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【独学の難しいところ】勉強方法を「検索」するだけで満足してしまう心理

今日から新しい勉強を始めよう。
ずっと興味があった〇〇、時間が出来たら始めようと思っていた〇〇。

まずは方法をGoogleで検索。

「○○ 勉強法」、「〇〇 初心者 学習方法」、「〇〇 勉強 本」


Googleはすごい。

Googleはなんでも知っている。


過去に〇〇について勉強してきた先人たちの叡智に一瞬でアクセスできるのだ。



「なるほど、初学者はここから始めるのか。うん、なんだかやる気が湧いてきたぞ。おれにもできる気がしてきた。」


そうしてひたすら勉強方法について模索し続けて数時間後、何だか非常に満たされた気分になってそっとPCのディスプレイを閉じる。

とにかくいろいろなことに手を出し続けてきた人生だった。

何度こんな経験をしたか数えきれない。



この時、私たちは非常にまずい状況にある。


勉強方法について検索するとき、私たちは貴重な時間をかなり使っているが、びっくりすることにその分野についての勉強は1ミリも進んでいない。

進んでいないにもかかわらず、もう既に勉強を始めた気になってしまっているのだ。


1.なぜ勉強を始めることができないのか

こうして勉強方法を検索するだけのループに陥ってしまうのには、2つ原因があると思う。


1つは、他人の勉強方法を検索し、その人が辿ってきた軌跡をなぞっているうちに、追体験した気分になるということ。

そしてまるで自分も勉強したような”気分”になってしまうことで、満足してしまうことにある。


勉強方法について検索すると、その分野についての勉強を既に継続してきた人の記事が大量にヒットする。

彼ら自身も最初は同じ0からスタートし、いろいろと苦労しながら勉強を継続してきたのだろう。

そう、彼らの文章は確実に自身の経験から来るものだ。


そんなリアルな体験に基づいて書かれた勉強方法やメソッドを読み漁るうちに、いつしか自分も既に勉強を始めた錯覚に陥ってしまう。


旅行に行く前に、旅行の予定を立てている瞬間が、実際に旅行に行っている最中よりも楽しかった。そんな経験をしたことはないだろうか。

あるいは、何かを買う前にレビューサイトや口コミを閲覧しているとき。

いざ商品を買おうと思うと、レビューを読む前にあったはずの購買意欲はもう既にない。



人は他人の追体験をすることで、自分もまるで体験したような気分に陥ってしまう。


映画や本であれば、感動できるし、それでいいのだけれど、
こと勉強に関していうと、全くこれは困った性質である。



2つ目は、「挫折が怖いから」という理由が考えられる。


何か全く新しいことを学ぼうと決意したとき、私たちは希望に満ち溢れている。

「今ならなんだってできる。やってやるんだ。」と。


そして結局、「勉強方法」の記事であふれたネットの海を泳ぎ続けてしまう。


どんな分野を学ぶにせよ、何かを習得するということは、トライ&エラーを繰り返すことに他ならない。

壁にぶつかっては、「もうやってられるか!」と発狂しそうになりながらも、再び課題に向き合っていくしかない。

試行錯誤しながら進んでいくのだ。


このプロセスはどうしても避けて通ることはできない。

だけど、人間誰も好き好んで壁にぶち当たりたくはないし、挫折をしようと思って突っ込んでいく人はいないだろう。


始めなければ失敗しない。知らなければ怖くない。


結局はそんな心理から、実際に勉強を始めることを躊躇してしまうのかもしれない。


2.勉強を始めるにはどうすれば良いのか

では勉強を実際に開始するためにはどうすれば良いのか。


せっかく何か新しいことを学ぼうと決意したのだから、そこには何かしら理由があるのだろう。

もしかしたら、それは自分でも上手く言語化できていないのかもしれない。
とても原始的で、抽象的なものなのかもしれない。


それは本人にしかわからないし、何かを学ぶ意義やメリットは人それぞれだ。

けど思い立った最初のモチベーションが、結局は最後まで鍵になるのだと思う。


まずは当初の目的意識をブレずに、ガッチリとホールドしておくことだ。

ここがブレると後々になっても学習は続かない。


そして目的意識がはっきりしないのであれば、そもそもそこまでその分野について本気で学びたいと思っていないか、あるいは現時点でそこまで必要性を感じていないのかもしれない。


まとまると、何かを始める際、まず時間をかけて向き合うのべきなのはGoogleの検索窓ではなく、それを学ぼうと思った最初のモチベーションと自分自身だということ。


逆に、ここにはじっくりと時間をかけても、かけすぎということはない。

最初のモチベーションが強ければ強いほど、明確であればあるほど、その後の学習はスムーズになるし、継続していける可能性も高まるからだ。


どれだけ時間をかけて勉強方法を模索しても、初学者がたどるべきロードマップ は結局どれも似たり寄ったりのものが多い。
これは私自身が大量の時間を浪費してきた上で経験してきたから、はっきりそう言える。


ざっと方法を漁ってみて、何人かが同じことを行っているのであれば、もうその方法で間違いないのである。


最初に動き出しさえわかれば、あとは手を動かそう。


手を動かしさえすれば、少なくとも前進はしているのだから。


例えそれが少し遠回りな方法であったとしても、始めないより100倍マシだ。



最初の1歩が一番重い。

そのあとはだんだん軽くなっていく。


そして途中でルートを見失わないためには、道筋を示してくれるコンパスを、最初の段階でしっかりと手に握っている必要がある。


多分、独学を成功させる本当に大切な要素はこの2つしかない。

始めることと、途中で迷子にならないこと。



初心忘れるべからず

世阿彌の「花鏡」にある語。 能楽で、若年のころに学んだ芸や、その当時の未熟だったこと、また、時期時期での初めての経験を忘れてはいけないという教え。 転じて一般に、習い始めたころの、謙虚なはりつめた気持を常に失ってはならない、また、最初に思いたった一念を忘れてはいけないの意。


いや全くもってその通り。


これからも初心を忘れずに、コツコツと勉強していこう。


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