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さいごの海

八月上旬のこと

夏の真ん中の夜、午前二時。向かう先は海。


その夜、唐突に海に行かなければならないと思った私は、お風呂から上がった後、いつもより丁寧に化粧をして、毎年夏に着るワンピースを身につけたまま仮眠をとった。

ほとんど眠れないまま、アラームの音で床に足をつく。

真夜中だけれどマスクに帽子。ここからどれくらいかかるのか、調べたけれど実際にはわからない。電車はないので自転車に乗る。ずっと乗っている赤い自転車はペダルを漕ぐたびキコキコ音を立てる。

夜なのに涼しくない。横を通り過ぎる風はぬるく、進むたび体に纏わりついた

真っ暗な道、街灯があると少し安心する。夜の影は漆黒に塗り潰されて全く距離感がつかめない。たまに人がいるのを見つけると顔を隠したくなった。巡回中なのかパトカーを見たときはなんとなく見つかってはいけない気がした。

私は死のうと考えていた。どうせなら海を最後に見たい、と。それだけの理由で今自転車を漕いでいる。日の出前に間に合って。

日の出予定時刻前の到着を目指して、夢中で夜を走っていた。まるでずっと会えなかった誰かを想って、必死に会いにいくみたいだと思った。

時間が過ぎていくのはあっという間だった。出発して二時間半。空が明るくなり始めた。微かな海の匂いを感じて、つりそうな脚を全力で動かす。

目的地の堤防へ。少し霞んだ空のもと、穏やかな海はそこにあった。既に夜の衣を脱いだ海の色だった。

午前五時前だというのに、辺りには釣り人が沢山いた。散歩する恋人や家族連れまでいる。ここにいることを私以外誰も知らない。ここへどうやって来たかも、何故来たのかも。私を知る人も誰もいない。鳥が鳴いている。貴方もきっと仲間や家族と一緒なのでしょう? 私はなんだか自分の身体が透明になった心地がした。

太陽はいつも通り顔を出した。ひと時だけ雲を赤く染めながら。きっとそこにいる誰もがそれを待ちわびていた。夜は終わった。同日の夜、私は首を括ったけど失敗していた。とても長い夜だったように感じた。私は持ってきたカメラをとり出して写真を撮った。死ぬ時にカメラを持ってくることに関しては、検討し直さなければならないなと思った。

自転車で海にドボンする計画もあったけれど、ギャラリーがいすぎた。自分の最期に知らない人に見たくないものを見せたくないし巻き込むなんて以ての外だった。

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昇りきった太陽を見て、これ以上ここにいてはいけない気がした私は逃げるように来た道を辿った。着ていた長袖の下で昨晩切った傷口が開いている感覚があった。汗で絆創膏が剥がれたのだろう、気持ちが悪かったけど考えないようにした。道の途中、行きで見かけた神社に寄った。お賽銭をして、家族の健康をお願いした。

夏の真ん中の朝、私は家へ向かっていた。体中が痛いおかげで、かろうじて意識を保てた。もう自転車に乗ることも出来なくなって、歩くことにした。行きはそれほど長く感じなかった道が、永遠に思える。車や人通りが増え、私はひどく惨めな気持ちで体がずしりと重たかった。新しい朝なはずなのに、私だけが生まれ変われないまま 昨夜の影を引きずりまわしているみたいだった。







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