自分が育てた RPA をクビになったので映画「スティーブ・ジョブス」を観た。
A Robot for Every Patient (医療費控除をRPAで効率化した話)
https://note.com/sebastian510/n/n3b79b67f5d98 でお約束した、社内RPA推進者への経緯からお話しします。
RPAを始めたきっかけ
RPA を始めたきっかけは、2016年11月16日の日経情報ステラテジーの記事「8000時間の事務処理を削減した三菱東京UFJ銀行」でした。
2017年度のテーマとして、私が主担当、補佐としてその年着任した課長が加わり計2人、他に色々な方の助けを借りながら準備を進めました。スポンサー獲得のために、経理部や国内営業部や海外営業部に YouTube の RPA動画を見せながらPC作業の自動化の良さを説いたり、親会社だったメーカーのグループウェアを徘徊し RPA に取り組んでいる人がいないか探したり、 BizRobo! や WinActor の取扱店に話を聞きに行ったりしました。
2018年 CoEの設置
2017年度の後半、各部門からの選抜メンバーで WinActor の60日間トライアルを実施する頃、新たに加わった部長・課長・一般社員とともに、実質8名相当のメンバーでいわゆる CoE が設置され、2018年に全社展開を開始しました。
時は流れ、2022年8月。
8人いたメンバーは異動・自己都合退職者を補充せず3人になっていました。しかも、私以外の2人は今月から今の親会社と兼務で、そちらが本務。
2022年 CoEの親会社への移管
5年目に突入する UiPath のライセンス更新の目途が付き、ほっとしていると、ITが専門ではない着任半年の部長に Teams で呼び出されました。
「これからは情シスの業績管理をやってくれ。RPA は親会社の情シスに移管し、今月この部から出向した2人と親会社の情シスメンバーで進める。」
青天の霹靂です。彼らの兼務が外れたら、私は1人 CoE かと思っていました。心細いかというと否定はできないかもしれませんが、最初は1人だったので、元に戻っただけです。
しかし、1人 CoE ではなく、手塩にかけた RPA が異動して、自分は別の仕事で留任。CoEにとっては、よい方に受け止めると、連結 4,000人の子会社 CoE から連結 20,000人の CoE への大出世です。でもそこに私はいないようです。自分で仕事を作ったような気でいても、メンバーシップ型雇用の会社員は仕事を選べません。
RPA をやめて、淡々と他人が立てた事業計画の管理をするか、いや、CoE の重責がなくなれば、市民開発者として自分の仕事を自動化して楽しむのもいいか。
ふと、自分が育てた Apple を追われたスティーブ・ジョブズを思い出し、映画「スティーブ・ジョブス」を観ました。そんな偉大な人物と比べるつもりはないが、彼はどんな気持ちだっただろう。
アシュトン・カッチャー主演「スティーブ・ジョブス」(2013) 感想はこちら
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