【テキスト】「蓬生」の末摘花のこと

こんにちは。どうしてもおしゃべりしたくて登場してしまった「中の人」です。

何がおしゃべりしたかったかというと、あの末摘花の姫君のお話「蓬生」の巻のことです。

末摘花がどん底生活になっていたのを源氏の君が思い出して救うっていう大まかなストーリーは知ってたんですが、あんなに短編小説としてしっかり成立していることは恥ずかしながら、よく知らなくて。

しかも、「末摘花の描かれ方が、『末摘花』の巻と『蓬生』の巻で違い過ぎて違和感しかない」みたいな話はこぼれ聞いていたんですね。んー、おおむね不評。紫式部のやっつけ仕事、とか、源氏の君の博愛精神を強調するためだけのおまけみたいな巻、とか。

いやいやいやいや、読んでみたら、紫式部がすごく楽しみながら書いてることがめちゃくちゃ伝わってきました。筆が走ってて、絶対おまけとかやっつけじゃないって思ったんです。

たぶん、紫式部は、末摘花みたいな人、嫌いじゃなかったと思うんです。人見知りで、流行に乗れなくて、上手く世渡りができなくて、でも自分なりのこだわりは持ってて、って人。いつまでもカギカッコつきの「オトナ」にはなれない人。

前半で彼女のこだわりを描いて、中盤で「オトナ」の象徴のような「叔母さん」を登場させて、それに流されることなく頑固に不器用に自分を貫く姿を描いて。

読者としては、「狐のすみか」だの「ふくろうの声が朝夕響く」だの、「庭で牛を放牧されちゃう」だの「盗人すら見放す」だのって「いやそれはないわー」って笑っちゃう部分なんですよね。女房たちが、邸を手放そうとか家具を売ろうとか言うのも、女房たちに共感しますよ。でも、女房たちに共感しつつも、姫君の言うことにも少しずつ共感の度合いが高まっていくんです。まっとうなこと言ってるから。

「邸を手放そう」と言われた時の姫君は「親の思い出がある場所だから」と答えます。その場面では「センチメンタルだな。現実見ろよ」としか思わないんです。でも、「家具を売ろう」と言われた時には「使うためのものを、なぜ、あんな身分の低い者の調度品としなくてはいけないのか」と答えます。家具を調度品とする心根の卑しさを正面から姫君に指摘されて、読者はハッとするんです。

そして、叔母の登場です。姫君と正反対の生き方をしてきた人。言ってることには説得力があります。だって、叔母さんは姫君のように「夢見る少女」ではない生き方をしているんですから。でも、読者はもう姫君の方に肩入れしたくなっています。だって、「夢見る少女」を誰だって応援したいじゃないですか。自分が今、「現実」にまみれていればいるほど、姫君の頑固で不器用な純粋さを「どうなるんだろう」って心配してしまうじゃないですか。

「源氏の君は来るのかしら」「姫君はここでほんとうに朽ち果ててしまうのかしら」って読者の気持ちをぐぐぐっと引きつけたところで、源氏の君が通りかかるんですよ。この展開!

源氏の君が自分から藪を踏み分けて、着物の裾を濡らしてまでも、来てくれる場面なんか、もう「眠れる森の美女」の、いばらをかきわけて来てくれる王子さまですよ。そして、読者はこの瞬間、王子さまを待ち続けた姫になってるんです。

そして、源氏の君に返した姫君の和歌のすばらしさ。あの、くっそ下手くそな和歌を、めちゃくちゃ時間かけなきゃ詠めなかった姫君が、驚くほど素敵な歌を詠むんです。和歌については、語りはじめると長くなっちゃうので省略しますけど。

とにかく、この「蓬生」の巻の物語としての完成度はすごいと思うし、作者紫式部がノリノリで書いてるからこそ、読者をぐいぐいと引き込んでいくんだと思うんです。

えっと、研究者の人たちの意見もいろいろに分かれている巻だそうです。違和感を持つ人と、絶賛する人と。私は詳しく「研究」みたいなことはできてないけど、今のところ圧倒的に後者です。この巻はすばらしい。それが言いたくて、番外編に登場してしまいました。

それでは、引き続き本編をお楽しみくださいね。
スキマゲンジの「中の人」でした。

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