見出し画像

大学卒業に際して、謝辞と懺悔。

先日、大学では卒業式が行われ、晴れて私も無事に卒業を迎えることができた。(あーこれから就職ですか、まもなく社会の牢獄行きが発車いたします)

ちょうど卒業式から1週間が経った今、記憶を振り返ってみようなんて。
ということで書く次第。



①御礼

まずは、大学で関わったすべての人に対してこの場を借りて、御礼を申し上げたい。様々な授業の先生方、同じ専攻の人たち、そしてゼミのみんな。
こんな、しがない人間、いつも変なこと言ってばかりの人間と関わっていただきありがとうございました、というただただ感謝の念に尽きる。


②日常生活

今年度卒業した私のような主に01年生まれの世代は、大学入学とすぐにコロナ禍のリモート授業が当たり前の日々だった。そのせいもあって、4年間の大学生活というより、実質3年程度の大学生活といっても過言ではないかもしれない。

ただ、対面で会えなかった分、帰ってきた日常は一層満足感を高めるものだったのは間違いない。同じ専攻の人たちと話す時間は""楽しい""の3文字で括るには無理があるほど有意義な時間だった。
英語圏志向の高かった、同じ専攻のタカユキとは特にしょうもない話で盛り上がったことが何度あったことだろう。
「ジジイの肋骨スープ」、「学食のうどん全トッピング全抜き」、「なんでもアセスメントおじさん」、「国立肥溜大学(※1)」etc……(何考えてんですかねほんとに!!!)

※1 大学の共用スペースにて。
書いて馬鹿笑いしてたのが懐かしい記憶。
餓鬼の心だけは忘れずにいたいものです。


何気ない会話の中で息をするように製造されるパワーワードの一部だが、普通に考えてトチ狂った会話をしているのは間違いない。まあ、これが楽しかったし、""生産性が無い話""であることがもはや""生産性のある""状態だったのかもしれない。


③ゼミ活動

他にもたくさんあるが、大学生活を振り返るうえで忘れられないのはやはりゼミ活動だろう。

ゼミ活動においては、3年次にブース出展した「G空間EXPO(※2)」という、あの国土地理院が協賛するイベントだろうか。今思えば、あのプロジェクトの一連の過程に対しては、非常に後悔の念が強い。

そのプロジェクトにおいて、3D地形(3Dプリンターで土地の起伏を出力したもの)を用いた社会科の実践的な新しい授業を考えて指導案を書くということを行った。これがなんとプロジェクトの一環で出版する書籍の一部分に掲載されるというものだった。


まさか、自分の名前が書籍の一部分に掲載されるなんて。



しかし、あの頃は就職活動に加えて単位も多く取っていた。とにかく忙しかったこともあって、単位外で行っていたプロジェクトに割いている余裕がなかった。追い込まれて50点くらいの指導案でマジで捻りも何もないようなものだったことを記憶している。今思えば、タカユキとしょうもない話している時や、塾でジョークばかり話していたような頭の回転をそこでも使えよ、って話ですわ。

※2 G空間EXPOの会場
同じビルにソフトバンクの社屋あってビックリした記憶

というような感じで、振り返れば後悔。(「後悔先に立たず」は禁止ね。1番自分がわかってるから!)
他のみんなも様々なことに追われていたため、まあみんなモチベーションが怪しいこと。取ってつけたような表情でどうにか乗り越えていたような記憶。
どれもこれも懐かしいもんですね。
まあ、大学の方面にこれから用は無くなるので、行っても学祭くらいでしょうがね。


④進路と教育実習

ちなみに、私は大学において教育学部に属していた。学部名が示す通り、教員を志す者が集う場である。教員はブラックと囁かれる中で、覚悟のある人間たちが集う、特異な学部であることには間違いない。
そんな教員という存在を、一度は目指してみようと思って弊学の門を叩いた私だが、結局は一般企業に就職する道を選んだ。(ちなみにITのSE職とかいうマジで別ルートにもほどあるんですけども。)
はっきり言って高い学費だったことは存じ上げている。親には迷惑しかかけてないような愚息で申し訳なく思うが、せめて教員免許を取得してストレートでの卒業を迎えられたことはせめてもの報いか。

ただ、私が一般企業に行くことにした理由のひとつに、「社会科を専攻した身として、一般社会を知らずに教員をするのは違うのではないか」という考えがある。
進路変更したのは大学3年の段階で、とりあえず一般企業に就こうと考えたものだから、手に職をつけられる程度には頑張らないとという使命感は抱いている。

しかし、教育実習で接した子どもたちの暖かみ、こんな端くれの実習生のことでも慕ってくれた彼らと彼らの直向きに取り組む日々に私はふと

「これまでの人生、何してきたんだ」


そう考えるしかなかった。
大学の卒業式を終えて、改めて家に置いてある教育実習最終日にいただいた寄書きを見るなりした。
彼らは今どう毎日を生きているだろう。
思わず己のスマホのカメラロールも見返す。
彼らに負けないように活躍していかねばならぬ。
そして、私は教育実習の段階で一般企業に就職することが決まっていたが、生徒からしたら

「この人は先生になる人」


という認識だし、だからこそ「○○先生」と現場で呼んでくれる。実際、寄書きにも「良い先生になれます」と断言してくれた子もいた。(ごめんな既に内定もらってるんよ)
当然、一般企業に行くなんて生徒には言えるわけもなく、彼らに対しては多少の罪悪感を覚えた記憶もある。もちろん、今になってしまえば別かもしれないが。年の前半の流行語が、ユーキャン新語・流行語大賞に選ばれて「それってこの1年の出来事?」となるように、中学生の記憶からは消えているかもしれない。いや、それがもはや普通なのでは。

ただ、それにしても彼らとの日々から得た学びや経験などが糧になっている事実がある。そして、彼らの期待に応える必要性や、高い学費を払ってくれた親に対しての報いとして、どこかで舵を切って教員を目指す必要があるのだろう。


将来にどんな生活をしているかなんて想像につくはずもないが、転機はいつやってくるか分からない。
いつかやってくる、その転機まで、私はnoteを書き続けているのだろうか。
変化を反映し続ける鏡として、続けていけたらなあ。

なんて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?