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お願いだから静かにして

いつもの席は近所の高校の生徒らしき人に使われていた。
仕方がないから駅と線路を見下ろせる窓を正面にして座ることのできる背もたれのないカウンターに座った。
猫背だから背もたれのない席でいつものように長時間い続けるのは無理だと察したが、隣に誰かの気配を感じながら作業をするのは背もたれがないことよりも苦痛に思った。

数日前から小説を書き始めた。どこに行く時も色々なアイディアや言葉がコトコトと頭の中をよぎるが、具材だけあって調理器具がない台所のように、思いついた言葉やアイディアをうまく煮詰めることができないから結局何も役立つことなく記憶のメモリから無へ帰してしまう。

日々書き留めているイライラした出来事とどうしてイライラしたのかが書かれているメモを見返した。普段自分がどういう風に人のことを見ているのかを出来る限り客観的に読み、他人に厳しく自分に甘い自分に辟易してしまった。
ワードでカタカタと文字を打ち込み、なかなか上達しない文章能力に落ち込む。
気分転換に持ってきた本を読む。
大好きな作家さんだし物語はやっぱり面白い。こんな文章が書けたらいいなと烏滸がましくも目標にしているものの、背もたれがないせいか集中力が続かず結局YouTubeを開いてしまった。
画面を開くと戦争や新党発足のニュースで埋め尽くされていてうんざりしてすぐに閉じた。

夕飯を作る時間になったからだろうか。あんなに混んでいた店内は少しの喧騒と少しの静寂さを残していつもの形に戻りかけていた。

窓のフレームに目を落とすと、数匹の半透明な小さな虫の死骸が転がっていた。
帰宅の電車に揺られた人たちが改札を出て、駅前のスーパーに入っている。生活の影がいつの間にか大きくなっていた。

返却口には沢山のコーヒーカップやトレー、サンドイッチを包んでいたビニールが溢れていた。無理矢理そこに自分が飲んでいたコーヒーカップを詰め込み店を出る。

小さな本屋に寄って、数冊パラパラめくって何も買わないまま店を出た。
出る時におばあさんが本を買っている最中だったから店員さんからの透き通った声でありがとうございました〜と言われなくてホッとした。
何も買っていないのだからお礼の言葉なんかいらないのにといつも思う。

帰る途中、小さな商店街を歩いているとマイクのボリュームの設定を間違えいてるのか、とても大きな音量で電車の延伸反対の署名運動をしている人たちがいた。
マイクを握る人やビラ配りしている人、署名用紙とペンを持ってその辺を歩いている人に署名をお願いしている人みんなが高齢者だった。高齢者は電話口で大きな声で話さないと相手に聞こえないと思っていると何かの記事で読んだことがあるが、あのボリュームの大きさはその一種なのか。
延伸することで街の利便性が向上するが、その分今の景観が変わってしまう可能性がある。こんな小さな街がちょっと延伸しただけでそんなに変わるのかななんて分からないが、マイクのボリュームに負けない音量で好きな音楽を聴いて歩いている自分には彼らがどういう理由で反対しているかは聞こえない。
目の前にいる誰かが大声をあげている気配を確かに感じながらそれを無視して聴く音楽は気持ちよかった。

家に帰り、部屋着に着替える。
ベッドに横になりYouTubeのアプリをタップすると、まだそこには戦争とか国会とか経済政策に関することがおすすめに表示されていた。
お願いだから少し静かにしてくれないか。


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