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人生は冒険(2022/12/11更新)

自分探しの旅

 長い間『自分探し』をしてきました。みんな一度はするのだろうと思っていたのですが、しない人も結構いるようです。自分は『何のために生まれてきたのか』という疑問を持ち続けていた時期があります。『何のために生まれてきたのか』も考えない人はたくさんいます。最近は自分の中で優先順位が低くなってきたのか、『何のために生まれてきたのか』が気になったのは一時期だけで、自分探しもあまり考えなくなりました。こういう境地から卒業したというよりは、特別意識するものではないということを受け入れられたのだと思っています。明確な答えが見つかったわけではなく、明確な答えなどどこにも存在しない、ということを受け入れることができたのだと思います。
 『自分探し』をしたり、『何のために生まれてきたのか』という問いにフォーカスする理由として考えられるの1つの要因として、『特別でありたい』という感情です。有名人でなくても、それがとても小さな世界であっても、『ちょっと特別な存在でありたい』のだろうと思っています。承認欲求です。自分は何か使命を持って生まれてきている、何かをするために存在するという意識だと思います。極端にいうと、それがないと、自分の存在価値が見いだせないのです。
 私の場合、自分の中に承認欲求が占める割合が大きいことは、以前から気がついていたのですが、それがいろんなことに影響していることには気が付いていませんでした。だから承認欲求を満たすことを考えていました。そうではない、進む方向を間違っている、それに気がつくのにずいぶん時間がかかりました。
 『何のために生まれてきたのか』に特別な答えを求めるため、迷路に迷い込みます。有名人のような、何かをするために生まれてきたという『なにか』を探してしまうのです。その『なにか』は自分にとっては特別なものかもしれませんが、周りの人にとっては特別でも何でもなく、気になるほどのことではないかもしれません。それが承認欲求につながります。自分の人生は人に認めてもらうためにあるのではないのですが、そこにフォーカスして『自分探し』を始めてしまうと、その迷路から抜けられなくなるのです。

『自分探し』は終わらない

 本来、『自分探し』は、自分が輝ける場所を探すものだと思っています。本当は何をしたいと思っているのか、何に目覚めるのか、どんな才能があるのか、それを探し求めているはずなのです。それが承認欲求が強いことによって、自分が何者であるのか、どんなことができるのかにフォーカスするのではなく、自分を見てもらうことにフォーカスしてしまいます。これでは進む方向を間違ってしまいます。進む方向が違うということは、エネルギーを注ぐ方向が違うということ、エネルギーの無駄遣いです。
 自分が何をするために生まれてきたかなんて、誰にも分かりません。世界的に有名な人で、それをするために生まれてきたなんて言われる方もいますが、全て後付けです。もちろん子供の頃から、ある分野で才能豊かな方はたくさんいらっしゃいます。でもその方たちも、それをするために生まれてきたわけではありません。『何のために生まれてきたのか』という問いに答えはないと言う方々がいらっしゃいますが、私もそう思っています。きっと答えはないのです。
 『何のために生まれてきたのか』という答えを求めて『自分探し』をしても自分探しは終わりません。意図的に終わらせようとしても、どこかで『自分探し』をしています。探しても見つからないということに気がつかなければ、そしてそれが腑に落ちなければ、終わらせることはできません。いつまでも探し続けてしまいます。
 『自分探し』で外側に答えを求めても、答えは見つかりません。答えは内側、自分の中にしかありません。でも、それを見つけるのは簡単ではなく、時間がかかります。そして、おそらく、これには終わりはないのでしょう。自分を明確に知るということは簡単ではないと思います。人は複雑という意味ではなく、本来はシンプルであったとしても、人は物事を複雑に考えがちで分かりにくく、自分でややこしくしてしまっています。人には物事を複雑に考える能力がありますから。自分自身を客観的に見ることはちょっと難しいので、自分を知ることは、他人を知るよりも難しいと感じています。
 『自分探し』ではなく、『人生の目的』探しをするのが良いと感じています。『自分探し』と『人生の目的』は切り離せるものではないと思うのですが、別のものと捉える方が良い気がしています。『人生の目的』が先に見つかれば、進む方向が明確になり、行動しやすくなります。『自分探し』のヒントもたくさん得られます。『何のために生まれてきたのか』や『自分探し』に意識を向けるよりも、『人生の目的』を意識した方がより幸福感を得やすく、生きやすくなると感じています。

人生の目的とは

 人生の目的というと、自分探しと同じぐらい漠然としていて、これもまた迷路に入りそうです。目的とはゴール、最終的にどういう人生にしたいか。そして途中で変更ありです。一度決めたら変えられないというイメージを持っている人もいると思います。子供の頃、プロ野球選手になるという夢を持ち、小学校の作文で『プロ役選手になる』と書き、中学高校と野球部に所属する、というように、ゴールは変わらず、ずっとそのゴールに向かって突き進む人もいるでしょう。ですが、誰もがそういうわけではありません。時が流れ、自分が成長し、物の見方や考え方が変わってもおかしくありません。もちろん目的はずっと同じでも良いですが、変わってもおかしくないのです。何度でも変わっても良いのです。
 目的は『●●になる』というものでもありません。『作家になる』も『好きな食器に囲まれて暮らす』も目的としてありです。ですが、『留学する』は目的ではありません。留学してどうしたいのか、何のために留学するのか、この『何のために』が目的です。手段やツール(道具)と目的を取り違えないようにしたいです。
 また、在り方を考えてみると良いでしょう。自分がどう在りたいか、学校で教えてもらうこともなければ、自分でもなかなか考える機会がないと思います。自分がどう在りたいというのは『自分自身のブレない軸』でもあります。それをしっかり持っていれば、選択を迫られた時に自分にとって良い選択をする基準となります。私は若い頃に、在り方なんて考えたことはありませんでした。何になりたいかはいろいろ想いをめぐらせましたが、どう在りたいかなんて一度も考えたことはなかったです。ですがこれは自分の価値観にもつながる、個人の考えとしての大切な部分です。自分と向き合わないと思いつかない方も多いと思います。一度、自問自答してみてください。新しい発見があるかもしれません。

目的を見つける

 人生の目的見つけるとは言っても、何をどうしたらいいのか分からないというのが現実だと思います。こういうことに悩まない人は、深く考えなくても目的を見出せる人か、こういうことを意識しない、意識したことがない人です。目的は時に手段と混同しがちで、私も、手段をずっと目的だと思っていました。
 小学校の高学年の頃から高校を卒業するまで、ずっと海外に留学したいと思っていました。アメリカ人になりたいと思っていました。(笑)ようするに、海外で生活して、外国人のように生活してみたいと思っていたのです。留学するのが『夢』でした。この時点で既にズレています。留学してどうするのか、どうしたいのか、何のために留学したいのか、そこは追求したことがなかったのです。
 そして、25歳の時、ワーキングホリデービザでオーストラリアに行きました。留学するほどのお金がなかったことから、ワーキングホリデービザで海外へ行こうと思ったのです。当時、このビザがあるのは、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの3ヶ国だけ。スクーバダイビングをしていたこともあり、オーストラリアに行くことにしたのです。そして、できるだけ日本人が少ない場所ということで、西オーストラリアのパースに行くことに決めました。
 目的がなくても、目標の軸がブレても、行動することはできます。明確な目的もないまま、海外で生活してみたいという理由だけで、日本を出国しました。そしてパースに滞在している間も、明確な目的を見つけられず、半年を過ぎる頃には焦り始めたのです。このまま日本に帰ることになったら、いったい何のためにオーストラリアにきたのか、そんな風に感じ始めたのです。
 ただ、パースでたくさんの素敵な出会いや経験がありました。多くの人に助けてもらったり、助け合ったり、時には嫌な経験もしたり、日本にいては絶対にできなかった経験をすることができました。今でも行ってよかったと思っています。結局、明確な目的を見つけられないまま、不本意ながら帰国しました。
 そもそも、目的とは何か、これが理解できていなかったのです。留学すること、海外で生活することが目的になっていました。でも、これは目的のための手段、途中の目標です。ただ、最近、これが目的でも良いのではないかと思うようになりました。海外生活を体験するという目的。そのために、お金をいくら貯める、TOEICで何点取る、という目標がある。
 目的がないと考えすぎて、身動きが取れなくなるなら、多少ズレていても、仮にそれが間違った考えだったとしても、行動できないよりは良いのです。行動しないと何も始まらないですし、何かを見つけることもないのです。
 結局、行動するしかないのです。『でも。。。、やっぱり。。。、もう少し準備してから。。。、○○ができてから。。。』ではダメなのです。今すぐ行動しないと、おそらく、『○○ができてから。。。』の○○は、一生できないままかもしれないですから。そうはいっても、何百万円もかかることなら、今すぐ行動というわけにはいかないですよね。それなら、本当はいくらかかるかきっちり調べて予算をはっきりさせる。これは、結構手間暇かかるので、それなりに行動する必要があります。また、もっと簡単なところから、大きな目的に関連する何かを習いに行く、ということもできると思います。月に1万円ぐらいの月謝だったら、行動しやすいですよね。
 とにかく、何とかして行動すること、それしか解決策はありません。

行動がもたらすもの

行動すると、いろんなことが変わります。少しずつ変わる場合もあれば、突然大きく変わることもあります。それは、人間関係、環境、いろいろありますが、一番変わるのは自分自身です。今まで見えていなかったものが見え、今まで聞こえなかったことが聞こえ、付き合う人が変わります。
 意識が変わるという人がいますが、意識が変わるのは一番最後です。そんなに簡単に意識は変わらないのです。生まれ育った環境や経験から価値観が生まれます。意識は、無意識の部分も含めて、その価値観に左右されます。人の意識ってそんなに簡単に変えられないのです。だから行動するのです。その行動は価値観が反対する場合もあると思います。
 以前、あることを学ぼうと考え、教室を探しました。その時に、年齢層が若いクラスには入りにくいなあと思い、あえて、年齢層を表記しているスクールに入ろうと考えました。でも、そのクラス、いっぱいで入れなかったんです。他のところも探したのですが、時間が合わず、ここなら行ってみようかな、と思う教室がありませんでした。縁がないのかなあと思い、少しの間、放置していたのですが、やっぱりやりたいと思い、年齢など気にせず、初めて学ぶ人でも入れそうなクラスがありそうなところに問い合わせ、体験参加させていただきました。
 参加して感じたのは、子供から少し年配の方まで、いろんな年齢層の方がいること、初心者から結構慣れた方までいること、先生がかなり目を行き届かせてみてくれていることなどが分かりました。結論から言うと、楽しかったのです。最初に、行ってみようかなあと思ってから実際に行ってみるまで、4ヶ月経っていました。年齢やレベルを気にして、動けなかった時間がもったいなかったです。
 行動すれば、何かが動き出し、何かが変わり始めます。違うなと思ったら、そこでやめればいいだけなのですから。


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