見出し画像

小説 ドリーム・シンドローム

りむるは現在、沈没してしまうくらい泣き続けていた。本日、動画共有サイトで雑談を放送したところ、コメントで、「二十六歳でアイドルになりたいなんて、頭がお花畑もいいところ。現実みなよ、おばさん」と誹謗中傷を受けた事が始まりだった。
 結果、彼女は配信で怒り狂い、動画が炎上。動画チャンネルを削除する結果になった。
「……りむる、おばさんじゃないもん」
 どうしてみんなそんな事を言うのだろう。
「あー! ムカつく!」
 ベッドに倒れ込む。布団にくるまり、何か気張らしになるニュースでもないかと、SNSを眺めていると、気になる言葉が瞳に写り込んだ。
「魔女の、遊園地?」
 どうやら最近話題になっている都市伝説で、なんでも、魔女の少女が作り出した魔法の遊園地らしい。魔女に招待された者は、子供に戻ることができ、みなそこで幸せになれるらしい。招待の条件は、兎が描かれたアイテムを抱きしめ、強く願いながら眠る事らしい。ぬいぐるみをぎゅうと抱きしめ、目を閉じる。行きたい。りむるはそこに、どうしても行きたい。眠りに落ちるまで、ずっと願いの言葉を繰り返し続けたのだった……。
「ーー君、起きなよ」
 声が聞こえて、りむるは目を開けると、目の前には整った少年が立っていた。
「……あなた、だあれ?」
「俺は黒木由弦。」
「わたしは、月宮りむる」
そう名乗ると、男の子は愉快そうに笑った。
「あははは! キャラクターみたいな名前だな。若い奴はみんなそんな名前なのか?」
「君、なにおじさんみたいな事言ってんの」
 りむるはそう怒ると、彼はまた笑う。
「俺は四十のおじさんなんだよなあ。自分の姿見てみなよ」
 りむるはコンパクトを取り出し覗くと昔、鏡で見た幼い女の子の姿が映っていた。
「え、じゃあここは」
 りむるの目の前にはネオンが光り輝く、遊園地の姿があった。不思議なのは空が淡い紫色で、月や星々の形は、まるで子供の描いた様な形をしている。煌びやかな光景を前に、どこか懐かしい気持ちになる。
「魔女の、遊園地……」
「――そのとおりです」
 突然別の声が聞こえたかと思うと、いつの間にかりむるの隣に女の子が立っていた。歳は10代後半くらいだろうか。腰まで伸びる髪に真っ黒な衣装とつば付きの帽子を被った彼女はニコリと微笑んだ。
「おめでとうございます! 貴方たちは当館の招待にふさわしい人間として選ばれました。私はティラミス。どうぞよろしくお願いします」
 ケーキと同じ名前を聞いて、りむるは無償に甘い物を食べたくなった。
「あなたは、本当に魔女なの?」
 彼女に訪ねると、ティラミスは知的に笑みを浮かべた。
「定義にもよりますが。ここの管理者でもありますよ」
 随分と見た目に似合わない答え方だと思っていると、今度は弓弦が質問をする。
「ティラミス。ここは具体的にどんな場所なんだ?」
「ここはずっと子供のままで過ごせる場所です。私は子供の気持ちのまま大人になった方々を招待しています。貴方達はここで自由にお過ごしいただけます」
 その時、りむるはある言葉を鮮明に思い出した。
ドリーム・シンドローム。先日、周りの人間がみんな遠ざかっていく事に疑問を感じたりむるが相談に行った精神科で告げられた病名だった。医師によると、子供の心のまま大人になってしまった人の事らしく、完治する事は難しい。更に患者は年々増加しているらしい。働かない人がとても多く、一種の社会問題になっていると説明された。もしかして、結弦もそうなのだろうか?
「そうか、ここでなら子供のままでいいんだな」 結弦は実に少年らしい笑みを浮かべる。
「説明は以上です。どうぞ心ゆくまでお楽しみください」
ティラミスは軽い会釈をし、どこかへ歩いていってしまった。
「ほら、早くいこうぜ」
「そんな走らなくてもいいじゃん!」 
 結弦に手を引っ張られ最初に向かった先はジェットコースター。乗り場には他の子供たちの姿が見え、列の最前列にはウサギの着ぐるみがいた。「ようこそお二人さん!」
「……なんかリアルでキモい」
「おい、ウサギに失礼だろ」
 ウサギは気にしていない様子で、
「さあさあ、早く乗ってみてよ」
 二人はローラーコースターに乗り込むと、それはすぐに動き出した。レールを上がっていくコースターの周りは、空に浮かんでいた子供の描く様な五角形の星が、キラキラと輝いている。
「ははは! ジェットコースターなんて修学旅行以来だなあ!」
「……りむる、なんか怖い……」
 りむるは遊園地が大好きで、ジェットコースターには何十回と乗ってきた。しかし何故だろう、今のりむるにはまるで、初めての体験のような気がしてならなかった。  
 突如、コースターは急降下。冷たい風と共に景色が落ちていく。
「きゃああああ!」
「ひゃっほう!」

「――お疲れさま~。また何回でもおいで」
 そう言ってウサギは大げさに手を振った。
「いやー楽しかったな!……りむる?」
 「怖かったよお……」
りむるは大きな声で泣き出してしまった。
「こ、これ使いなよ」
 結弦は戸惑いながらもズボンのポケットからハンカチをりむるに手渡す。受け取ったハンカチは宇宙服を着た兎のキャラクターの刺繍が施されていて、なんだか四十歳の男の私物らしくなかった。彼女は涙を拭きながら、不思議に思う。
「ありがとう、もう……だいじょうぶ」 
「――恐怖で泣いてしまうのは、童心に戻ってきている証拠ですね」
突然、背後にはティラミスの姿があった。
「ティラミス。りむるが泣き止む所方法はないか?」
「承知しました。では食事に致しましょう」
 運ばれてきたのはハンバーグやオムライス、みんな子供の食べ物だった。りむるの好物のいちご牛乳もある。
「すげー! どれも旨え!」
「ほんとう、すっごく美味しい!」
 甘いケーキと口に運ぶりむるは、さっきまで泣いていた事をすっかり忘れていた。
「ティラミスはやっぱりティラミスが好きなの?」彼女は自分と同じケーキばかり淡々と口に運んでいた。
「ええ、私の名前はこのケーキばかり食べていたから、そう呼ばれ始めたのです」
「あはは、変なの」
りむるは笑うと、ティラミスは意外そうな顔をした。
「変……、確かに、変です。どうして私はこのケーキが好きなのでしょう?」
「理由なんかないと思うよ。ティラミスはティラミスが好き。可愛くていいじゃん」
 りむるの言葉を聞いたティラミスは喜んでいた。
「なるほど……とても貴重なご意見、ありがとうございます」
 りむるはフォークをくわえながら、彼女はどこか変わった女の子だと思った。

食事後、魔女と別れた二人は今度はりむるの提案でコーヒーカップに乗ることにした。くるくると回り続ける視界は、とても愉快な気分になる。
「なあ、りむるはあっちの世界で仕事は何をしてたんだ?」
 カップの中で向かい合った結弦は訊ねる。
「動画配信。これでも私、結構有名なんだよ」
 りむるは自分の職業を言う事に抵抗があった。本当はアイドルになりたかったのに、オーディションに落ち続け、最近は応募する事を辞めていた。動画配信だって適当に喋っていたら、りむるに金銭と優しい言葉をくれる人間がたまたま現れただけだった。二十六歳。りむるは今の自分の姿くらいの時、小学校で「未来の私」という宿題で書いたのは、もっと可愛くて綺麗で素敵な女になりたかったというのに。
「へーすごいな! お前可愛いもんな」
可愛い、とストレートに言われて、りむるは嬉しさと恥ずかしさで弓弦を直視できなくなってしまう。
「そ、そういう結弦はどうなの? お医者さんとか案外、立派な仕事だったりして~」
 りむるは冗談混じりに訊いてみる。現実では格好いいおじさんなのかも……なんて、思いながら。彼は少しの間沈黙し、やがて静かに微笑んだ。
「宇宙飛行士」
「え! すごいじゃ――」
「を夢見て、何もしてこなかった」
「えっ? あはは! ウソばっかり――」
「本当の事なんだ」
 からかうりむるに対して、結弦は笑わなかった。
「俺さ、中学の時からずっと引きこもりだったんだ」
 回る世界の中で少年は話を続ける。
「小学校までは、俺は宇宙飛行士になる男だったんだ。あのころは女の子にラブレターなんかも山ほど貰っていたんだぜ」
「……じゃあなんで引きこもったの?」
「中学受験に失敗したから。その時から俺は宇宙飛行士になれなくなった。そしたらさ、どこ行っても指をさされている気がしてさ、何もしなくなっていた……だから、ここに来て宇宙に行ける俺に戻れた事が、何よりも嬉しいよ。りむるも同じ気持ちだろ?」
「……うんそうだね」
結弦の異常とも取れる宇宙飛行士の憧れにりむるは曖昧な肯定しか出来なかった。
 その後、結弦は宇宙ロケットに乗り込んだ。そのロケットは本当に銀河の大冒険に行けるらしい。彼は乗り込む前に心底うれしそうな表情でピースサインをしていた。
 りむるは先ほどの疲れから、同乗を断った。彼の夢をじゃましたくないという気持ちもあった。ベンチに座りいちご牛乳を飲んでいるとやがてどこからかティラミスが現れた。
「りむるさんは乗らなかったのですか?」
「結弦のテンションには付いていけないよ」
「りむるさん、あなたは少し、大人ですね」
「そ、そうかな……」
「あなたを軽度のドリーム・シンドローム患者と認定し、ご説明させて頂きます」
 夢見心地だったりむるの意識は一気に現実に戻される。
「……なんで、その病気を」
 ティラミスの口調は、冷静だった。
「改めてご紹介を。私はドリームランド管理AI、ティラミスと申します」
 お辞儀をするティラミスはもう、笑ってはいなかった。
「実はここは人工的に作り上げた人の夢の世界なのです」
 その言葉はあまりにもこの世界には似つかわしくなくて、酷いめまいに 襲われる。
「え……なにそれ、意味わかんない……」
「政府の極秘政策なのです。近年、我が国は利益にならない大人を集め、子供に戻る夢を見せる研究を行っています。本当の貴方は研究所の中で眠っている事でしょう」
「な……なんで夢を見せるの?」
「私の制作者達はドリーム・シンドローム患者に着目しました。この病気は被験者も多く、なにより成長を続ける本物の子供たちより、安定して幼い精神を持っています」
 絶句するりむるに対し、ティラミスは知的な笑みを浮かべた。
「誤解しないで頂きたいのは、この研究は実に良心的だと言うことです。貴方達は研究機関に所属ということになります。本人と家族には協力金が支払われますし、休日には外出もできます。この場所は夢なので貴方達は起きる時には何も覚えていません」
「……どうして、そんな事をりむるに話したの?」
 りむるはティラミスを睨む。まだ、途中だったのに。 
 なにも知らなければ、この世界を好きになれたのに。
「月宮りむるさん。貴方は被験者の中では一番若く、僅かとはいえ、動画配信者として利益を出していますね。この研究はまだ日が浅く、まだ対象者を絞れきれていない状態なのです。ですから、ここにいるかは貴方が決めてください」
「……結弦はどうなるの?」
「黒木結弦。彼は典型的なドリームシンドローム患者です。彼の意思も魔女の遊園地に肯定的、というデータが出ています」
「まだ弓弦は何も言ってないじゃん! 勝手だよ! ティラミス達は!」
 りむるは叫ぶ。大好きなおもちゃを大人に片づけられたような気分。その気持ちがりむる自身が決定権の無い子供とわかってしまう様で、とても悔しかった。ティラミスは考える様に指を手に当て、口を開いた。
「……では、彼が我が国に貢献できる国民だということを、代理人として証明してください。我が国は残念ながら、働かない国民を、もう野放しには出来る状況では無いのです」
「証明……証明すればいいんでしょ!」
 りむるはティラミスに背を向けて、走りだした。溢れる涙を拭う。もう、幸せな子供には戻れない事実が、無性に悲しかった。

「りむる! 新惑星を見つけたんだ! 名前は今考えている所だけど……お前にも見せたかったなあ」宇宙の冒険から帰ってきた結弦は幸せそうで、一瞬、打ち明ける事に戸惑ってしまった。
「ねぇ結弦! よく聞いて、この世界は実験場で作り物なの! ティラミスやウサギは研究所のAIなの。りむると帰ろう!」
 結弦は驚き、しかし静かに首を横に振った。
「りむる……俺には、もうここしかないんだ。ここでなら、俺は宇宙飛行士になれる」
「それって、そんなに大事な事なの!?」
弓弦は感情を絞り出す様に、叫んだ。
「大事なんだよ! 現実に帰ってみろ。俺は何もしてこなかったおっさんだ。もう惨めな気持ちになるのはごめんだ!」
 驚くりむるに彼は泣くように笑う。
「お前だって分かっているんだろ? アイドルは若い女しかなれない。お前は俺と同じで、もう若くないんだよ」
 若くない。その言葉がまっすぐりむるに突き刺さる。ロリータファッションに身を包んでも、もう絶対に少女には戻れない。
「ここでならお前は俺の好きなかわいい女の子のままだ。ここで一緒に暮らせばいいだけじゃないか!」
 宇宙ロケットは次の発信に備え始めたらしく、遠くで男の子が弓弦におーい、乗らないのかと叫んだ。
「弓弦。……りむるはね」
 りむるはまっすぐに弓弦を見つめ、話す。
「現実ですごく、嫌な事ばっかりだったんだ。ほんとはりむるだって戻りたくないの」
 りむるは前を見て微笑む。
「それでも弓弦が一緒なら、あっちでもなんとかなると思うんだ……」
 弓弦はとても驚いた表情を見せ。何か言おうとした時、ロケットは轟音と共に発信し、白い煙が二人を飲み込む。絵に描いた様な夜空も遊園地のネオンも何もかもが、瞬く間に見えなくなった。

「ティラミスの意味をご存じですか?」
 魔女の女の子の声が聞こえた。
「私を引っ張りあげて、という意味があります。先程、貴方達がお互いに共存出来れば、我が国の発展に貢献出来る可能性を拝見しました。人間の可能性は、改めて未知の領域だと感じます」
 その声色は、AIのシステム的な印象とはほど遠い、優しい音だった。
「本日はご来館、ありがとうございました」

りむるは目覚めると、自室のベッドの上だった。ふと気づくと、自分が涙を流している事に気が付いた。
「『わたし』どうして泣いているの……?」
心は寂しさでいっぱいだった。握りしめていた手の中には紙切れがあった。見ると、住所とメッセージが記されていた。ーー特別措置で記憶は残しておきます。私の名前を可愛いと言って頂いてたお礼です。
パジャマを脱ぎ捨て、すぐに着替えると、勢いよく部屋を飛び出した。
 住所に書かれたアパートの部屋につき、何回もインターホンを押す。すると中年の男が現れた。とても痩せていて、髪と髭は長い間整えてはいないようだった。
「なんだよ、うるせえな……役所の人間か? 外には出ねえって前にも……」
 男は驚きの表情を見せた。りむるは笑みを浮かべた。
「ふうん。あまり美少年の面影はないかな」
「……お前、りむるか。やめろ、俺を見るな、見ないでくれ……」
 そう言って結弦は顔を手で覆う。りむるはその手を掴み、ゆっくりと離した。
「言ってなかった事があるの」
 りむるは彼の瞳を見つめる。
「ねぇ結弦。結婚しよう。私たち、二人で生きるの。二人で大人になるの」
「二人で……」
 弓弦の瞳から一筋の涙が零れた。
 りむるは彼を強く抱きしめた。彼もきっと寂しいのだろう。幸せな夢から醒めた事に。

「はーいみなさん、りむるチャンネルへようこそ! 今回、もう一度旦那と始める事にしました。どう? 結構イケメンでしょ! 本題に入ると、私は現在歌やダンスの教室に通っています。みんなの前ではアイドルになれたらいいなと思います。彼はなんと! 宇宙を舞台にした映像を作っています。この人、ドン引きするくらい詳しいんですよ~。さてここで大切なお話。……実は私たちは今話題のドリーム・シンドローム患者です。でも、子供と大人の狭間にいる私たちだからこそ、何か出来る事があるのかなと思っていて、今の目標は二人でみんなのケーキになる事。たまには甘いデザートが欲しくなる、そんな存在になりたいなって思います。――というわけでこれからもどんどん配信していくんで、チャンネル登録、よろしくね!」
 そんな内容の動画を彼とアップロードすると少しの間が空いて、高評価ボタンが押された。
 最初に評価してくれたユーザーは、夢の遊園地の魔女と同じ、甘い響きの名前だった。

文章でお金を頂ける。それは小説家志望として、こんなに嬉しい事は無いです。 是非、サポートをして下さった貴方の為に文章を書かせてください!