書き散らし

私はどうせ何者にもなれないのであれば。
ここで死んでしまっても構わないと思った。
最近、身内が死んだ。
よくある癌というもので、身内は様々な人から愛されて死んで行った。
身内の家族は酷く悲しみ。多くの涙を流し。それでも今日も息をしていた。
だが、数日後には日々の忙しさに追われ。段々とその悲しみは薄れていくのだ。
死んだところで、人間は生きていく内に痛みが緩和され、悲しみが緩和され。
酷い悲しみに襲われても、結局はどこかで見切りをつけて前に進むしかなくなるのだ。
誰かの何か。なんてものは、後々に他の誰かに奪われて。
いつの間にか消え去っているのかもしれないと。ふとそう思ってしまった。

誰かの何か。というのに、絶対的なものはない。
今の誰かの何かであっても。いつかは他の誰かに変わるかもしれないし。
自分が、変えるかもしれないのだ。
人間は何者かに寄生して、生きているものだ。と聞いたことがある。
何かが消えた時。またその何かに頼ろうと他のものを探しだし。そこに寄生するのだろう。

生きている限り続くもの。
ならば、そんなものに執着心を憶えてしまうのであるならば。
己の身を投じて、死んでしまってはどうだろうか。
替えのきくもの、など。いくらでもあるなら。それほどに自分が必要とされてなければ。
己が死ぬことで、この世になんの意味も持たずに死ねたなら。
誰もが幸せなんじゃぁないか。
いや、誰も何も思わない。何も知らぬまま感情が一切動かないのも。それもよしだろう。

死ぬ事では何の意味を持たずなら死んだって変わらないと。私は問いたい。
ただのかまってちゃんだと思われても私にとってこれは。本当に思っていることなのだ。

生きていてもあまり変わらぬ日々を送り。
人生に見いだすものがなければ。
人生なぞ、あってもなくとも変わらぬものではなかろうか。

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