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第138話 レスポールを買ってもらったのに売っちまった薄情なおれ【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

古田の工場で働く方に東飯能まで送ってもらい、川越へ。

 ヒッチハイク台数でいくと、180台あたりのはず。

 もはや電車を使ったり、知り合いに迎えに来てもらったりしていて、ヒッチハイク台数を厳密に数えることが難しくなっていた。

 川越は沖縄でCDを買ってくれた中田さんがいる。

 沖縄の読谷(よみたん)のBeach69でぼくが喜納昌吉さんの前座をした時に、中田さんは歌を聴いてくれていて、その後夢有民牧場までCDを買いに来てくれたのだ。

「SEGE。おれたち友達になろうな。川越に絶対来いよ。」

そう言ってくれた。

その後も時々何度か電話をくれて、

「今どこ?大丈夫か?」

と心配してくれていた。

だから川越に行かないわけにはいかない。

何日か前に電話すると、

 「SEGE。おれの川越の友達集めるから、そこで歌ってくれよ。『一番』ていう居酒屋なんだけどさ、おれたちがよく集まる店なんだよ。そこで歌ってほしい。」

 「一番」は、日本のザ・居酒屋という感じの、ちょうちんやビールケースが似合うような、活気のある、居心地の良い感じの店だった。

 中田さんの友達だけでなく、マスターやスタッフ、その場にいたお客さんなど、みんなが歌を気に入ってくれて、CDはまた全部売れてしまった。

 というよりか、足りなくなって欲しかった方全員には渡せなくなってしまった。

 (またCD渡しにこなきゃな。)

 その夜はライブの後、中田さん達一同と川辺に行った。

 その中に、世界中を旅しているジャグリングがプロ級のたかちゃんという人がいて、みんなでファイヤージャグリングに挑戦。

 その横で歌うぼく。

 歌とジャグリングのコラボ。

 月と河川敷。

 たかちゃんは同じ旅人として通じるものがあるのか、ぼくの歌を真剣に聴いてくれて、

 「おれがいいたいことを歌ってるよ!」

 と言ってくれたのが心に残っている。別れ際に、

 「これ、あげるよ。」

 とお手製のデビルスティックをくれた。

 たかちゃんは近々また旅に出るという。

その日は中田さん宅に泊まらせてもらい、翌日は茨城を目指した。

日本二周の旅、未踏の地、茨城。

未踏とは言え、ここにも会いたい友達がいた。

中高の同級生であり、かつ家が一番近かった友達、ゆうちゃん。

筑波大医学部に通っている。

彼のことになるとぼくにはセットになっている苦い思い出がある。

それはギターのレスポールにまつわる話だ。

中学時代、ぼくは長渕剛の歌を書きむしり、高校になるとエリック・クラプトンのアンプラグドにはまった。

そこから洋楽を聴くようになり、長渕剛と洋楽という組み合わせで音楽をむさぼっていた。

ガンズ&ローゼズのスラッシュが弾くレスポールも人気を博していた時代で、レスポールにあこがれを抱いた若者は多い。

そんな高校時代、兄がアメリカに旅行に行った。

「アメリカの友達のところに行くんだけど、向こうでギター買って来ようか?向こうで買った方が絶対安いから。」

兄はそうぼくに投げかけて来た。

兄は、当時の見た目はロン毛で金髪のサーファーだったが、弟のぼくをそのようにかわいがってくれる。

ギターを弾いているぼくのことを思ってくれたのだろう。

そういう優しさがある。

それはぼくのギターを応援してくれているということでもあるはずだ。

毎日のように夜までうるさく弾いているのに。

だからぼくはその提案が嬉しかったけど、正直困るところもあった。

ギターは自分でさわって選ばないとわからないところがある。

特に、兄はギターを弾かないし、音楽は好きだけど、ギターを見た目や音のよさで判断できるセンスはないといっていいのだ。

現地に音楽をしている友達もいて、その人と一緒に選ぶそうだが、その人のセンスがよくてもぼくのセンスに合うとは限らない。

音楽のセンスも、兄はラップとかハードロックとかグランジとかを聴いていたのに比べ、ぼくは聴く音楽は様々だけど、弾くのはフォークとかアンプラグド。

兄と兄の取り巻きの音楽文化とぼくの音楽文化には隔たりを感じていて、たとえギターを買ってきてくれたとしても、それがぼくに合うものなのか不安がある。

そういう状況であるのに、兄はその不安を感じとることよりもギターを買ってくることを選んでいる。

そこにずれを感じたのは正直なところだ。

とはいえ、現地のギターを入手できるという魅力にぼくは負けてしまった。

また、「ギターは自分の力で、自分で選ぶべきだから」と正しい判断をして断る勇気もなかった。

そして、

「レスポールがほしい。」

とぼくは兄にお願いした。

なぜアコギにしないのか?

それはアコギを選ぶなら絶対自分で選びたいと思ったからだ。

持った感じ。握った感じ。音の響き。

自分に合うそれらは、やはり自分でギターを触らないと分からない。

もちろんエレキもそうなのだが、エレキよりもアコギの方がより自分でさわらないと分からないものだとぼくは思っている。

そう思ってしまうのも、ぼくがエレキを弾かないからこそだとは思うのだが、だからこそ、うといからこそ人に委ねてしまえたとも言える。

そして、この甘い判断がよくなかった。


ある日ギターが家に届いた。

その興奮は誕生日やクリスマスプレゼントをもらう幼児のような気持ちだ。

いや、10万円以上の買い物なのだから、単なる嬉しさを越えて、「いいのかな」といううすら怖さもまじっている。

最高度の心拍数でぼくは梱包を開けた。

そこにレスポールがあった。

スラッシュがMTVに流れているPVで弾いているあのレスポール。

「やった。」

兄も嬉しかったに違いない。

ぼくがそのレスポールを弾きこなしてくれると想像していたに違いない。

しかし、ぼくは弾かなかった。

ぼくは宝物のようにそのギターを部屋に鎮座させ、その輝きに見とれ、少し手に取って、

「エレキって重いんだなあ。でも弦は柔らかくて、弦高も低いから弾きやすい。」

そんな風に思ってまた鎮座させる。

弾いたとして、せいぜいエアロスミスの「eat the rich」のオープニングくらいだ。

弾かない理由は明らかだった。

それはぼくが聴きたい音の中にエレキの音はあっても、ぼくが弾きたい音の中にはエレキはなかったからだ。

ぼくは自分の心の叫びを、心の渇きを、心のすさみを、心のさまよいを、ひたすら歌を歌うことでなぐさめていたから、歌うことでしかなぐさめられなかったから、それは絶対にアコギでしかできなかったのだ。

ぼくが歌いたい歌を、エレキが拡声器として奏でてくれはしなかったのだ。

 要するにもてあました。

 ぼくの中に日に日に罪悪感が募る。

 兄が買ってきてくれたエレキギター。

 ものすごい高い買い物をしたのに、ぼくはそれを弾くこともなく、ガラスケースの中のダイヤモンドのようにただそこに置いておく。

 いや、こうなることは本当は初めから分っていた。

 分っていたのにぼくは欲に目がくらんだのだ。

 レスポールを弾くことではなく、「レスポールを持っていたい」という欲に目がくらんだのだ。

 だからなおさら罪悪感が深くなる。

 「おれが持っている資格はない。」

 とまで思うようになった。

 弾かないで持っていることに満足しているなんて、それこそ傲慢だと思うようになった。

 そんな時、ゆうちゃんも音楽を始めていた。

 エリック・クラプトンのアンプラグドを彼もコピーしようとしていた。

 ただ、ゆうちゃんはだんだんハードロック系が好きになり、エレキギターを弾きたがるようになった。

 「SEGE。おれエレキ弾きたいんだよねえ。」

 学校帰りにそんな話をした。レスポールを持っている話をするとゆうちゃんの目が輝いた。

 「レスポール持ってるの?いいなあ。すげえなあ。」

 「おれのレスポール使う?」

 ついぼくは言ってしまった。

 「え?弾きたい!」

 「ただじゃ無理だけど、おれ持っているだけだから弾く人に譲った方がいいと思うんだよね。」

「おれ買うよ。」

ぼくはレスポールをゆうちゃんに売ってしまった。

兄がぼくの為に、ぼくが弾きこなしてくれると思って買ってきてくれたレスポールを。

わずか2年くらいでのレスポールとの別れ。

ほぼ新品のようなもの。

ゆうちゃんはなんてぼくが贅沢な奴だと思ったに違いない。

一方でゆうちゃんは、そのレスポールをがむしゃらに弾いていった。

それがぼくには救いだったのだが。

ある時、家にレスポールがないことに兄は気づいた。

当然である。

「あれ?おまえレスポール弾いてないけどどうした?」

「あれ、弾かないからもったいなくて友達に売っちゃった。」

それがどれだけ兄を傷つけただろう。

「ふうん。」

とだけ兄は言っていたが、兄はその後母親に怒りをぶつけていたらしい。

「せっかく買ってきてやったのに、黙って売るなんてふざけんな。」

これも当然だ。

でも、もう売ってしまったものは仕方ない。

その後、何度かゆうちゃんに、

「あのギターまた戻してくれたりする?」

と聞いたことがあったが、

「それはできないよ。もうおれ弾きこなしているし。」

ゆうちゃんにとってはもうそのレスポールは一心同体だったと言っていい。

お金をもらっても譲れないという感じだった。

(おれはバカだな。)

欲に目がくらんだのだ。

その結末がこれだった。

だからゆうちゃんに会うたびにぼくの心はうずく。

 

そして川越からぼくはゆうちゃんに電話した。

「今日本二周してるんだけど、つくばに行っていい?」

「え?日本二周?何やってんの?え?おれ、今日は東伏見で練習なんだよ。」

「つくばじゃないの?」

「アイスホッケーの試合が東伏見にあって、そこまで通ってるんだよ。そこに来る?」

「行ってもいいの?つくばには帰るの?」

「帰るよ。」

「じゃあ、一緒につくばに連れて行ってよ。」

「OK。」

ゆうちゃんは大学でアイスホッケーを始めていた。

高校時代はどちらかというと体は華奢なほうだったから、アイスホッケーを始めたと聞いてゆうちゃんを知る人は当時みんなが驚いた。

でもそうやって何か変わったことをしよう、人生に変化をもたらそうという気概は、ゆうちゃんらしいとも言える。

アイスホッケー場は駅からすぐ近くにある。

ゆうちゃんに会うのは2年以上ぶりか。アイスホッケーに明け暮れて、地元にほとんど帰って来ていないからだ。

 前に会ったのは、宇都宮の藤原さんがまだteteの店長だったころだ。

 そのteteで2人で飲んだのが2年以上前。

 「おう。久しぶり。なんだその恰好。」

 「歌いながら日本を二周してるんだよ。」

 ゆうちゃんの体格は以前よりさらによくなっている。

 その日は卒業の年である6年生は忙しい時期なので応援だけなのだそうで、おかげでいろいろと話すことができた。

 筑波大のアイスホッケーはかなり強いという。

 その日の対戦相手の学習院にも余裕勝ち。

 その日のチームは筑波大としてのチームらしいのだが、医学部だけのチームも強く、順天堂といつも優勝争い。

 (アイスホッケー面白いな。また見たい。)

 ぼくはアイスホッケーを初めて見たがかなり面白かった。そして寒い。

 「おれの引退試合が年末にあるんだよ。」

 「きっと優勝するよ!」

 ゆうちゃんが試合に出て、勝つところを本当に見たかった。

 試合を終えると、今度は練習だという。

 「練習はスケート場が閉まったあとの深夜とかにやるんだよ。そこが大変でさあ。近場にないからこの後日立まで行く。」

 「日立?これからつくばに帰って日立まで行くの?」

 「そうそう。」

ぼくは彼についていくこと以外、することはない。

日立までついて行った。

練習を深夜終えると、ゆうちゃんは大学の仲間を集めて七輪を囲むことになった。

「おれの中高の同級生でさ。歌うたいながら日本一周してるんだよ。」

「いや、二周だけど。」

いつもの流れだが、深夜、酒を交わしながらゆうちゃんとその仲間たちに歌を聴いてもらった。

ゆうちゃんの部屋にはちゃんとレスポールがあった。

バンドを組んでいて、かなり弾きこんでいるそうだ。

「あのレスポール弾いてくれてるんだね。」

「そうだよ。このギターめっちゃいいよ。でもこの前ネックが折れちゃってさあ。」

「まじで?!」

もう自分のギターでもないのに、ぼくは自分の物が壊されたような気持ちになり、残念な気持ちなった。

でも、彼が愛情をこめて弾いてくれていることはかけがえのない救いでもある。

安心感も感じる。

「ずっと大切にしてくれよ。」

そう思いながらも、複雑はうずきをぼくはこれからも抱き続けるだろう。


つづきはまた来週

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