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祖父との思い出

こんにちは、澤田です。

今回は少し思い出話を。
4年ほど前に肺がんで亡くなった、母方の祖父の話です。

祖父は、タバコやお酒が大好きでした。お医者さんに止められてどちらもやめましたが、時すでに遅し。
がんの摘出も、手術自体に耐えられない可能性があり、ただそのときを待つことになりました。祖父が亡くなる約2年前のことです。

当時まだ中学生だった私と妹にはそのことは伝えられず、亡くなる3ヶ月前になってようやく、余命宣告を受けていることが知らされました。


祖父との思い出。祖父に関する記憶。

高校野球が好きで、盆に帰ると、話しかけても気づかないくらいずっとテレビを観ている祖父。

自営業の鉄工場で、火花を散らしながら作業をし、靴下に小さな穴がたくさん空いている祖父。

我が家唯一の理系である私の父に、新しい部品について相談する祖父。

父が祖父に数学を教えているところを何度か目にしました。祖父は学校には行っていなかったけれど、常に新しい知識を吸収しようとしていたと思います。


祖父が、"こういう部品があったら便利だと思うんだ"と言って見せた図が、自動車に使われている部品とほぼ同じものだったことがあったそうです。
祖父は、"それもうありますよ"と言われるまでその部品の存在を知りませんでしたが、確かにそれを生みだす力のある人でした。


亡くなって数年。妹は、祖父と話した覚えも、家に居た覚えもないと言います。実の娘である母も、あまり良い思い出はない、いつも居なかったと。

今思えば、私も祖父と話した記憶はほぼありません。唯一、記憶にあるのは幼稚園のころ、

"好きなの持っていっていいよ"

と小さなばねやネジの入った紙の菓子箱の蓋をテレビ台の下から引っ張り出した祖父です。

私が来る度に部品をいじるようになったので、階段下の物置からも新しく部品を持ってきた祖父は、嬉しそうな顔をしていた気がします。


小さな部品を組み合わせて、"鍵"を作るのが好きでした。もちろん、何かを開けられるわけではありません。鍵のように見えたから、鍵。

あと、柔らかいバネも触っていて面白かったからお気に入りでした。

私の様子を見ていた祖父は、中にバネが入っている、鉄のネズミを作ってくれました。

もしかしたらロケットかもしれないし、他のものかもしれません。でも私にとってはネズミでした。外の部品をスライドすると、バネの力でびゅんっと元に戻るようになっていました。

今も自室に、鍵とバネと、今は動かなくなった鉄のネズミがとってあります。


ガチャガチャのミニカーが動かなくなったときは、蓋を開けて外れたゴムを元に戻して、もう一度動くようにしました。
家のフローリングに傷がつけば、私が色を塗りました。

でも、鉄のネズミを開けたことは一度もありません。中の仕組みを知っているのは祖父だけ。祖父は私にとって、ただひとりの"創造者"で、私に描き、作り、考えるきっかけを与えた人でした。



今回はこの辺で。また月曜日に。

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