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アマプラ映画感想メモ#2『デス・プルーフ in グラインドハウス』

アマゾンプライムで見放題の映画を観てみよう企画二日目。
まさか二日連続でやるとは思わなかったが、できてしまったものは仕方ない。

前回と同じく致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。

今回観た映画はこちら。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』

〇観ようと思ったきっかけ

『チェンソーマン』第5巻の作者コメントに「デス・プルーフ in グラインドハウス大好き!」と書いてあった&『映画大好きポンポさん』にて、ポンポさんが好きな映画三選に選ばれていたため。

〇概要

2007年にクエンティン・タランティーノ監督によって発表されたアンソロジー映画『グラインドハウス』の一編『デス・プルーフ』を一本の映画として再編した作品。
『グラインドハウス』とはB級映画を何本か立て続けに上映するアメリカの昔の映画館のことで、作中では当時の質感を再現するためにフィルムのノイズや乱れを作中では敢えて発生させている(と、ウィキペディアに書いてあった)。

〇あらすじ

テキサスのイケてる女子ジュリア、アーリーン、シャナの三人が仲間たちと飲んでいると、怪しい車に乗ってきた胡散臭い男スタントマン・マイクに絡まれる。意気投合して話を聞いてみると、どうやら彼はスタントマンだったらしいが……

〇ノート

映画を観ながら取ったノートを読み返すと、途中まではかなり真面目なことが書いてある。
導入シーンの意味を探ろうとしたり、会話からキャラを起てる流れを分析したり、出来事が示唆する今後の展開を予想したり……
なのに、途中からはメモを取るのをやめ、ここに書けないような滅茶苦茶な印象ばかりが記されている。

考えることをやめたのだ。

これは決して作品がつまらなかったとかそういうワケではなく、ノートを取るための思考能力が映画によって麻痺させられたのだ。
ネタバレを避けて言語化するのは難しいが、言わば幻術にかかったようなものだ。
例えば、タランティーノ監督は、物語的に意味を持たない会話を延々と続けさせる演出をよく用いるという。
エンターテイメント小説なら読者が逃げ出す無意味な表現だが、この作品では「この映画は無意味なこともやるぞ」というブラフとして機能しており、先行きを予測できないソワソワ感をもたらしている。
また、そうやって惑わせるだけ惑わせて意味不明なまま終わるのかと言えば、そんなこともない。
最後はこの上なくバシッと決まって何だか最高の気分になれる。
何だかんだ感情を上手くコントロールされてしまったと、謎の敗北感に陥った。

〇感想

凄い映画だった。
物語ってこういうのもアリなのかと、単純に世界の広さを知った気分だ。
この映画の凄さは観てみないと分からないので、気になった人はとにかく観てほしい。
それにしても、カート・ラッセル主演の映画は『エスケープ・フロム・LA』も観たことがあるが、彼ってこう……何というか、そういう役どころが多い人なのだろうか?
彼らが取り組んだ他の作品も、今作の衝撃がおさまった頃にまた観てみたいと思う。

ではまた次回。

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