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今の気持ちを忘れないように桜の写真を残している

今年も定点観測的に同じ場所で桜を撮る。

去年の記事にも書いていたけど、桜の写真はその時の心を表わすようだ。今年の心の状態はどうだったろうか。

今年の桜もコロナ禍での開花となった。
ウィズコロナの生活にも慣れてきたけれど、それは大人だけの話じゃないだろうか。休園、休校が続いて予定されていたイベントが次々に中止される。それを受け入れて日々を過ごす子どもたち。当人たちにとってはそれが“普通”で、“残念”、“可哀想”と感傷的になるのは大人の勝手なのかもしれない。自分たちだけでは抗えない、大人の力をもってしても覆せないこの状況に、諦観だけが精神に染み付いてしまいはしないだろうか。
今年は自分のことよりも子どもたちのことを思う桜の写真になった気がする。



「春に三日の晴れなし」というけれど、今日は天気が良いようだ。
こんな日は普段家に引きこもっている愛犬を連れ出して散歩に行こう。
肩にM9を提げて歩き出す。レンズはSummarit 5cm。
















中央の解像感。そして急激に現れる収差。
Summaritのレンズに入って来る光はいなされるようにカメラに導かれる。その光を受け止めるのは唯一無二、M9のCCDセンサー。
桜が纏う幽玄、春風にそよぐ枝の動きまで写し取っているかのよう。

M9の金属が響くようなシャッター音が心地よい。
まるで撮った画像を物理的にSDカードに焼き付けているような動作音。

画が好みということもあるけれど、M9とSummaritの組み合わせは撮影自体が楽しい。いや、楽しいというよりも癒しに近いかもしれない。シャッターを切るたびに心の緊張がほぐれていくような、頭の中のもやもやが晴れていくような。

それでも桜だけを撮ったところで単調になりがちなのは否めない。プリントしようと思うほどの写真は撮れない。そこに記録すべきものがないからかもしれない。家族の人生の歩みや街の移り変わりを写し止めることが好きなんだと改めて思う。

このSummaritは息子がⅢaに付けて桜を撮るはずだったんだけど、今年は難しそうだ。本人も「本当はフィルムで撮りたかったんだよなー」と言っているから多少は残念がっているんだろう。
来年は一緒に桜を撮りに行こう。きっとプリントしたくなる写真が撮れるはずだ。



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