無能社会人2年目の憂鬱

仕事が全く手につかない。
この4連休の間に溜まったメールを返し、iPhoneのアプリのアイコンの右上に書かれた「6」という数字に絶望してため息を吐きながら6件全てに電話を折り返す。
そして午前中に溜まっていたほぼ全ての案件を終わらせる。

探せば嫌と言うほど出てくるが、今日やらなければならないという仕事がないから、取り敢えずどこかへ行こうと思う。率直に言うとサボりにどこかへ行きたいと思ってしまう思考が癖になってしまっているのだ。
それでもやはり幾分かは罪悪感は抱くので、せめて喫茶店にしようと考える。喫茶店なら何かあった時にもすぐPCを出して対応できるからだ。
ただ実際は喫茶店に着いてもあまり連絡は来ず、優雅にスマホゲームと読書に興じることができるし、例えば今日なんかは東京藝術大学を散策してとても文化的な日だった。

今の仕事内容に到底満足なんてしていない。でもそれを言い訳にやる気がない理由にしてしまうのが癪なのだ。
人事の人に「今与えられた仕事をしっかりやらないと異動できないよ」と昨年言われたのを思い出した。給料をもらっているのだから、嫌な仕事でも完璧にこなさないといけないから、やはりその言葉は正論なのだと思う。

やる気のないことはクライアントにもバレバレで、この1年で担当を変えてくれと言うクレームが2回入った。きっと僕は今の会社で出世はできないだろう。そして大多数のクライアントが僕に連絡をあまり寄越さないのは、やはり僕が圧倒的に能力が低いからだろう。
しかし仕事に対してやる気がない僕が言うのもなんだが、頼られないと、自分の存在意義や仕事の意義を疑わざるを得ない。そしてモチベーションが下がって、現実逃避をするために仕事をサボってしまう悪循環だ。

直属の後輩がとても優秀だ。上司と仲良く話していると「もう、越されたんだな」と思ってしまう。その悔しさをバネにできたらいいが、小学生から劣等感に苛まれた僕のバネはもはやゆるゆるで、全然反発しない。
「嗚呼、すごいな」「もうこんなことできるんだ」と感心すらしている。
人に追い越されることに慣れてしまった僕の心に、向上心はまだ残っているのだろうか。

去年は4月から半年ほど、毎晩泣いていた。自分の無能さに呆れていて、毎晩仕事のことが不安で眠れなかったし怖かった。それだけ去年は仕事に対して誠実だったのだろう。責任感を持っていたのだろう。
今では「明日やればいいっしょ」「生きてればこんなことも言われるよね。しょうがないよね」といわば諦観した考えで毎夜を過ごしている。

セックスをしたり、小説を読んだり、YouTubeを観たり、それが僕にとっての現実逃避で、シェルターになっている。
それが根本的な解決に繋がるなんてあり得ないということは分かっている。

このままではダメこのままではダメこのままではダメ。何度も何度もそう唱え続けたが、どうしても体が言うことを聞いてくれないのはどうしてだろう。

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