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今から終活する大学生

今年度、大学3年生になりました。澤田です。

5月の第3週から新学期が始まってはや1ヶ月。
そろそろzoomにも慣れてきました。

一方で、あまりにも多い課題を上手く捌くことができず、課題の期限やアルバイトの予定に合わせて徹夜をかますこともしばしば。
そんなことすれば次の日の作業効率が下がるのは言うまでもないのだけれど、それでも期限直前に生まれるやる気でなんとかやるしかない。


こんな感じでなんとなく忙しいなか、実は来月、ある授業で個人発表があるんです。
今回は、先日までその授業で発表する予定だったけれど、他の学生と被ってしまい、静かにボツにしたテーマを成仏させようと思います(別に被っても良いんですけど、筆者は人と比べられることが苦手なので、静かに消しました)。

発表のテーマは自由。
だいたい15分くらい自分のテーマについて喋って、そのあと話し合う。ゼミっぽい形式の授業です。


私は、20歳の突然死(ここでは、死因は問わずとにかく今この生活を続ける中で死ぬこと)を考え、『終活をしたい私』のミニエピソードを2、3紹介する予定でした。

20歳の私も死ぬかもしれない。
人間いつかは死ぬんだから、明日死ぬことだってあり得ると分かってはいるけど、なかなか現実味がない。

あくまで、
"いつかは終活しなきゃなぁ〜"
というスタンスを取りがちです。
だからこそ取り組もうというわけです。


実は少し前の記事で、終活の導入記事を書きました。
簡単に振り返ると、祖父が亡くなるまえに少しでも身辺整理をしていれば、もっと家族で静かに送れたんじゃないかという内容です。

それとは違うエピソードを書いていきます。


私の母はよく、
「私が死んだら骨はお墓に入れず海とかに撒いてくれ」
と言います。いわゆる散骨です。
散骨の是非はともかく、なぜ骨を撒いて欲しいか聞いたところ、
「狭くて暗くて湿ったところに閉じ込められたくない」
「死んでまで家族一緒に居たくない」
というようなことを言われました。母の言いたいことは少しわかる気がします。

一方で、もし散骨して欲しいなら、死ぬ前に撒く場所を(もちろん許可されているところで)探しておいて欲しいと思うわけです。
母が亡くなって(もしくは余命が宣告されて)そこから母の行き先を探すのは忙しない。

ちなみに、私は散骨されたくないのです。
私の燃えかすが海や土を介して世の中を回ると思うとゾッとします。実際どんな影響があるかはさておき、私の骨が広まることが、何かを汚染するような気がします。
自分がされたくないから、母の望むような場所を見つけてあげられないとも思います。

墓の中に誰かと入れられるのも嫌なので、直感的に最も感覚に近いのは、狭いロッカーに骨壺をしまうタイプのやつです(なんて名前なんだろう)。
そもそも墓石に名前を刻まれたり、墓そのものの形を残すことも、私の直感と合わないです。


このように、色々と考えてみると、かなり細かい希望が出てきます。
どれが良いとか、悪いとかではなく、それぞれの望む死後の在り方には思想や宗教、自分をどう捉えるかなど、一言で語りきれない要素が絡んでいます。
私が母の理想の死後を叶えるのは難しいし、母が私の理想の死後を叶えるのも難しいです。

死ぬ前にやりたいことリストを作るなら、どこかに死後の住所の確保をいれます。


…今日は、アルバイトで記事を書く時間が取れず、そろそろ活動限界なのでめちゃくちゃ途中ですがこの辺でやめときます。

さて、寝よ寝よ〜!!!


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