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自分の原点となるデザイナー

「先生って職人気質ですよね」

休憩時間中になにげなく生徒と談話しているとき、
ふと生徒からみた《セッジ》像を語られたことがある。

「そういう風に見える?」
「ですね~先生の話す内容とか、作るものとか、人となりとかから、そういう印象を感じます」

「なるほど。もしそう見えるとしたら、父親の影響だろうね」
「そうなんですね!どんなお父さんだったんですか?」

今回はこの何気ない話から思い出していった、私の原点ともいえる父のことについて語ってみようと思う。

「デザイン」の定義と父の職業

日本での《デザイン》は、「美的なセンスを使って形作る」という認識を持っている人が多いと考えられる。

しかし《設計》と漢字にすると精密に計算された図面、そしてそれにより製品が生み出されることをイメージするだろう。

《デザイン》というと華やかで柔らかなイメージ
《設計》というと硬派で、実のあるイメージ

実際に私も仕事をするようになるまではそう考えていたし、専門学校の先生ですら、そのように考えている人は多いと感じる。
でもこの2つの言葉は実は同じ意味なのだ。

私の父は回路設計士であり、プロダクトデザイナーだった。
イメージ的に言えば「硬い仕事も柔らかい仕事もできる人」ということになるだろうか。

回路設計は実際に機械などが電気的に動くように回路図を作る仕事。
プロダクトデザインはいわば製品の外観を設計する仕事だ。

どちらも「実用的になるように考慮して設計する」ことが重要なことだ。
プロダクトの場合は長く使うモノでもあるし、使用者の愛着がわくように美しく(カワイク)作る必要もある。
(幼少期から回路図を見て育った私は、回路図にも美しさを見出す性質があり、それもあって私のロゴは回路図っぽいところがある。)

父の場合は内部の回路設計をし、それが収まる外観をデザインする。
いわば内側も外側もデザインするタイプだった。
大抵の設計士が製図用具のみ使用していたのに対し、それ以外にもマーカー、パステル、など画材などを使用し、製品を生み出していた。

フリーハンドで直線が引ける?

自分の子どもが自分と似た特性を持っていたら、あなたはどう考えるだろうか。

私は私の娘が父を含めて三代続く特性を持っているため、伸ばす方向で考えている。

父の場合もおそらくそうだったようで、私にはおもちゃを与えるよりも画材を与えてきたことが多かった。

正直言えば私は、まわりの友達が持っているようないわゆる《超合金》と呼ばれていたアニメのロボットのおもちゃが欲しかった。
しかし、父はアニメなどを見ること自体は禁じなかったものの「オリジナリティが育たない」と流行りのおもちゃを買うことについてはほぼ許してくれなかった。

したがって幼少期はそれこそ、粘土で宇宙戦艦ヤマトをまねて作ってみたり、ロボットをまねて作ってみたりそんなことをしていた記憶がある。

高校生になったある時、私が美術の方向に進むということを決め、本格的にその勉強をはじめたころ、父は私を部屋に呼ぶと、

「お前もデッサンの勉強始めたようだが、直線引けるか?」
「定規使って?普通に引けるでしょ?」

何を当たり前のことを言っているのかと答えると、

「いや、そうじゃねえんだよ。フリーハンドでだ」

デッサンを勉強するということは、人体解剖図などで人間の体の構造も学ぶことになるため、やや頭でっかちになっていた私は以下のように答えた。

「それは無理でしょー!人の体って円運動するようにできてるんだから」

それを聞いた父はおもむろにA4の用紙を取り出し、ズバッと音を立てながら何気なく直線を引いていた。
もちろんフリーハンドである。

「どうだ?直線引けるだろ?定規当ててみろ」

ニヤニヤしながら定規を渡され、調べてみればたしかに定規を使ったのかというような直線だった。

「ど、どうやってやるの??」
「慣れだ慣れ。とにかく練習してやり方考えてみろ」

と宿題を出されてしまった。
これはいまだに答えを見つけることができない宿題となってしまった。

グラフィックに進むのは反対だった

私がなぜ高校時代から美術の勉強を始めたかといえば、要するに美術大学に行きたかったからだ。

美術の勉強はとても楽しく、特にデッサンと立体構成が好きだった。
画塾の先生も熱心に勉強していると評価してくれていたが、いかんせん学力が全然足りていなかった。

やはり大学というだけあって、一定以上の水準の学力が必要になるわけで、私は大学受験に失敗してしまった。

「何年続けたとしても成功するかわからない浪人はダメだ」

ということになり、私は専門学校を探すことにした。
いくつか学校見学をしていたなかで「名前をよく聞き、学科専攻が多い学校」だった母校を選ぶことにした。

父は学校選びそのものについては反対はしなかったが、学科選びで大きな反対を受けることになる。

私はイラストレーターにもなりたかったので、その可能性もあるグラフィックデザイン科(当時はその中にイラスト専攻があった)を選択した。
これには大きく反対されてしまった。

「グラフィックなんて看板屋じゃねえか!中身の無い仕事なんてするな!」

父は私がプロダクトデザイナーになる事を望んでいた。
彼のイメージを端的に言うなら「昭和のオヤジ」そのものである。
割と怒りっぽい人ではあったし「〇〇とはこうあるべき」論の強い人でもあった。
そういう「強い父親」に育てられた気の弱い息子としては本来であれば言う事に従うところなのだが、

「でも…グラフィックも面白いかもしれないよ?」

とおそらく父にとっては初めて息子に反抗されたせいか、それ以降は何も言わなくなり、私はグラフィックの方向に進むこととなった。

実はあの当時は、
「専門学校卒業したら大学に編入できないかな」とか、
「プロダクトのことは父とその友人のデザイナーから教えてもらえばいい」
などとかなり甘いことを考えており、父たちから吸収できない部分を学校に求めていたのだ。

しかし、その甘い考えは専門学校1年の冬にすべて壊れることになる。
この年の冬、父は46歳の若さで突然死してしまうのだ。

おそらくそこを起点として、私自身にも大きな変化が起こったようだ。
まだ社会には出たくないと思っていたのが、とにかく早く仕事ができるようになりたいと考えるようになっていた。

絶対に勝てないライバル

こうしておそらく父が私に受け継がせたかった部分は完全に受け継がれないまま父は亡くなってしまった。

それは家業を継いでほしいとかではなくて、どちらかといえば父が蓄えてきた能力・技術的なものを継承したかったのだろうと考えている。

「定規なしで直線を引く技術」はデジタル時代の今や、一発芸のようなものではあるが、そういうことも含めて私自身も引き継ぎたいことはたくさんあった。

いまや父の最期の年齢を超えてしまっているが、それでも未だに父に勝っているとは考えられない。

想い出の中の存在を相手にしたら勝てないのは当然なのだけれど、イメージの中だけでなく勝てそうな気がしないのだ。

でもただ、グラフィックデザインに対する誤解だけは、解いておきたいとは思う。

学生時代はただただ、
「グラフィックも面白いかもしれないよ?」
としか言うことができなかったが、今なら言えるかもしれない。

「父さん、中身は大事だけど、どんなに良いものを作ったってPRできなければ、それを誰も知ることはないんだよ」

と。
先日、独自商品(動画教材)を制作し公開したばかりではあるが、まさにこの言葉が身に染みているところだ。

おっと、そうそう、この企画は「こんなデザイナーになりたい」である。
私にとっての、このテーマ最後の締めくくりとして父の話をした。

そう、私のデザイナーとしての原点、つまり父を超えるデザイナーになることが最終目標なのだと考えられるだろう。

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最後までご覧いただきありがとうございました。
セッジの原点でもある父のことについて少しお話させていただきました。

セッジは、グラフィックデザイン、イラスト、アニメ制作などを行ってきましたので、何かお手伝いできることがありましたらお声がけください。

教えることが好き、ということは私の特性の一つでもあります。
そのため、こういったnoteでもそのあたりのお手伝いができるのではないかと考えまして、先日動画講座を公開・販売開始しました。
「ゼロから学べるイラストレーター&フォトショップ初心者講座」
です。

よろしければ併せてこちらもご覧いただければさいわいです。

また、オンラインで誰かに教えたい、と思うようになったきっかけとなったお話「誰かをアシストするデザイナー」など自己紹介的な過去のお話をまとめたものもございますので、よろしければご覧ください。

最後に、セッジが運営するブログ、セッジデザインもよろしくお願いいたします。イラストレーターの使い方を始め、アフターエフェクト、デザインの情報を公開しております。


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