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初note*まずはご挨拶から

はじめまして。ヨシダと申します。

現在、私はダメージケア製品に特化した美容メーカーである「株式会社リトル・サイエンティスト」と特約店契約を締結し、製品の取扱代理店様のフォロー業務をベースに、サロン様での臨店講習や勉強会などのサポート活動をしています。

以前からWordPressを使って記事を書いてますが、美容技術に関わる専門的な内容なので、ご興味のない方にとっては読む気にならない記事がほとんど。

日々の発信はTwitter(@haircare_p)ですが、140字以内では言葉足らずだったり、想いが伝わりきらないこともありますよね。連投ツイートするくらいなら、何か違う場所でちゃんと文章にしよう。そこで思い出したのが、数年前に作って放置していたnoteのアカウント。

拙い文章ですが、とりあえず最初なのでお決まりの自己紹介を書いていきたいと思います。いい機会なので生い立ちを振り返ってみますが、、

・田舎から上京するまで
・美容専門学校〜就活
・厳しいアシスタント時代
・スタイリストデビューから独立まで
・サロン譲渡、そして転職
・インストラクターとして起業

ざっくりと書き出しましたが、これだけの内容を1回の記事でまとめるには恐ろしく長文になってしまうので、何度かに分けてゆっくり書いてみます。名刺やSNSのプロフィールなどの延長と考えてますので、私がどのような道を歩んできたのか、少しでも伝われば嬉しいです。

田舎で過ごした学生時代

出身は新潟県。海も山も近いのんびりした田舎で高校を卒業するまで過ごしてきました。子供の頃は冬になったら雪で真っ白でしたが、すっかり積もらなくなりましたね。ただ、夏は昔に比べて本当に暑くなりました…。

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中学生の時から”髪”に興味を持つようになり、自分や友達の髪をスタイリングしたり。そして高校生になると地元の美容室に通うようになり、パーマをかけては注意されたり…。今思えば、美容室に一歩足を踏み入れた時のあの独特なパーマ剤の臭い。当時から嫌いではなかったんですよね。

東京の美容学校へ

そんな流れで漠然と美容師になりたいという気持ちが芽生えはじめ、なんとなく地元の美容専門学校に行こうと深く考えずに両親に話してました。ただ、一般誌のヘアカタログで東京のサロン情報を見ていた時、とある人気サロンの美容師さんに衝撃的なインパクトを感じてしまったんですよね。(それが誰かは後に書くかもしれません…)

本格的に進路を決めるにあたり悩みました。ただ、どうせやるならやっぱり東京に行きたい、原宿で美容師として働きたい!、そう強く思うようになっていました。

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正直に両親に気持ちを伝えて相談しました。当時、どんな心境でその話を聞いたのか、それは今でも両親に聞いたことはありませんが、私自身、親になったことで、なんとなくわかる気がしています。両親は僕の気持ちを尊重してくれて、東京の美容学校に行くことができたんです。

忘れもしないのが、実家の2階の自室にいた時に、ご近所さんと母親が玄関先で話してた会話。「こっちにいると思ってたから残念」、そう母親が言ってたんです。これはずっと心に引っかかっていたのですが、なおさら中途半端に諦める訳にはいかないという強い気持ちに変わりました。絶対に成功してみせる。そう決心して、1993年の3月、東京へ向かいました。

今回はここまで!

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