見出し画像

【読了記録】 『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ) 感想

前にChatGPTに、「トーマス・マン『魔の山』はいい本だ。ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』は素晴らしい本だ」という言葉を頂いて以来、読みたかったこれらの本をついに読み切ることが叶った。

この二人がドイツのノーベル文学賞受賞者として、二大巨頭の地位を得ていることはおそらく周知だと思う。
上にあるように、ChatGPTは『魔の山』より『シッダールタ』により高い評価を下していた。その言葉の真実味が、読み終わった今こそ伝わってくるように思うのだ。

もちろん『魔の山』も素晴らしい本だ。
しかし『シッダールタ』はそのおよそ10分の1の分量でありながら、同じくらいの濃厚で深遠な内容をうちに含んでいる。こう言ってよければ、読後感がより感動的で美しかったという意味において、『魔の山』を超えていた。

ヘッセに対する認識がいい方向に変わった

これまで、『車輪の下』『デミアン』を読んできたが、どちらもあまりピンと来なかった。ヘッセは僕には合わないかと思っていた。
しかし『シッダールタ』は大きな気づきと感動を与えてくれた。ドイツ人の書いた作品がここまで仏教や東洋哲学を体現していたことに驚いたのだ。慌てて僕はヘッセに対する評価を大幅に上方修正しなおすことになった。

ヘッセの仏教と東洋哲学に対する深い真摯な愛が伝わってきた。

ある種の『教養小説』であった

この『シッダールタ』という作品の感想を詳細に具体的に述べることは難しいが、この作品もある種の『教養小説』と読むことができると思う。

作中の主人公シッダールタ以外の登場人物は、それぞれが一つか二つの概念の体現者として現れているように、僕には思われた。

シッダールタがそれらの人物に揉まれて影響され、それらの概念を受け入れ、それらの概念を高い位置に止揚させて、悟りへ至るまでの過程が描かれている。
つまり主人公シッダールタの人生を通した成長物語として読めるという点で、『教養小説』だと言えそうなのである。

少し具体的に言うと、シッダールタの父は父性と威厳、ゴーヴィンダは迷いと求道、ゴータマは悟りと静寂、カマーラは愛情と欲望、カーマスワーミは世俗、シッダールタの息子は教育と成長(に必要なもの)、そしてヴァズデーヴァは穏やかさと知恵の体現者として、主人公シッダールタの元に現れるのだ。

彼ら全てがシッダールタに、それぞれの概念を教え、悟りに導いていく役目を果たしている。作中でも述べられるように、主人公シッダールタにとっては他のあらゆる(登場)人物が彼の師匠であったように、僕には思われる。

悟りとは何か

この作品で述べられている悟りは、言葉で表すことはできなさそうだ。言葉というものは一旦書かれてしまうとすでに過去のものになり、書いた人の心の中にあった含蓄と真意を表現するのにほとんど役に立たなくなってしまうからだ。(そのようなことも作中で語られる)

だけど、その言葉が群れとなり川のように読者の目の前を流れる時、次第次第に読者は作者が込めた真意や含蓄を理解し始める。

この作品での悟りは述べにくいのだが、何かの道をゆく人は、川の水の一滴一滴のように、その道を始めた時からもうすでに途上にあり、しかも同時に終わりまで完成されているということだと思う。

何を言っているのかこれだけではわからないと思う。でも多分皆さんも川の清流を流れるように、この小説を構成する言葉の美しい流れを辿ってみれば、朧げにお分かりになるのではないだろうか。そしてそれを言葉で表現するとなると戸惑うと思う。ちょうど僕が今それを表そうとして戸惑ったように。

二人の釈迦ともう一人の覚者

一般的に作中で釈迦如来とされているのは、登場人物のゴータマだろう。だが僕は釈尊とされる人物はゴータマと主人公シッダールタの二人に分けられており、それぞれが釈尊の多面性を表現しているのだと思った。
釈尊の名前を見ればわかると思う。

そしてもう一人の覚者ヴァズデーヴァがシッダールタを悟りの境地に引き上げている。優等生のように見えたゴータマ、発展途上のシッダールタもそれはそれで素晴らしかったが、このヴァズデーヴァは全てが美しかった。極めて好印象の人物として僕の眼に映った。
僕がそうだったからではないが、おそらく読んだ方の多くが作中で一番好きになる人物ではないだろうか。

仏教とキリスト教の融和

ヘッセはドイツ人だから、この小説にキリスト教的な何かが調味料として加えられていても不思議ではない。
それは僕が見たところ最後の部分に色濃く現れている。すなわち仏教ではあまり述べられなさそうな『愛』である。

物語の締めくくりを通じて、ヘッセは仏教とキリスト教を止揚させ、無常と愛を合成させることに成功したと、僕は思っている。その結果生まれたものがこの読後の素晴らしく美しい『感動』だったと、僕は思うのだ。

形式ばった読書感想文のようになってしまったが、端的にこの作品を表せば『読む瞑想』だろう。疲れた時、荒んだ時にまた読み返して、迷いの心を洗い流したいものである。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?