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エゴが大事なものを損なう事例

知っているようで知らない「エゴ」。「エゴ」が出てくると人はどうなるのか。

この記事では、エゴによって大事なものを損ないかけた事例を紹介します。

1.ある離婚した家族の話

ある離婚した夫婦の話です。母親が子供二人を引き取り、父親は近くに住んで母親の手が回らないときは、子供達を預かっているそうです。

ある日子供が風邪をひきました。けれども母親は会議があるので仕事を休めません。そこで父親に頼みました。父親も同じように会議がある日でしたが、それは伝えずに引き受けました。

その時の父親の気持ちは、次のようなものでした。

一緒に住んでいないけど、子供達を大切に思う気持ちでは負けてない。
そう思いたいから、会議があっても仕事を休むし、会議があること自体妻へ伝えなかった。
会議があるけど休むと伝えてしまうと、会議があれば休めないと思っていることになって、子供達を大切に思う気持ちで勝てないから。

さて、これはエゴでしょうか。私はエゴだと思います。

なぜかというと、ここで大切にしているのは自分自身だからです。自分が理想としている自分を大切にしています。
しかし、ここで注目したいのはエゴかどうかよりも、エゴを優先したことで何が損なわれたかということです。

損なわれたのは「子を大切に思う気持ち」です。

子を大切に思っているから、会議がある日でも仕事を休む。「子を大切に思っている」ただそれだけで良いはずです。それがねじれてしまって、「子を大切に思っていることを(子や母親、自分自身に対して)証明したいから、会議がある日でも仕事を休む」となってしまっています。

愛の証明だとか、そういった解釈ではこの行為の純粋性が失われます。この場合の純粋性とは、「子を大切に思っている気持ち」です。そうならないためには、ただ大切、心配、そういった気持ちから行動します。
ただやる。そこに損得は求めない。見返りを期待しない。ということが重要です。

幸い、父親の話だと、以下のとおり、子供を預かる前に「子を大切に思っている気持ち」に気づくことができ、1日を有意義に過ごすことができたそうです。

愛の証明のために行動すると、どうも気分が良くない。その原因がわかりました。
ただその人を大切に思う気持ちから行動しているのに、そこから生まれるかもしれない副産物(愛の証明)をあたかもメインの目的としてしまっていることを、良くない気分を通じて自分自身に気づかせてくれていたのでしょう。
幸い、子供を預かる前に気分の変化に気付き、少しの間、瞑想してみたところ、エゴが出て本来の自分の気持ちを損なっていることに気付けました。

2.まとめ

エゴを満たすと一見、自分自身を満たして幸せのように見えますが、それは間違いです。逆に、自分自身とは離れてしまいます。自分自身と離れた幸せは自分の幸せではなく、他人の幸せです。いや、それどころか誰の幸せでもないかもしれません。

エゴを手放すのは一筋縄ではいきません。
まずは感情変化をシグナルに、エゴの出現に気づけるようになりたいものです。日々精進あるのみですね。

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