するためだ(アルバイトスタッフだけで夏期講習の打ち上げをした際、深夜 1 時頃まで教室に電気がついていた。さらに午前中も授業はないが社員会議がある)。
しかしながら、これは改革になっていない。人が増えたわけでも、全体の仕事量が減ったわけでもないので、結局社員ひとりひとりの仕事量は変わっていないからだ。むしろ、社員さんたちは勝手にパソコンの電源が落ちることで「休日に出勤しなきゃいけない、それなら前のほうが良かった」と言っていた。

そこにも、仕事を減らし、人員を増やすという理想的な環境を語る人はいない。


このように、働き方改革のために、社内で残業時間や休日出勤に制限をかける(ルール作り をする)会社が増えた。しかし実際は、そのルールを守るために半休を増やして出勤日数が増えたり(負担の多いシフトを組まざるを得ない)、制限を超えないためにサービス残業をしたりと、会社の形式的な働き方改革に、会社の足となる労働者が振り回されているところもある。仕事量は変わらないのに、勤務時間や出勤日数などの数字ばかり減らして、結局そのルールに沿うために様々な調整をする手間が増えているのだ。

労働者のための働き方改革が、労働者の努力によってなされる“会社のための外見上のホワ イト化”という“業務”にすり替わってしまっている。労働者がこの手間をかけざるを得ないような仕組みはでは意味がない、これをやらせている時点でダメだ、と思うのだが...。
父の会社の話に戻れば、5日間の有給休暇の内2日は夏休みなどの長期休暇に付け加えるよ うな形で取ることになっている計画年休の制度も、いつ取得しても良いはずの有給休暇を会社の意向で本来の有給休暇の制度より権利の範囲が狭まっているという意味で、負担になっている。ここでもまた、労働者の“サービス”が増えている。
働くことにサービス精神は必要なのだろうか。
現状、アルバイトが楽しく、社員さんはどんなに忙しく(上記のようなサービス=手間を余 儀なくされていて)も、「頑張っているのは分かったから帰りなさい」と言い、何か困ったことがあれば話し合う時間を作ってくれる、そんな環境に身を置いている私の意見は、甘いだろうか。
今回レポート作成にあたって、父と働くことについて話す時間を設けた (こう書くと堅苦し いが、仕事のこととか聞いたでしょー?レポートにしてるよーくらいの感じだ)。
父は有給休暇に関して、私が有給休暇を取るとき理由を聞くのはナンセンスだと言うと、「あれおかしいんだよ。病院に行くのと(ただ休むのでは)扱いが違うの。別になんの理由だって良いでしょ、なんならディズニーランドでも良いんだよ。扱いが違うの。同じ"1(回の休み)“なのに」 と言った。父もまた静かな圧を感じていたらしい。
母はそんな父のことを心配している。「父が自分に任せられた仕事以外はせず、器用にこなし、すぐ帰ってきているだけで、他の人から反感を買っているのではないか。合理的すぎるところがあるから。」と。母曰く、父の仕事はクライアントの納期にも気を遣ってなされていて、定評があるらしいのだが、もし父の仕事の質が低かったら、こんな風に帰っては来られないだろうな、とも思う。

私が高校に入学したのと時期を同じくして、父は社食通いをやめ、私と同じ弁当持参にした。 私は単に母のお弁当が食べたいんだと思っていたが、母は、父が小声で「面倒」と言ったのを聞 いたらしい。いろいろ理由はあるだろうが、簡単な例を挙げれば、必ず食後に昼寝をする父に とってみんなで社食を食べるのは億劫で、面倒な環境は排除したいのだろう(私も、周りの面倒 な人間関係を排除していくところは、父と似ているかもしれない。私は思ってもいないことに 同調したり、人と違うことを言って否定されたりすることが苦痛だった。そもそも同じ意見など存在しないのに、集団生活ではかなり、常に、それを求められる。素直に生きたいだけなのに)。
父は確かに合理的だが、そこに葛藤が無いわけではない。長く働く間に、きちんと自分がな すべきことをこなす大事さを理解したからこそ、ある程度のところで色々なものを排除すると いう選択に至ったのだと思う。その選択は、決して甘くない。


父は有給休暇を取る。母と映画館に行った日は、アラジンを観たらしい。
有給休暇は本来こうあるべきだと思う。時代に合わせてルールだけが立派になっても意味がない。楽しく、きちんと休むための休暇なのだから、積極的に自分の目的のために利用した方が良い。おかしいと思うことに、無理に従う必要も、みんなが頑張っているからとサービス精神を持ち出す必要もないのだ。
その日私が帰宅すると父は「『アラジン』は良いね、分かりやすくて。最近の良作 3 本に入るよ。 『アラジン』と『ライオンキング』(=実写版『美女と野獣』のこと、父はライオンキングを観たことがない)と『君の名は。』だね」などと言っていた(父は映像を理解するのが苦手で、『アナと雪の女王』や『ハリーポッター』の 2 作目以降は内容を理解できなかった。実のところ『君の名は。』も理解できているのか怪しい。なお、これも本文とはあまり関係ない)。とにかく楽しそうだった。
決められた範囲内の仕事をすれば、それで良い。働き方は、会社や周囲の影響を受けた不自由な二択(例:深夜 1 時まで残業するか、早い時間に退勤する代わりに休日出勤するか)から選ぶ のではなく、理想的な一択(例:仕事量を減らす)を選択(できるように)すべきだ。有給休暇は好きな人とのデートのために使いたい。それで会社が回らなくなるのであれば、改革が必要ということだ。理想を語ることは、甘くない。父が自らホワイトな環境を作ることは、決して甘くない。そう考える。

そして私も有給休暇を取ってただの週末に旅行とかしたい。

※現在の父の働き方は父の努力だけで成り立つものではないので、父の職場環境についてレポートでは年表にまとめていたが、ここでは身バレ防止のために省略する。

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