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アマプラ映画感想メモ#10『MERU/メルー』
今回はちょっと趣向を変えてドキュメンタリー映画を観てみよう、第十回目。
致命的なネタバレは避けるべく努力するが、あらすじや表現、全体の構成についてなどは触れようと思うので、一切情報を入れずに映画を観たい方はお気をつけて。
今回観た映画はこちら。
『MERU / メルー』
〇観ようと思ったきっかけ
ドキュメンタリー映画を観てみたいと思って検索を掛けたら見つけため。
〇概要
著名な登山家であるコンラッド・アンカーとレナン・オズトークによるヒマラヤ・メルー峰シャークスフィンへの登頂記録を、チームに同行した山岳写真家ジミー・チンが映画化した2015年のドキュメンタリー映画。
〇あらすじ
著名な登山家コンラッド・アンカーを中心としたチームは、未だ誰も踏破していないヒマラヤ・メルー峰シャークスフィン・ルートを制覇するべく断崖絶壁に挑む。着実な計画と共に登山は進んでいくが、山頂まであと100メートルというところで、思わぬ困難に遭遇してしまう……
〇ノート
ドキュメンタリーと言えど、エンターテイメントとしての基本構造は映画である以上あまり変わらないらしい。
断崖絶壁に吊り下げられたテントで縮こまる男たちの姿から映画は始まる。
どうしてこんなところにいるのか? 彼らは大丈夫なのか?
そんなハラハラした感じに引き寄せられたところで、山の中で小さな点とかした彼らの姿を俯瞰し、タイトルへ。
そこからは順当に主人公にあたるコンラッド・アンカーを中心に他の隊員たちのキャラクターを起て、同時に挑むべき対象であるシャークスフィンの難しさが強調されていく。
物語内ではシャークスフィン、山も一種のキャラクターとして機能しており、他の人物たちによって格付けされ、主人公たちを圧倒することでその存在感を観客に刻みつけている。
また、ドキュメンタリーは実際の映像や情報を素材に物語を構築しているわけだが、コンラッドの家庭環境については敢えて情報を制限し、重要な情報を後出しすることで彼のドラマ性を最大限に演出している。
ドキュメンタリーは事実を素材としながらも、決してただ素材を羅列しているわけではないということを思い知らされた。
〇感想
ドキュメンタリーという表現手法に興味があったので見てみたが、フィクションの物語創作にも持ち帰れる発想や表現を多く見つけることができた。必ずしも小説表現に転用可能というわけでもなさそうだが、取り入れられる部分があれば取り入れていきたい。
それでは、また次回。
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