上下関係が正義だった時代の強豪校野球部時代の話 vol.1
今回は、僕が人生の中で最も衝撃的な期間を過ごした、高校時代の部活動について記事を書きます。
僕は小学校3年から少年野球チームで野球を始め、運良くそれなりに上手くなり、県内では名の知れた少年野球チームでキャプテンで、エース格のピッチャーをしてました。
中学になってからは、部活動には入らず、土日の硬式クラブチームに入り、ここでも中学3年にはエースになれ、僕はこの頃には本気でプロ野球選手になれるかもしれないと、強く想って過ごしていました。
進路については、強豪校からは誘いは県外から一校ありましたが、僕は公立高校から甲子園に行って有名になるという未来に憧れ、私立強豪校は進路から除外していました。
しかし、運が悪いことに、僕は見事に志望していた公立高校の受験に全て失敗し、滑り止めにしていた、超強豪校に入学することになりました。
この時点では、僕はまだこの先に地獄が待ち構えているとも知らず、まあ仕方ないぐらいにしか考えていませんでした。
たまたま同じ中学から、部活動で野球をやっていた友達も同じ道を辿っていたため、僕はその友達と希望を胸に、高校野球の門を叩きました。
高校に入学してから早速、僕は超強豪校に入っても、絶対甲子園に行ってドラフト会議で指名されるんだ!という決意を胸に、入部届を出し、翌日から入部することになりました。
野球部に入るなら坊主にしないといけないという決まりがまだバリバリ残る時代でしたので、僕は家に帰ってからは、躊躇なく坊主にして翌日を迎えました。
朝は同じ野球部に入部した中学の友達と、毎朝通学する約束をしたので、友達も丸坊主になっており、僕と友達は笑顔で笑い合いながら、高校野球を楽しみにして、学校へ向かいました。
そして、迎えた授業終わり。
超強豪校でしたので、野球グラウンドは校内にはなく、50分ぐらい離れた専用野球グラウンドへ、これまた専用バスで移動という形式になっていました。
授業が終わり下駄箱へ向かうと、違うクラスの中学の友達もいたので、五分ぐらい離れたバス乗り場に一緒に向かうことにしました。
すると、チラホラと遠くの方から、
「ちわ!!(こんにちわ)」っという大声が
聞こえてきました。
見ると、1年生の下駄箱付近から、丸坊主の集団が走りながら、2年生の下駄箱に向かって挨拶をしていました。
僕と友達はその大声に少し圧倒されながら、
ポカンとしていると、走っている1年から、こっちに向かって、「早く走って来い!」と言われたので、言われるがまま、走ってついていきました。
ここから、僕の地獄の高校野球時代の3年間は、幕を開けていきました。
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