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ヘリウムマガジン

増田セバスチャン主宰のNPO法人ヘリウム公式マガジンです。購読料は、NPO活動に使われます。 増田セバスチャンの最新コラム、雑誌でセバスチャンが連載していたお宝コラム、海外活動…
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#イベントレポ

展覧会レポート:「Digital Tribe -未来のコミュニティのあり方-」

今月、HELI(X)UMが主催する増田セバスチャン&京都芸術大学ウルトラファクトリー/カラフル・ラボの展覧会「Digital Tribe -未来のコミュニティのあり方-」の京都開催が無事閉幕致しました。 この記事では同展示の様子をレポート。開催に至る経緯はぜひ前記事をご覧ください。 展覧会「Digital Tribe -未来のコミュニティのあり方-」が開催されたのは、京都芸術大学の関連施設である「Obra」というギャラリー。入り口でみなさまをお迎えしたのは、アイキャッチ的

原宿発のカウンターカルチャー「KAWAII」がなぜ国や企業の後押しを得るのか_富士山展3.0トークショー(6)

富士山展3.0トークショーの書き起こし、最後には鋭い質問も飛び交った質疑応答をお届けします! 観客1(女性) 原宿を中心にしたカワイイ文化って、女の子たちが売ってるものをそのままじゃなく自分なりにアレンジさせて身につけるっていう、ある意味反政府的な、大企業嫌いな感じで発展してると思います。でも、そういう文化って盛り上がるけれど、経済的が回らなかったり、わかりにくくて世界に出なかったりするところを、増田さんが企業とコラボしたり世界にわかりやすくしたのかなと思うのですが、その相

70年代のハローキティ、震災後のきゃりーぱみゅぱみゅ。平和への願いがKAWAIIを生み出す_富士山展3.0トークショー(5)

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった (2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題 (3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える (4)ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」その真の力とは? 登壇者 【左】施井泰平【中央】増田セバスチャン【右】藤田直哉 *プロフィール詳細は(1) 増田セバスチャン NY大学で発表したんですけど、今はインターネットを通じて「デジタルトライブ化」

ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」、その真なる力とは?_富士山展3.0トークショー(4)

2020年2月に開催されたトークショーの書き起こし(4)から後半です。 イベント当日とは現在は大きく状況が変わっておりますが、アート、KAWAII、IT、分断、対話など、たくさんのテーマが入り組んだ、大きな場所ではなかなか話せない、1時間半の熱い、熱いトークセッション。今こそ読み直しておきたい内容となっております。是非ご覧ください! (1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった (2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題 (3)ディスカッシ

ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える_富士山展3.0トークショー(3)

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった (2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題 登壇者 【左】施井泰平【中央】増田セバスチャン【右】藤田直哉 (プロフィールは(1)参照) 施井泰平 領域と分断という意味では、あいちトリエンナーレの炎上が去年ありまして。あいちトリエンナーレって、最初の段階から男女の数を平等にしますって言ってたりとか、これまでのアートフェアやイベントと一線を画したプロモーションをしてたりする印象があったのです。結果

芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる「領域」問題_富士山展3.0トークショー(2)

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった 登壇者 【左】施井泰平【中央】増田セバスチャン【右】藤田直哉 (プロフィールは(1)参照) 施井泰平 増田さんが若い頃に、現代美術家の飴屋法水のところにいて、レントゲン藝術研究所とかを見ていたという話があったと思うんですが、そもそも増田さんがもともと現代アートの人だというのはあんまり知られてないと思います。 そこを圧縮して、6%DOKIDOKIだったりきゃりーぱみゅぱみゅの美術とかサンリオピューロランドのパレードと

日本のアートは2011年を境に変わってしまった_富士山展3.0トークショー(1)

2020年2月にHELI(X)UMの会場を使って開催された富士山展3.0トークイベント「アートから生まれる『対話』の現在 −テクノロジー、カルチャー、コマーシャリズムを通して−」の書き起こしをお届けします。 イベント当日とは大きく状況が変わっておりますが、新たな時代の変換点を迎える今、改めて残しておきたい内容であるかもしれません。 アート、KAWAII、IT、分断、対話など、たくさんのテーマが入り組んだ、大きな場所ではなかなか話せない、1時間半の熱い、熱いトークセッション

Kawaiiカルチャーを産んだ3つの潮流とは?__その3:世界に広まったHARAJUKUムーブメント

その1はこちら その2はこちら 世界に広がったKAWAIIカルチャーそしてさらに2000年になり、KAWAIIを作るもうひとつの潮流が見えてきます。 1998年にホコ天が無期限で休止してから、原宿はどんどん静かになっていきました。雑誌のminiやsmartに代表されるようなシンプルファッションブームが訪れ、ユニクロ、そしてその数年後にはH&Mが上陸するなど、ファストファッションが次々と原宿にやってました。 では、カラフルで奇抜な原宿ファッションはなくなったのか? 違い

Kawaiiカルチャーを産んだ3つの潮流とは?__その2:アメリカのキャラクター文化

増田セバスチャンがKAWAIIが生まれたそ歴史について3つの潮流から考える、今回はその2つ目をお話します。その1はこちらからです。 80'sアメリカのカラフルなキャラクターたち戦後の少女文化、の次に僕がKAWAIIを作ったもう一つの潮流と考えているのは、80年代アメリカのクレイジーでカラフルなキャラクターたちです。 代表的なのはマイリトルポニー。僕は90年代にはじめてロサンゼルスでこのキャラクターを見たんですが、衝撃でした。馬に毛が生えてる!!ってすごくびっくりしたんです

Kawaiiカルチャーを産んだ3つの潮流とは?__その1:戦後の少女文化

先日開催したイベント「増田セバスチャン5時間トーク」(結局8時間トーク…)の中から、原宿でKawaiiファッションなぜ生まれたのか?についてお話した前回に続いて、今回はどのようにして世界でムーブメントを起こした「Kawaiiカルチャー」が生まれたのかを増田セバスチャン的解釈でお届けしたいと思います。 KAWAIIとはなにか? 「可愛い」と聞くと、日本人はすぐ漢字に置き換えて、人形や小動物や赤ちゃんなどを思い浮かべる人も多いと思います。「可愛い」という言葉自体は、いとおかし

なぜKawaiiファッションは原宿で生まれた?〜増田セバスチャン的・原宿の戦後史(後編)〜

増田セバスチャン的解釈でKawaiiの歴史を紐解いたトークショーレポート。戦後から80年代までの歴史を振り返った前編に続きまして、後編ではついに90年代に入り、原宿でKawaiiファッションが生まれたその背景を探ります。 【カラフルな原宿ファッション】規制された自己表現の行き先

なぜKawaiiファッションは原宿で生まれた?〜増田セバスチャン的・原宿の戦後史(前編)〜

先日の「増田セバスチャン5時間トーク」(結局8時間トーク)の書き起こしを少しだけ編集してお届けします!Vol.1のテーマは原宿の奇抜でカラフルなファッションがどのように生まれたのか?を紐解く、原宿の歴史です。こちらを前編・後編と分けて2日連続でお届けします。 僕は原宿にお店を出して25年、住んで20年以上ですが、そのもっと前、高校生の頃から、週末になると千葉県の松戸から原宿に通っていたので、かれこれ30年以上この目で原宿の変化を見てきました。 でも、原宿の自由なファッショ