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都会の音楽と、そうでない音楽

都会の臭いがする音楽というものがある。

自分は今、千葉のど田舎に住んでいるので、そこにいる時は、まったくもって都会の臭いがする音楽なんて聴こうと思わない。
まったく合わないからだ。その場所、その状況、その空気と。

繊細な白身魚の刺身を肴に、甘み強めにつくったカルアミルクを飲むようなものだ。
ぜんぜん合わない。

ただ、ど田舎とはいっても千葉にいるので、たまぁに、たまぁに東京に行く事がある。電車で片道2時間かけて。

今日も浅草へ行った。
所属している日本酒コミュニティというものの集まりだった。
そこに加入して2年弱、初めて、そのコミュニティのイベントで楽しくなかった。

なぜかよくわからない。それなりに人とは話したような気がする。もうわかってるはずなのに、自分が平均よりは敬遠される人間であることは。いまさらそれを気にしているのかもしれない。まだ、他人に無条件で尊重されたいとか、幻想を抱いているのかもしれない。受け身な態度でグジグジ言っているのかもしれない。

いまも東京に接点を持ち続けたいと思っている自分がいる。東京にはストーリーが行き交っている気がする。田舎にはストーリーが乏しい気がする。田舎の自然に惹かれるも、かたや都会のストーリーと人の多さに惹かれている自分がいる。
ていうか、金がないので都会には住めない。
都会に住みたい。でも家にキャンプ道具をたくさん置きたい。都会のワンルームでは無理だ。でも自宅から原チャリで5分の池の周りで思い立ったときにキャンプをしたい。

イベントで日本酒をたくさん飲んで、帰りの電車に乗り込んだ。18:27だった。自宅の最寄り駅まで2時間4分かかる。
腹が空いているわけではないが、何か満足感に欠ける。
途中の千葉駅の改札内にある、「つけめん冨田」でつけ麺を食べようかと思った。

しかし、今つけ麺を食うと、食い過ぎで明日胃腸を悪くする恐れがある気がした。一方でギリ、許容範囲のような気もした。どっちかわからない。
昔の俺なら食っていた。34歳の俺なら食っていた。しかし、35歳の俺は、万に一つでも、食い過ぎで明日という1日を無駄にしたくなかった。
いま、つけ麺を食いたい気がするのは、腹が空いているというよりも、脳が満たされていないからだ。脳に快楽が、ドーパミンが足りていない。

電車の中でドーパミンを分泌する方法。その数少ない方法の一つ、それは音楽を聴く事。自分が良いと思える音楽を聴く事。

iPhoneでミュージックアプリを開いた。
Apple Musicで、ニューリリースという欄で1番最初に表示されたアルバムをタップした。
このニューリリースという欄が何なのかよくわかってないが、たぶん、普段自分が聴いてる音楽と関連性の高いアーティストの新譜が表示される欄なのだと思う。

吉澤嘉代子の『若草』というEPだった。
吉澤嘉代子は、確かにたまに聴いている。レコメンドはそこそこちゃんと機能している。
ところで、EPが何の略なのかは知らない。

吉澤嘉代子の曲は都会的だと思った。
都会にしか合わない曲なのかどうかは分からないが、少なくとも牧歌的ではなく、ヤングないしヤングアダルトの空気をたたえており、都会にとても馴染む曲だと思った。ていうか、歌詞に東京の空とか出てきてるし。
何歳までがヤングアダルトに該当するのかは知らないが、35歳現在の俺のメンタリティは、実年齢がどうとか関係なしに、その範疇に入らないような気がした。でも、結婚してなくて、会社にも勤めてないという特権で、そこに割って入れる資格があるんじゃないかと、勝手に思った。勝手も何も、だれもそんなものを監督してはいなかった。

上総一ノ宮に着いた。
東京オリンピックのサーフィンの会場にもなった、ど田舎だ。
音楽をリピート再生にしているので、まだ吉澤嘉代子の曲が流れている。いまだに、この状況によく合うなと思いながら聴いている。
都会から乗り込んだ電車の中では、当人が下車するまでは、都会の空気を残したまま走行してるんだなと知った。

そんな事を思いながら、その気持ちをリアルタイムでこうしてスマホに打ち込んでいる。もうすぐ自宅から最寄りの駅に着く。それまでにこの文章を完成させたい。そうしないと、おそらく家に帰り着けば、そのまま風呂に入って、primeでフリーレンを見て寝てしまい、ここまでの文章は存在を忘れ去られお蔵入りしてしまう。

多分、EP内の6曲を一周として、リピートで絶え間なく流れ続けてるこの音楽を、一度でも止めてしまったら、東京から連れ帰ったこの都会の空気は霧散してしまうんだろう。
東京の空気を留めていたのは、JRの車両ではなかった。なぜなら、千葉駅の隣駅、蘇我駅で俺は総武線から外房線に乗り変えたのに、まだ都会の空気は続いているからだ。東京の空気を俺のムードの中に留めているのは、このリピートで再生し続ける6曲のEPだった。

だけど、俺はいつかはこの音楽を止めないといけない。いま耳につけているのは、完全防水ではない第一世代AirPods Proで、風呂に入る前には外さないといけない。そこで一瞬でも音楽が途絶えれば、都会の空気は、栓で押さえつけていたサイダーの炭酸ガスのように、たちまち空へと帰っていく。

そして俺の、半分しか満たされないど田舎ぐらしが、何事もなかったように再開するんだろう。

そうしたら俺が次に都会の音楽を鳴らすのは、いつになるのかわからない。

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