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村上春樹と太宰治の類似性と魅力、そして僕がこの二人を受け付けにくい理由

大学の話ではないが村上春樹氏の後輩なので、村上春樹が他人という気がしない(と密かに思っている)僕。だけど村上作品は肌に合うものが少ない。(以下敬称略)

今まで接してきた人を見て思うことなのだが、村上春樹ファンは太宰治ファンを兼任していることが多いようだ。どうやらこの二人には類似性があるらしい。太宰治作品も同様に僕には肌に合わない。
今日はこれらの理由の一部を模索していこうと思う。

読みやすい共通点をもつ

この二人の最大の特徴はこれではないだろうか。
両者とも極めて読み進めるのがたやすい。普通の純文学作品なら一時間で30〜40ページしか読めない僕が楽に60ページぐらい読める。しかも太宰の場合短い作品が多いから、簡単にあの読後のカタルシスを得られる。

昔見知らぬ人からファッションで本を読むなと怒られた僕なのだが、その種のスタンスで本を読むならもってこいの小説家たちではないかと思う。

ちなみに僕はファッションで読んでもいいと思っている。人の趣味の動機なんて半分くらいがファッションや形式的なものだと思うし、それに対して他の人にネガティブな反応をされる謂れはないはずだ。実際、僕自身ファッションで読んでいる部分も多い。

だから僕がこういうことを書く時、批判の意図はない。
ファッション分を完全に排して受験勉強みたいなノリで読書しても面白くないし、気分転換もできないと思うのだ。柄の悪い言葉を使えば、ファッション上等、なのである。

人間の内面的世界を書くものが多い

さてこれは僕が感じるところなのだが、どちらの作家も人の内面を描くのが上手い。
太宰治は自分や人の内面を精神的な働きや作用から直接的に、かつ巧みに表現する。村上春樹は一方で、巧みな比喩による間接的な内面描写が多い。時として人の内面を表現した独自の世界を創り出し、その中で物語を展開させることが多いように思う。
手法こそ異なれど、多くの人に共通して備わっている内面性や本質を、優れた表現で示すところは類似していると言えそうだ。

いい意味で意識の高さを感じさせる

これも読者たる僕がそう思うことなのだが、両者とも、ベクトルは異なれど自分に対する意識が高く見えるところは大きく共通している。

もっとも次に述べるが、村上春樹のそれは比較的前向きでマインドフルな自己認識である一方で、太宰治の意識はかなり後ろ向き、あるいはこう言って良ければ少々ナルシスティックでマインドレスな自己意識であるような印象を受けている。

それぞれの作家の特長的な個性

こう言うと太宰治の方が良くないみたいに聞こえるかも知れないが、必ずしもそうではない。時代を超えて若年層に愛される太宰の作風は、若者の普遍的真理を見事に表現しているのだ。
少々ナルシスティックでマインドレスだったかつての僕も太宰治を読みふけっていたものだ。まさに当時の自分の考えが文学作品として詳らかに表現されているように思えていた。それも極めて優れた手法で。

村上春樹も独自の魅力的な内面世界に、文字通り世界中の人を引きずり込んで、そこで心地よいマインドフルな感情にどっぷり浸らせる。極めて高い普遍性を持っていると言える。
多くの人が彼を魅力的と言う訳が、ただ読みやすいからというだけでないのは明白だ。加えるなら作品内の小道具の有効利用が上手い。
彼の作品に小道具として出てくる別の作家の文学作品を読みたくなって手をつけ、そこから読書家への道を歩む人も少なくないだろう。

ここまで主に二人の魅力的な点をたくさん挙げたつもりだが、僕が受け付けにくい理由もないではない。

意識あるいは考え方の点で、僕には小説内の居心地がよくない

表現する対象と、表現の仕方は異なるとはいえ、どちらの作家も意識が高い。そして先に書いたいい意味での意識の高さが悪い方に作用することが僕には少なくないのだ。

どうやらこの二人の自己意識のベクトルは向きも大きさも今の僕のそれとは遠いようだ。その齟齬によって、妙な息苦しさを感じることがある。その結果、あれほど読んだ太宰治を僕は手に取ることはしなくなった。

もちろん、繰り返すが太宰治を批判するつもりはない。僕が長じて太宰と別の自己意識や考え方を持つようになったというだけだろう。
太宰の小説は書かれた時から変わらない。変わったのは僕の方なのだ。少し寂しさも感じるが、彼とはもう別れてしまったことになる。

村上春樹はどうだろうか。奇妙なことに僕は居心地の良さと悪さを同時に両方とも感じる。ただ後者の方が少し上回っているようだ。僭越な話だが村上春樹と僕とは共通点と相違点があるみたいで、相違点の方がやや大きいようである。

学生時代で考えると、性格の感性は似ているけれど、考え方の相違で友達になれなかった人たちとどこか似ている。このままあと何冊か読んで何か新たなものを見つけるか、あるいは村上春樹(の小説世界)にさようならを告げる時が来たのか、それは次の春樹作品を読んでから考えようと思う。

何が言いたいのかよくわからない文章になってしまったが、要するに見出しに書いた共通点と長所のため、この二人の読者を兼任する人が多いようだ。二人には違いもあれど、考え方と意識レベル(怪しい表現になってしまうが)が似た人なら、ますます両方の作家が好きになることだろう。

そうなれなかったらしい僕自身が少し残念だが、僕の考えや感じ方に近い作家も他に沢山いるのだから、僕はそういう人たちの作品を特に大事に、今後も色々読んでいきたいと思う。

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