新しい映画の制作が始まった/『le deuxième acte』(5/26)
ついに... ついに自宅にピアノがやってきた!ピアノと言っても、電子ピアノだれけど。電子になった理由は二つある。
今のアパートはインターネットで見つけて内見もせずに決めたのだが、"プロフェッショナル管理人"である現在の管理人さんの徹底的に丁寧な仕事のおかげで共有部分は超綺麗で快適。重い荷物も預かってくれるから、時間指定のできないフランスの配達システムでも大助かり。肝心の部屋自体も、家主のお爺さんが素朴に運営しているため、ところどころガタついてはいるが想定していたよりも広く、ピアノも置けそうである。
だがしかし、エレベーターがとにかく狭い!!
こればかりは、プロフェッショナル管理人も、家主のお爺さんもどうしようもできない。
もうひとつは、一年目のVISAの更新もしくは身分変更が上手く行くか、まだ何とも言えないところ。
一度帰国しなければならなくなっても、家賃さえ払っていれば家はキープしておけるだろうとは思いつつ、電子と違って大きな家具のようなものなので、ここは手堅く行こうとなってしまった。
まあ、天井が高くてよく響く部屋だから、ひとまず電子ピアノで事足りるだろう。
「将来的には電子ではないピアノを買う」という目標は変わらず持ち続けている。
具体的に探している雰囲気と音色っていうのがあるのだが、今回それに近いものとすぐに出会えなかったのも大きな要因になっている。出会うまで楽器がない、というわけには行かないし、次にピアノを買うときは妥協せずに行きたい。
ようやく自宅に楽器が来たので早速練習... すれば良いものを、シンセサイザーのボタンを発見してしまったのがまずかった。
昨日観た『チャレンジャーズ』のサントラごっこみたいなのを始めてしまって、そしたらそれが楽しくなって練習の片鱗すらないまま気がついたら正午。
子供の頃から好きな映画を観ると、そのあとすぐにサウンドトラックを真似して弾くという古典的な一人遊びを繰り返していた為、未だにそのクセが全く抜けないようだ。とっても楽しいから良いんだけどさ。
14時にはお開きになるから、急いでマルシェへ買い出しに出掛ける。葉物野菜、ジャガイモ、胡瓜、ズッキーニ、トマトなどを買いたいと思っていたのだ。
フランスは魚介類の値段が高い印象だが、マルシェで買うと比較的良心的な価格でも手に入る。たまに食べたくなったらそれも買ったりもする。(自宅では、乳製品以外の動物性の食品は殆ど食べないが)
お花屋さんに行列ができているのを見る時、買い出しに男性客が多いのを観る時は特にフランスを感じる。
日本のスーパーで男性が熱心に青果コーナーやお花コーナーで買い込んでいる姿はあまり見たことがない。
マルシェではクレープ、焼き菓子、ラザニアやエスニック料理などの惣菜や加工食品なども販売されていて、その場で食事を取ることもできる。ついつい美味しそうなラザニアを発見し(マルシェだと一人前6.9€くらいでも見つかる)わぁ食べたいなぁとチーズ屋さんに吸い込まれそうになったが、自家製の塩麹を使ったドレッシングでサラダを食べる予定だったから今日のところは我慢した。
パリに発酵食品を研究してらっしゃる方がいて、その方の影響で家庭用の発酵食品製造機を先日購入したので早速塩麹を作ったのだ。
フランスの家具付き賃貸物件は(物件にもよるのだが)家主さんの性別問わず調理器具が充実していることが多く、うちもミキサーやらオーブンやらが最初から揃っていて、それらも有り難く活用させて頂く。ゆくゆくは納豆も自宅で作ろうという魂胆!
夕方は『le deuxième acte(The Second Act)』というQuentin Dupieux監督のフランス映画を観にMK2へ。やっぱり選べるならば、UGCよりMK2の方が好きかな。
最初は「これはちょっとイケすかない設定の映画かも知れない」と不安を覚えるスタートだったが(俳優が"カメラ=観客"に向かって話しかける類の映画に妙な警戒心を持っているので(笑))そういうコンセプトに慣れてくるとそれなりに笑えた。出演している俳優たちを含む有名な役者たちのパブリックイメージを(悪?)利用して「そういう彼らの素の姿」を演じていることがご本人たちは楽しそうで、それが良かった。
チョイスした監督がPaul Verhoevenなのと、それを演じているのがVincent Lindonという、何とも言えないリアル路線と滑稽さはまさに監督の狙いの本作テーマを匂わせていたし、俳優ありきで書いた脚本ってズルいけれど、作ってる本人は楽しくって仕方がないのだろうなと思うと悪い気分になれない。
そもそも私は、自分の仕事を楽しんでいる人が好きだ。
そういう意味では先述うちのアパートの管理人だってそう。そしてVincent LindonだってLéa Seydouxだって、Louis GarrelもRaphaël QuenardもManuel Guillotも、みーんなそう!
この映画の魅力はそこだと思う。監督としてはフィクションとリアルについて積年の想いを描きたかったのだと思うが。
今年のカンヌ映画祭オープニング作品だったみたいだから流石に日本でも公開されるのかしら?(一部のプレスでは映画祭での様子に批判的だったみたいだけれども)
しかしこういう作品こそ翻訳家の方の腕(人物の理解度とか世代感、ユーモア)が問われそうだよなぁ。
近年のフランス映画でたまに、翻訳が硬すぎて役者の役作りが無視されていると思うようなものもあったりして、翻訳は表現家である必要があると思う。
小説なんか、ずっとそのジレンマを抱えてるんだと思うと本当に大変だね...
いずれにせよ、私が観た劇場では多くの人がクスクスゲラゲラ笑っていたし、たまに大笑いも聞こえた。
現代のモラルに触れるところなんかは、少しだけ「不適切にもほどがある」というドラマシリーズのことを思い出した。どの国もコンプライアンスだとか言語の扱い方の正解に戸惑い、苦労しているのかも知れない。
夜はサントラごっこをやめて、自分が作るべきサントラの準備を始める。次の映画は主題歌もやらせてもらうことになっていて、歌詞のアイデアを主役の役者さんから手紙やノートという形で託されている。
撮影中にその役に生きることで役者さんから出てきた言葉。その言葉を受け取って、監督や観客や、もしかしたら映画を観ていないような人の中にも命の息吹きを届けるために音楽をならしたい。
主人公がどんな人物なのか、どういう風に生きているのかを熟考するところから始める。
「役者さんから受け取ったノートを返す時、何か一言、返事的なものを書いてあげて欲しい」監督からそう言われた。
でもそれだけじゃつまんないなと思っていた矢先、制作過程を全部ノートに書いてみることを思いついた。さながら自由研究だ。
いつでも仕事は楽しいけれども、今日またこうして新しい楽しさという獲物を見つけてしまった。
こんな毎日あちらこちらで、ワクワクする新しい何かが散らばっているのだから、人間ってほんと凄いよなぁ!
孫悟空みたいな気持ちになりながら一日を終えるのだった。
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