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ヤジディクリスチャン〜存在しないはずの男〜

”1915年のアルメニア人虐殺の時、虐殺されたのはクリスチャンだけじゃない、多くのヤジディもあの時アルメニア人の陰で虐殺されている”その存在しないはずのヤジディクリスチャンの男はそう語り出した。

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写真はアルメニアの首都エレバン。バラの色のような街並みは美しくローズシティとも呼ばれている。一説によると旧約聖書のエデンの園はこのエレバンであったという説もある。そう信じたくなるのもわかるくらい風景も、水も、人々の笑顔も素敵なまちだ。

”ヤジディの村でヤジディの人に話を聞けることになったよ。”

アルメニア首都エレバンで知人のアルメニア人の大学生の男性にそう告げられた。ヤジディとは一神教であるキリスト教、イスラム教と共通の神話を持ちながらターウーシーメレク(孔雀天使)を崇拝するため、イスラム教徒から異端とされ迫害を受けてきた宗教の人たちである。主にイラクに住んでいる。2014年IS(かの悪名高きイスラム国)による虐殺により2千人から5千人が殺害され、数千人が捕虜、奴隷、性奴隷として捕らえられた悲劇の一族でも在る。しかし、筆者にとって本で読んだ彼らの生活や伝統は神秘的で美しいものであった。だからこそ、彼らの美しい伝統を人目見て見たかったし、ヤジディの人と対話して見たかった。

”ヤジディの村ってアクナリッチ村?”日本のクルド人の書籍に描かれていたイラク以外で世界で唯一ヤジディ教徒の寺院があるというアルメニアの村だ。筆者は以前ヤジディの方々の伝統を見て見たくて一人で訪れたが、寺院には人が誰もおらず。ヤジディの人と出会うことはできなかったのだ。

アルメニアのアクナリッチ村、ヤジディの寺院ジアラット寺院を訪れた記事

”いや、アクナリッチ村じゃない村さ。ヤジディ教徒の寺院があるみたい。僕も行ったことがないから楽しみだよ。”アルメニア人の知人はそう笑顔で語った。??クルド人の本にはイラク以外で唯一のヤジディ寺院はアクナリッチ村のジアラット寺院だけだと書かれていたが?。

”イラク以外のヤジディの寺院はアクナリッチ村にしかないって本に書いてあったけど実際はたくさんあるのか?”クルド人に関しての日本で数少ない、トップレベルに情報量の多い書籍だったから、情報が間違っているとは思えないが、、、。しかし、ヤジディとイスラム教スンニ派多数のクルド人は同じ言葉を話すが、文化がまるで違う人達だから、クルド人の専門家がヤジディ教徒の人たちの情報を深く知らない事も十分考えられる。

”どうだろう?僕もアルメニアのヤジディの寺院はアクナリッチ村だけだと思ってからびっくりしたよ。新しくできたんじゃないか?それに、話を聞けるヤジディの人はヤジディクリスチャンみたい。”彼は飄々とそう答えた。はあ?ヤジディは排他的な宗教だと本や、インターネットに書かれている。ヤジディ教徒の方々は改宗することもできないし、他の宗教の人と結婚することもできない堅く厳しい掟がある。それなのに、ヤジディクリスチャン(キリスト教徒)?。意味がわからない。

”はあ?ヤジディクリスチャンってどういうことだよ?あり得ないよ。ヤジディの人たちは改宗できないし、他の宗教の人と結婚もできないと本に書いてあったよ?あり得ないだろ?どういう意味?”俺は思わず疑問を彼に口にした。

”僕に言われてもわからないよ。知人にそう言われたんだ。本人に聞いてみなよ。それにしてもヤジディの人に話を聞くのは僕も初めてだからどんな生活をしているか楽しみだよ”彼の共通の知人にそのヤジディクリスチャンなる、ヤジディの人を紹介してもらうことになっていた。どういうことだろうか?そんなのあり得ない?謎は深まるばかりだが、直接話を聞けるならこんなに楽しみな事はない。ワクワクする。それに本にすら載っていない。中東のクルド人の知識人達すら認知していないヤジディ寺院に行けるとは少数民族、宗教ヲタとしてこれほど嬉しい事はない✨。

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そんな会話から数日後、アルメニアの知人とヤジディの村へ向かった。首都エレバンから車で2時間ほどの場所にヤジディクリスチャンなる存在しないはずの人々の村とその近くにヤジディ教徒の村、そして寺院が存在する。彼ら自身の宗教的な争いやプライバシーなどもあり場所は伏せさせてもらう。インスタ映えだけ求めたバックパッカーが興味もないのに集まるのは個人的に防ぎたいし。その村は美しく壮大な自然に囲まれた村だった。

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穏やかで素朴な煉瓦造りの村の真ん中にある教会に案内された。そこには貫禄のある初老の男性が待ち受けていた。十字架のネックレスをしている。、、、という事はクリスチャンじゃないのか?

”彼が話を聞けるヤジディクリスチャンだよ。”アルメニアの知人は当たり前のようにそう説明した。

”??彼が信じてるのはヤズド教じゃないのか?”

”彼はヤジディクリスチャンでプロテスタントのクリスチャンさ。”そう彼は当たり前のように語る。

”それじゃあ、彼はヤジディじゃなくて、クリスチャンのクルド人じゃないか!!”

クリスチャン(キリスト教徒)という事はヤジディ教徒ではない。書籍やインターネットの説明ではヤジディ教を信じるクルド人がヤジディと呼ばれると書いてあった。エレバンにいたクルド人のクリスチャンの留学生もヤジディは民族でなく宗教が違うだけのクルド人で仲間だと笑顔で言っていた。それに、昔からの友達のクルド人もバハールの涙というISと戦うヤジディ教徒が女性の映画を見たとSNSにあげて”ヤジディの映画”と言ったら、”違うわ、彼女達はクルド人で私達の仲間なのよ。これはクルド人の映画なの”そう言っていた。確かに、かつてヤジディはイスラム教スンニ派のクルド人にも迫害された歴史や、イラクではクルド人自治区の政府に裏切られ守ってもらえずIS虐殺された歴史がありクルド人と一括りにされるのを嫌がっているという記事も読んだことあるが、、、。わからない、、。そもそも、彼はクルド語ではなくアルメニア語を話すクリスチャンならアルメニア人でいいのではないか?。いや、、、でもアルメニア使徒教会ではなくプロテスタントのクリスチャンという事はアルメニア人ではないのか、、、。彼は一体何者なんだ?。

ヤジディクリスチャンなる謎の人物はアルメニア使徒教会のクリスチャンの彼と笑顔で抱擁をして語り合っていた。

”彼はとても信仰心の強いクリスチャンでいい人そうだよ”満面の笑みでアルメニアの知人の彼は語った。クリスチャン同士分かり合えるものがあるらしい。

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ヤジディクリスチャンなる人たちのプロテスタント教会の一室でヤジディクリスチャンなる初老の男性にインタビューをした。彼の写真はヤジディと近隣のヤジディクリスチャンの仲が非常に悪く、問題になりたくないという事で載せる事はできない。

Q”そもそも、ヤジディクリスチャンとはどういう事ですか?”インタビューが始まり、即座にずっと気になっていた疑問を彼にぶつけた。

”元はヤジディ教を信じていた、ヤジディ教徒でキリスト教に改宗した人のことだ。今はクリスチャンだが、民族としてはヤジディなんだ。”教会の薄暗い部屋で遠い目をして初老のヤジディクリスチャンは語り出した。

Q”クルド人の多くの人たちはヤジディは宗教でクルド人だと言っていますが、宗教ではないんですか?”誇らしげにヤジディはクルド人の仲間で信じる宗教が違うだけだよと笑顔で語っていた優しいクルド人の友達の顔を思い出しながら尋ねた。ずっと疑問だった事だ。

”ヤジディは昔宗教だったが、数々の悲劇がヤジディを私たちの民族にしたんだ、、。クルド人達とヤジディは違う”ヤジディクリスチャンの彼はそう遠い目をして説明をしてくれた。彼の説明を聞き俺は理解した、マイノリティに対する悲劇が少数派の信じる宗教の人たちに民族意識を植えつけたのだ。100年ほど前、西欧の民族意識が広まっていく中で数々の迫害、虐殺などの悲劇に見舞われながら自分たちの身を守るためにヤジディの人達は民族意識に目覚めた、アルメニア人やユダヤ人、アッシリア人、クルド人、さらには、トルコ人その他の人たちと同じように、、。

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アルメニア首都エレバンに在る、アルメニア人虐殺を忘れないためのメモリアル

1915年、トルコの前身、オスマン帝国のトルコ人、クルド人達イスラム教徒によりキリスト教徒で在るアルメニア人虐殺が行われた。150万にものアルメニア人が虐殺され、数えきれない幼い少女含むアルメニア人の女性達が性奴隷にされたおぞましい悲劇で在る。その影で、ムスリムでないヤジディ教を信じていたヤジディ教徒達もイスラム教徒で在るトルコ人やクルド人から虐殺されていたのだとヤジディクリスチャンの彼は語る。今現在国を持たない最大の民族として、迫害を受けたり、虐殺をされたりしている悲劇の民クルド人達も力を持つイスラム教徒の側としてアルメニア人やヤジディ教徒の人たちを虐殺してきた歴史があるのだ。

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アルメニア人とヤジディの友好記念碑。1915年はオスマン帝国によるアルメニア 人虐殺の行われた年。2015年はIS(イスラム国)によりヤジディ虐殺が行われた年だ。

ヤジディ達は迫害をされた忌々しい記憶から、危機感から自分たちの伝統を守るために、非人道的な行為を行ったトルコ人やクルド人に同化されないためにヤジディという民族意識に目覚めたのであった。同じようにムスリムとして虐殺をした側のトルコ人もギリシャ人、アルメニア人、クルド人やアラブ人達にオスマン帝国から独立されてしまい領土が削られてしまう恐怖からトルコ人という民族意識を情勢し、その牙は良きムスリム(イスラム教徒)としてのパートナーであったクルド人に襲いかかることになり、クルド語やクルド文化の禁止弾圧、迫害や虐殺につながっていく。結果クルド人達も危機意識によりクルド人という民族意識が情勢されたのは歴史の皮肉、人類のエゴとしか言いようがない。そして、クルド人に対する迫害だろうが、アルメニア人に対する迫害だろうが、ヤジディに対する迫害だろうが人種に関係なく、”マイノリティ(少数派)”や”力なき人々”への迫害が許されていいはずはない。

では、筆者の友達のクルド人が筆者がバハールの涙というヤジディ教徒の女性が主人公の映画を見たのに対して”違うわ、彼女達はクルド人の仲間なのよ。これはクルド人の映画なの”と発言したのは彼女がヤジディに対して敵意を持っていたからだろうか?。否、筆者は彼女に悪意はなかったと考えている。ただ、自分たちの仲間の映画で面白いでしょと自慢したかっただけなのだろう。ただ、いろいろな歴史や思いをイスラム教スンニ派のクルド人やイラクのクルド自治区の政府に対して抱いているヤジディの人たちにとってはクルド人と一括りにされる事は好ましいことではないという両者の視点の違いだ。ただ筆者としては、本人達の意思を尊重したいという思いがあるので、自分たちがヤジディという民族だと考えている人々はヤジディという民族の人だと認識させてもらうことにする。

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タテフ修道院で行われているアルメニア使徒教会の美しいミサ。アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教にした国であり、その自然崇拝とキリストへの信仰が融合した非常に興味深い信仰になっている。機会があれば美しいアルメニア使徒教会の修道院なども記事にしてみたい。

Q”今はクリスチャンということですが、行事などはヤジディの伝統的なものを行う事はありますか?”クルド人達はイスラム教スンニ派であっても、ネウロズというクルド人の春の春分を祝う行事やクルド人の伝統衣装やダンスなどクルド人としての伝統行事を行う。このように民族としてヤジディとして認識しているのなら、キリスト教を信仰していても、新年などはヤジディ式で祝うなどヤジディ独特の伝統を守り続けているのかもしれない。

”いや、クリスマスなど完全にクリスチャンとしてイベントを行う。孔雀天使などは崇拝しない。”そう硬い表情でヤジディクリスチャンは答えた。なるほど、面白い、考えも習慣も完全にクリスチャン化しているがあくまで”ヤジディ”という民族だと自覚しているということか。中々民族意識というものは奥が深い。彼はヤジディ教徒の信仰や厳しい掟に嫌悪感すら抱いていた。ならもうアルメニア人と名乗ってもいいのでは?とアルメニア語を話し、アルメニアで暮らす彼をみていて思った何故そこまで、彼がヤジディとしての民族にこだわるのか。それは若い頃ヤジディとして苦労して改宗した彼の歴史に答えがあるように思えた。

”ヤジディの保守的な文化は本当に酷い!!。ちょっと前まで、一部の上位カーストしか読み書きを学ぶのが認められなかったんだ。それに、いまだに女性はカーストの最下層にいる。自由がないんだ。だから俺はキリスト教に改宗したんだ。”ヤジディクリスチャンの男性は鬼気迫る表情でそう語った。

改宗したヤジディクリスチャンが語る、ヤジディ教徒の少し前の現実は中々興味深かった。日本のメディアでは、滅多にヤジディが姿を現す事はないが、ISにヤジディの方が虐殺された時、ヤジディの人たちは悲劇の民であり、ISに破壊されるヤジディの美しい文化としか報道されていなかった。そのため、ヤジディクリスチャンが語るヤジディの厳しい伝統とそれにより奪われる自由と平等についての話は非常に興味深かった、ヤジディ教徒として不合理に苦しみ改宗した彼からしか聞けない話だろう。ヤジディのあまりに厳しい伝統により、ISに性奴隷にされていた元奴隷の女性や強姦されて生まれた子供達の処遇がイラクのヤジディ達の間で問題になっているのもまた事実である。子供達はヤジディとして認められず、母親と引き離され孤児になる子供もいるようだ。自分たちの家族を殺し、性奴隷にしたISの男の血が入った子供をヤジディに受け入れたくないという気持ちも大いに理解できるが。

”少し前までヤジディの男性同士で挨拶すらできなかったんだ。挨拶はとても大切な事だろ?。それが悪き事だと教えられていたんだ。”そうヤジディクリスチャンの男性は語ってくれた。男性同士で挨拶ができないとは、、、、想像以上だな、、、。

”しかも、孔雀天使なんかを神のように崇拝なんかしていて、クリスチャンと違って天国に行けない。”そう彼は真剣な瞳で語ってくれた。、、、、厳しすぎる伝統については確かにいいとは思えないが、、、美しい孔雀天使崇拝をそこまで叩く感性はクリスチャンでない俺には理解しかねる。キリストを神のように扱うのと何が違うのだろうか?。女性の立場の話も確かに酷いとしか言いようがないが、後に話した保守的なヤジディ教徒の女性の文化やカーストを誇らしげに語る感じからはヤジディクリスチャンの彼が語るのとは違う印象を覚えた。

推定50年ほど前、そんな厳しい伝統に、不自由に嫌気が指していたヤジディクリスチャンの彼は自由のあるクリスチャンに改宗したのだ。厳しい伝統のあるヤジディ教徒では、基本的に改宗は許されない。改宗した彼はヤジディ教徒の知り合い、親戚、さらには両親から迫害を受けることになる。酷い話である。

しかし、最初は改宗した彼を迫害したヤジディ教徒の両親も、彼がクリスチャンとして自由に幸せそうに暮らしているのを見て、後にクリスチャン改宗するという感動のエピソードである。

”なんていい話なんだ。僕は感動したよ。”通訳をしてくれた知人のアルメニア人の大学生は目に涙を浮かべながらそう語った。彼は別に危ない狂信的なキリスト教徒ではない、アルメニアでは文化としてキリスト教が根付いており、皆基本は信仰心が強いのだ。

”それに俺はクリスチャンに改宗するまで毎日酒を沢山飲み、荒んでいたが、クリスチャンに改宗してからは酒をやめて幸せだ✨”そうキラキラとヤジディクリスチャンの彼は語る。

そうか、それはよかっ、、、。

”ちょっと待て!!ヤジディは魚は食べれないとか厳しいルールがあるけど酒は飲んでも大丈夫なのか??”俺は思わず質問を口にした。

”酒を飲むのは大丈夫だ。”そうヤジディクリスチャンは教えてくれた。厳しい宗教だから酒もダメだと思っていた。なるほどな。酒を飲むことができると言う事も、酒をタブーとするムスリム(イスラム教徒)から迫害を受ける一因なのかもしれないな。そんな彼のヤジディ教徒として不自由だった半生から、クリスチャンになり自由になった後も含めて、全てヤジディクリスチャンである彼の物語である。不自由な経験も、自由の大切さを知るため彼にとっては宝なのだ。そして、その苦難を乗り越えて今のヤジディクリスチャンとしての彼のアイデンティティがある。だから、彼個人としてはヤジディ教徒が嫌いでも、ヤジディという民族にこだわる理由なのかもしれないと思った。

アルメニアに住むヤジディのほとんどは自由を求めてヤジディクリスチャンに改宗したとヤジディクリスチャンの初老の男性は語った。保守的な一部の人のみがヤジディ教の保守的な教えと伝統を守っていると言う事だ。ヤジディクリスチャンの人々と保守的なヤジディ教徒の関係は非常に悪いようだ。

Q”ISにより虐殺されたり、性奴隷にされたイラクのヤジディの方々をどう思いますか?”

”ISより酷いめに合わされた彼らには心から同情するよ。本当に酷い話だ、、、。しかし、彼らは伝統に固執して女性に自由を与えていない。クリスチャンに改宗して女性達を自由に、平等にしてあげるべきだ。クリスチャンになれば彼らも天国に行けるのに、、、。”IS(イスラム国)により、同じヤジディ民族の人へ行われたジェノサイドを完全に関係ない他人事のように語る彼に衝撃を受けた。ヤジディという民族に固執している割には、イラクにいる同じヤジディには、物凄いよそよそしいというか興味がなさそうだ。彼曰く、ヤジディクリスチャンはもちろんのこと保守的なアルメニアのヤジディとイラクのヤジディの関係も悪いらしい。、、、何故なんだろう?。民族って何なのだろうか?。

Q何故イラクのヤジディの人たちはヤジディ教徒の厳しい伝統にこだわると思いますか?”

”多分だが、アルメニアよりイラクの方が教育水準が低く、ヤジディ教徒以外の他所の世界を知らないからヤジディの伝統に固執するのだろう”なるほど、伝統と教育水準は反比例するという彼の見解は面白い。一理あるのかもしれないが、教育を大切にする文化や伝統で成功したユダヤ人を見ると一概にそうとは言えないだろう。

”それにイラクのクルディスタン(クルド人自治区)に住むヤジディの伝統には保守的なクルド人の影響が大きい。クルド人は保守的だが、ヤジディは本来自由を求める全然違う。”保守的なクルド人と自由を求めるヤジディで全然違う民族であるという彼の視点も斬新で非常に面白い。

一方、ヤジディクリスチャンとアルメニア人の関係はかなりいいとヤジディクリスチャンの彼は語っていた。ヤジディクリスチャン同士やアルメニア人同士よりもヤジディクリスチャンとアルメニア人の方がたくさん挨拶をすると彼は満面の笑みで語っていた。そして、このヤジディを求める旅の後に行うことになるナゴルノ=カラバフ難民100人取材でインタビューしたナゴルノ=カラバフ難民の故郷を奪ったナゴルノ=カラバフ戦争にもヤジディはアルメニア軍として参戦している。それも、彼にとってはアルメニア人とヤジディの関係が深い一つの根拠なようだった。

宗教は違うがクルド人の仲間、美しい信仰を持つヤジディ教徒、悲劇の民ヤジディ教徒、ヤジディクリスチャン、悲劇のヤジディ民族、自由を求めるヤジディ民族。、、、ヤジディにもこんないろいろな見方があるとはな、、、。世界というのは面白く、興味深い、、、そして、だからこそ難しい。多分、どれも正解だ。

他にも元ヤジディの視点からのヤジディの歴史、ターウーシーメレク(孔雀天使)、シャイフアディの話などたくさん聞けた。興味深い、元ヤジディの人にヤジディの話を聞けるなんて、、、、でも、やっぱヤジディ教を信じている人にヤジディの話を聞いてみたいな。

Q”最後の質問ですが、この村の近くにあるヤジディの寺院にいる伝統的ヤジディ教徒の方と話をできると思いますか?”

”できると思うよ。だが、俺と話したことは絶対に言わない方がいい。ヤジディに興味がある日本人と名乗れば話をしてくれるだろう。しかし、通訳の君はただの通訳とだけ名乗り、決してクリスチャンだとは名乗らないことだな。”そうヤジディクリスチャンは警告してくれた。

保守的なヤジディ教徒の人達とヤジディクリスチャンは想像以上に仲が悪いようだ。これを聞いた多くの日本人は、やっぱ宗教が争いを起こすんだと言うだろう。しかし、どんな場所だろうが人間とは派閥を作って争う生き物だと個人的に思う。君たちも普通に生活していれば、学校でも職場でも趣味のサークルでさえもそんな争いをたくさんみてきたはずだ。全てを宗教のせいにするだけでは争いは無くならないどころか、ただその宗教への迫害が起こるだけだと個人的には考える。美しい信仰を持つヤジディ教徒。自由を求めるヤジディ民族。俺は自由もヤジディ達の美しい信仰や神話も、両方とも好きだ。まあ、所詮は部外者だからそんな悠長なことを言えるだけなのかもしれないが。自由と美しい伝統、共存する事はできないのだろうか?

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