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Ⅰー1.50年前の弟と家族


私は50代。ブログを始めようと思い立ったのは、4歳年下の弟との、特にこの数年の関わりあいがきっかけだ。弟や弟を取り巻く人々‐主に医療者や行政やさまざまな事業者‐とのやりとりのなかで体験したことや考えたことを親族や友人に話すうち、多くの人から「人が滅多に体験できないことを体験しているのだから、それを記録に残してはどうか」と勧められるようになった。

私が体験したことの中には、難病を抱える弟のために必要だった、さまざまな人とのやりとりが含まれている。うまくいかなかったことも多い。一方で、多くの人が驚いて目を見張ったできごともある。なぜそんな成果が出せたかといえば、私のキャリアがたまたま適切な知識と技術を与えてくれていたからだ。でもそんなに幸運な持ち合わせがある人ばかりではない。だから誰でも再利用できる形で、私の体験を文書にとどめたいと思ったのである。それにどれほど言葉を尽くしても足りないような感謝を伝えたいたくさんの人に、少しでも思いを伝えたい。

「1.私がブログを書くわけ」ではいくつかの記事にわけて、直近の数年に至るまでの家族の背景をまとめている。詳細の情報がないと、個別の投稿の中で、なぜそのような話し合いが必要だったのか、それが実際にどれほどの難しさだったのかがわかりにくい部分が多いからだ。とはいえ、背景情報はそこそこでよいならば、カテゴリーごとの記事一覧から特定のテーマのところに移動していただければ有難い。

弟は2歳のときにⅠ型糖尿病と診断された。成人に多く発症するⅡ型糖尿病とは発症の原因が違って、Ⅰ型はすい臓の機能に問題が生じて発症する。どちらも現代では珍しくない病名だが、弟が発症した50年前はようやく治療薬が登場したばかりで、信頼性の高い治療方法の確立などまだ遠い先の夢だった。当時の状況では弟の命運はまったくの運任せ。実際、同じ病を持つ人の場合、20歳まで生きながらえることができなかった人も多かったと聞く。私自身も幼かったので当時のことは記録や伝聞でしかわからない。

病気は弟の人生を翻弄してきた。病児が抱える問題は病気だけではない。成長の過程で人間としての成長に関わる数々の困難に直面する。病気のせいで始終大人に囲まれて過ごさざるを得ない。日々の治療や入院も多い。大人の目が届かないところで仲間と羽目を外すことなど論外だ。そんなことをすれば命に関わる事態が起こりうる。成長するにつれ友達とは遊びも勉強も徐々にペースが合わなくなって、小学校中学年くらいからは友達が徐々に離れていく。いとこや兄弟も例外ではない。その喪失感がどれほどのものなのか、健康に育った私には想像できない。医学書に深刻だと書かれていることを知っているのみだ。

体験し、失敗から考え、学習し、仲間とけんかしたり助け合ったりしながら個人としても社会人としても成長するという、多くの子供にとってあたりまえの発達のステップなど、望むべくもない。弟のように物心つく前から病気だった子供には、「自分が悪い子だから、つらい治療をされるのだ」と自分を責めるようになる子供もいるという。世界的には発病年齢が4,5歳でも非常に幼い部類にみなされているようだから、弟のように2歳で発病というのは極めて幼い部類かと思う。

弟はおそらく姉の私にも想像できないような困難を体験してきたのである。話してくれたことはないので正確なところはわからない。しかし病気が弟の性格に大きな影を落としたことは、疑うべくもない。

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