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集団の中でなんとなく居心地が悪いぼく

 ぼくは他者と一緒に何かをすると気疲れするということがあります。
 幼稚園にも行きたくなかったし、小学生の時も新しいクラスに馴染むのに時間がかかりました。たぶんその集団のルールがどういうもので、自分がそれに反しないか見極めて、自分を抑えていたんじゃないかって思います。
 一例では、みんなでお遊戯をするから、あなたもみんなと同じようにしなさいって急かされたり、強制されたりする場面です。本当はそんなことしたくないけど、しないと変な人だし、みんなにも迷惑をかけるからやらなきゃ、みたいな状況です。

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 幼稚園・小・中・高・大学・会社員と、ずっと集団の中にいるんだけど、いまいち居心地がよくない感じでした。いえ、正確にいうと、自分で自分を抑えていたんです。抑えなければならないって思っていたんです。 

 その頃から集団で何かをすることと、個人の自由というか個人のその人らしさをどこまで損なわずにいられるのかということについて、考えるようになりました。
 多くの人がそれを難なくやって社会に適応しているんでしょうが、ぼくにとっては、どこまで自分を抑制しなければならないかについて、ちょっとひっかかりがあったのです。

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 そんなぼくもアラフィフのオジサンで、会社で30年近くも働いています。でもずっと、会社の目標とか部署の目標とか掲げられて、そのために頑張れっていわれることに違和感を持ち続けていました。みんなで組織のための何かに向かって、自分をすり減らしながら頑張る、でもその努力はいつか報われて自分に返ってくる…みたいな理屈に納得できないでいるのです。
 もちろん表面には出しません。どちらかというと、みんなが頑張っているのの足を引っ張るのはイヤだから自分もやらなきゃって思ってきました。

 集団ってなんだろう、組織ってなんだろう、個人の自由ってなんだろう、自分らしさってなんだろう…それがぼくのずっと抱いている疑問です。
 組織が個人に求めるものと自分らしさの妥協点というかバランスというか、そういう面で悩み続けてきました。
 仕事にやりがいがないわけではないけれど、組織にベッタリというのもイヤ。組織のために頑張るのも納得できない。みんなで協力してひとつのことを成し遂げる達成感は、理解できるし好きだけれど、そのために自分をどこまで押し殺したらいいのかわからない。だからといって組織を離れて独りでやっていける自信も力もない。そんな中途半端低空飛行的社会人生活を送ってきたのです。会社でのぼくは「社会人モードスイッチオン」のぼくであって、本来の自分ではないように思います。100%違うわけではないんですが、80%くらいは本来の自分ではないかな。

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 集団の中でなんとなく居心地が悪い思いをしてきたぼくも、海にいると解放されます。自分らしくいられるのです。
 20歳くらいから今までスキューバダイビングやサーフィンといったウォータースポーツを続けてきたんですが、海にいるときは、かなり自分らしくいられます。たぶんぼくにウォータースポーツの趣味がなければ、海という癒しの場がなければ、とうに会社を辞めてしまっているか、精神的に病んでしまったんじゃないかと思うのです。

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