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”生きがい”という名の現代病について

 皆さんには【生きがい】ありますか?朝井リョウさんの「死にがいを求めて生きてるの」を読んでいくうえで、自分自身感じることは、今の人間社会は”生きがい至上主義”に覆われているなあ、ということです。

 当の本人には生きがいとまで言えるほどのことは、「毎日のゲームのグインボーナス」くらいだろうか・・。冗談

ここで言う生きがいとは、もっと社会的で一般的に”崇高”なものだろう。

 昨今のニュースを騒がせているトピックのひとつに、『新興宗教』があると思う。新興宗教へのお布施や、家族内のトラブルなど、問題は多岐にわたる。

 では、そんな新興宗教に心酔しきっている人たちは、本当に神の存在を信じ、神様(?)と言われる存在に金銭という物理的なツールでアプローチできると心の底から思っているのだろうか。

 朝井リョウの『死にがいを求めて生きてるの』を読んでいくうちに、あることに気づかされた。

 ボランティア活動や学生団体の活動を、新興宗教の活動と並べて扱うことはあまり倫理的ではないとは思うが、あえて一括りにすると見えてくる共通点は、

【生きがい】なんじゃないかな、ということ。

 ボランティアや学生団体の活動も、新興宗教も、彼らの時間と労力という名の”金銭”を払うことで、【生きがい】を買っている。と考えることもできると考える。

 誰かのために、自らの生活や財産を差し出し、分かりやすい成果や報酬という名の達成感や、社会貢献の実績を得る。そうすることで、自分が価値のある存在であり、社会に求められる存在であることを実感することができる。

 怪しいカルト集団に属している人たちは、カルトの首謀者から金銭的、社会的損害を被り、【地獄】を与えてもらう。そして、彼らはその【地獄】から這い上がることで、一見正しくて、聞き心地のいい教訓を手に入れることができる。

 そして彼らは、その美しい教訓や経験で文章を書き、講習を開き、ビジネスを展開し、金銭的利益を得る。そうすれば、社会的に認められ、称賛される。それが【生きがい】になって、生きやすくなる。

 【生きがい】を手に入れるために、ボランティアや社会貢献活動や宗教という名目の活動に心酔する。それは、倫理に反していなければ、社会で認められる。

 60年代の学生運動に参加していた学生が、具体的な政治的問題について尋ねられた時、まともに答えることができなかった。なんて話を以前聞いた。

 彼らにとって重要なのは、今世間を騒がせている運動の渦中に、”自分が属している”という事実なのであり、実は政治や社会に対する不満などはたいして重要ではなかったのかもしれない。(憶測にすぎないが)

 みんな、【何かを成し遂げた人】に憧れる。そうなりたいと、口に出さずとも、そんな思惑が心のなかで血の塊となっている。

 男尊女卑的思考、学歴、それに伴ういままで何も考えずにまかり通っていた社会のあらゆる常識が、今までは人々に【生きがい】を与えていた。

 しかし、それらの考え方がどんどん否定されていく中で、現代人たちは、【生きがい】を自ら探し出さなければいけないという、現代病にかかっているのではないか。

 朝井リョウさんの作品は『正欲』に引き続き2冊目だが、彼の思想や哲学に、読んでて興奮することが多い。そして、そこから得た教訓を、文章に起こそうとすることで、文章を書く難しさを痛感する。頑張ろうカフカ


おわり。





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