見出し画像

若き日の思い出話

 大学一年生の秋、私は学校帰りの最寄り駅にある小さな書店で、一冊の文庫本を手に取った。普段全く本を読まない私が、わざわざ書店の文庫本コーナーまで行き、本を購入したことには理由がある。私の本との出会いを、書こうと思う。

 高校生の頃に秘かに恋心を抱いていた女子が、とことん読書好きだった。教室には、担任の先生が用意してくれた文庫本コーナーがあり、クラスメイトは自由にそれらを借りることができた。思いを寄せていた女子は、毎日のように文庫本を、白いケースから一冊ずつ借りて持ち帰り、翌朝の一時間目の前には白いケースに返却する。そして、放課後にまた一冊本を借りて帰るのだ。
 その女子は、とにかく寡黙な性格だった。話しているところを見かけることも少ないほどに。彼女と同じ部活の女子とは、仲良く話しているところを目撃したことはある。とにかく、私もまともに彼女と話したことはなかった。コミュニケーション能力や容姿にまったく自信がなかった私が、彼女と話すために思いついた作戦は、読書だった。実に安直である。本の話題を話せるようになれば、彼女とお近づきになれると思ったのである。
 それから私は熱心に本を読んだ。太宰治や夏目漱石など、最近の作家さんの名前なんて全く知らなかったので、とにかく昔の有名な文豪の本を読み漁った。とにかく有名な本を読んでいけば、自ずと彼女と仲良くなれると心から信じていたのである。なんとも他力本願で希望的観測だと、今思えばあまりに単純で微笑ましく思ってしまう。
 本ばっかりに夢中になっていたため、はじめから芳しくなかった高校の成績はさらに下降していった。昔から何か一つのことに夢中になると、他のことが見えなくなる癖があるのだ。
 一方、彼女の成績はいつも学年トップだった。噂によると、高校受験もトップで合格したほどの秀才らしかった。合格ラインぎりぎりの点数で入学した私は、最初からスタートラインが違ったのだ。本を読んでばっかりで、彼女とも話せることはなく、さらに学業もおろそかになっている中、さらなる追撃が私を襲う。
 私の通っていた高校は、2年生から学科が普通科と理数科の2つに分かれる。”理数“と名がついてはいるが、要は成績優秀者とそうでない生徒を分けるのである。成績優秀者のほとんどが理数科へ進み、普通科とのテスト平均の差は10点ほど開く。毎年の有名難関大学への進学実績も、理数科に在籍していた生徒がほとんどだ。
 何が言いたいかというと、このままの成績ではほぼ確実に2年生と3年生で彼女と同じクラスになれないのである。そのまま卒業である。学年トップの成績を誇る彼女と同じ大学に進学できるなんて、まずありえない。
 私はこのときようやく、今自分がすべきことが読書ではなく勉強であったことに気付いたのである。しかし、気づくのが遅かった。勉強にシフトチェンジしたころには、理数科志望者を選抜する上での大事な定期考査は終わっていた。私は成す術もなく、普通科への進学が確定したのである。
 それからは毎日が憂鬱だった。冗談ではなく本当に人生最悪の気分だった。同じクラスですらまともに話せないのに、クラスが別れようものなら彼女とのつながりを完全に失ってしまうことは自分でもよくわかっていた。その予想は的中し、私は卒業を迎えたのだった。
 自分でも呆れるほどに一途だった私は、結局高校三年間ずっと彼女を思い続けていたのだった。そんな私が、卒業した後の春休みに彼女に告白し、見事振られた日のことは今でも鮮明に覚えている。帰り際に外国人に道を尋ねられて、半泣きで案内したことまで鮮明に。
 彼女は難なく地方の最難関大学へ進学、私は捨て身の覚悟で第一志望を受験し、失敗。私立大学も一切受験しなかった私は自動的に浪人が確定した。
 浪人生活で、どうしても彼女への気持ちが消えなかった私は、ある一冊の本を読み、それを皮切りに未練がましく彼女へ連絡をしたこともあった。お互い気まずかったので話も弾まず、結局それ以来私と彼女の繋がりは完全に終わったのであった。
 一年間の浪人の末、都内の私立大学に進学した私は、新しい生活の中で彼女の記憶と共に読書週間も遠ざけた。そうやって自分の心を守ろうとしたのだ。
 幸せなことに、大学で人生初めての彼女ができ、それなりに充実した日々を過ごしたこともあった。しかし、それも長続きはしなかった。
 雲行きが怪しくなってきたころ、私は突発性難聴になった。突然耳鳴りがしたと思ったら、なかなか治まらない。だんだんと聴覚がむしばまれ、ついには授業の音すら聞こえなくなることもあった。流石におかしいと思った私は病院へ行き、そして医者に突発性難聴であると告げられた。原因は大抵は過度のストレスとのこと。当時の私には全く自覚がなかったが、彼女とうまくいっていないということが、想像以上に精神的に来るものがあったようだ。
 そんな中、私はいつも素通りする自宅最寄り駅の書店に足を運んだ。知らない本ばかりが並ぶ書店の中で唯一、私の歩く足を止めた本があった。それは、浪人時代に唯一読んだ本の作家さんの最新刊だった。その本を見て、私は高校時代の頃を思い返し、当時好意を抱いていたあの人を思い浮かべた。懐かしい気持ちと共に、その本を手に持ち、気づいた時には会計を済ませ、書店を出ていた。
 本なんてしばらく読んでいないし、正直読み終える自信はなかった。しかしそんな予想とは裏腹に、救いを求めていたボロボロの私の心を、読書という行為は、優しくそっと包み込んでくれたのである。もちろん読んでいたその本が面白かったということもある。しかし、目の前の活字に一心不乱に向き合う読書という行為が、私を雑念から守ってくれたのだ。
 それからは毎日書店に足を運び、時には読み切れないほどの本を買った。生まれた時から自宅に置いてあったのに、今まで見向きもしなかった文庫本たちを読み漁った。読書会にも参加した。社会人ばかりが集まるような読書会の場でも、私は読書の魅力にとりつかれていたので、物怖じせずに話すことができた。
 そして雲行きの良くなかった彼女との関係は、結局彼女の浮気で、幸せな日々に幕を下ろしたのだった。
 振られた後は、後にも先にも人生で最悪に病んだ日々だったと思う。毎晩魘され、毎日の大学生活すら彼女との日々を思い出し辛い思いをした。心身ともにきつかった。彼女のことを恨みたくない良心と、どうしても消えてくれない憎悪の感情。自分の気持ちが分からなかった。
 すべてを捧げる気持ちで、彼女と向き合って、捨てられる。もう、手元には何も残っていないような気持だった。でも、一つだけ残っていたのである。それが読書だった。辛くて辛くてしょうがないときほど、読書に没頭した。読書で心が癒えることはないけれど、それでも行き場のない感情を、本が受け止めてくれた。私がいまこのような回想ができるほどに回復したのは、他でもない本のお陰なのである。

 あれから35年。私は地元のカフェで毎月小さな読書会を開いている。当時の私を思い出すような大学生や、まだまだ初々しい若い社会人の方も遊びに来てくれる。スマホやインターネットが流行りだしてから、本を読むという習慣は世間から少し薄れた存在になった。世の中にはあらゆる娯楽が溢れかえっているし、本は娯楽というよりも勉強といった見方をされ、真面目で硬いように思われることも増えたのではないか。でも、会社での人間関係や忙しすぎる日々に、ゲームやギャンブルが本当の癒しを提供してくれるだろうか。ふと毎朝の満員電車でそんなことを考えることもある。眉間にしわを寄せてスマホ画面に夢中になっているサラリーマンや学生の姿を見ていて、「試しにこの本読んでみない?」と、今読んでいる本を差し出したくなる。
 
 妻と子供のために働く、片耳の聞こえない朝ドラヒロインみたいなオヤジとして、社会の荒波にもまれ金を稼ぐ私を、本は今でも穏やかに支えてくれているのだ。



最後までお読みいただきありがとうございます。聞いた話と身の上話と想像の世界を織り交ぜて、エッセイ風短編小説を書いてみました。良かったらスキをしてもらえるとモチベが上がります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?