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「“自分を受け入れる事ができない”自分」を受け入れる方法

「代えの効かない自分という存在を受け入れる事が大事だ」という事が、仏教や認知行動療法の分野で提唱されている。

「受容の精神」「アクセプタンス」というヤツだ。
「セルフコンパッション」も似た概念をもつ。

確かに、「自分」という肉体の入れ物は死ぬまで交換する事はできないのだから、その性能に不満があっても、受け入れて、いま出来ることに集中するのが合理的な生き方というものだ。

「なんで海老アレルギーなんだ」「なんで自分は身長が低いんだ」といくら嘆いても現実は変わらないからだ。

それはわかる。わかっている。わかっているんだが、本当はわかっていない。わかってないというか、心から納得していないというか、全然受け入れきれていないのである。「なんでなんだよ」と不満を何ものかにぶちまけたくなる。

私は機能性ディスペプシアという病に長年苦しんでいる。簡単にいうと、胃の調子がしょっちゅう悪くなり、満足に食事ができない。好きなものが食べられない。
自分の思うように食事ができないというのは本当にストレスがかかる。
誰しもが学生時代は、昼の給食/学食だけを唯一の楽しみに登校していたと思うが、その唯一の楽しみすら取り上げられ絶食を言い渡されたらどうだろうか?そこには絶望しか残らないだろう。その絶望が平均で2.5日に1回ぐらいの頻度でやって来るのである。それはもう絶望の中の絶望と言う他ない。

本日もそんな自分の体質に腹が立ち、「何でオレはこんな体質なんだ」と行き場のない怒りが湧いてきた。
非合理的で役に立たない感情だなと頭ではわかった。
そんな自分の体質も受け入れなきゃいけないんだと教科書的には知っていた。
どうしたら受け入れられるんだっけ?と記憶を探った。
名言セラピーという方法がある事を思い出した。セルフコンパッションの重要性が直感的に理解できる名言を読み上げるというものだ。

「孤独の中でも最悪なのは、自分自身に満足できないことだ」マーク・トウェイン

「自分を受け入れる行為は、もっとも勇敢な行為だ」ブレネー・ブラウン

「アクセプタンスとは、自分との悪い関係性を拒否することだ」ナサニエル・ブランデン

なるほど、どれも素晴らしい名言だ。しかし、その時のオレを納得させられるものではなかった。そんな事より、炊きたての白米を食わせろと、心が叫びたがっている。

自分の欠陥は受け入れなくてはいけない。それが賢い生き方だ。でも、それができない自分がいた。合理的に考えられない自分という落ち度が、新しい自己批判の種に成りつつあった。
でも、そのとき。
そんな自分が、本当に可哀想だと思った。自分の体質にひどく苦しめられている事は自分が1番よく知っていたからだ。「つらいよな。こんなにつらいこと、受け入れられなくて無理はないよ」と心から共感した。他でもない、自分自身が自分自身に共感してくれたんだから、その言葉に疑いは微塵もなかった。この世にこれ以上はない、純度1000%の共感だった。
なにやら、頑なだった心がときほぐされるのを感じた。共感によって、閉じていた心が開いていく感触だった。
今なら、どんな言葉も素直に聞いてくれるかもしれない、と思った。
「つらいよな。でも、そんな自分も受け入れるしかないから、その上で自分にできる最善の行動をとっていこうぜ」
数秒の間を置いて、さっきまで怒り狂っていた自分が、ゆっくりと首を縦にふった。

コミュニケーションの基本中の基本だった。
まずは相手に共感すること。その上で、心からその人のためを思ってアドバイスすること。
そうしないと、感情が邪魔して相手は話を聞いてくれない。
その相手がたとえ「自分」であっても同じことだった。

アクセプタンスに最も大事なもの。
それはまず「自分を受け入れられない自分」を受け入れ、共感することだった。

2023/04/30

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