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子供好きな知人が戦争に行った話 だから私は戦争に反対で、平和を願う

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”亡くなった同僚もいる、生きているだけで僕は幸運だったんだ、、。”

アルメニアで同じ宿にいた青年は英語も上手でマッチョ、宿のオーナーの子供とよく遊んであげる子供好きの完璧な爽やか青年。そんな、彼は人生で辛いことなど何もなく幸せな日の当たる場所で生きてきた人なのだろうそう思っていた。しかし、彼は俺などよりよっぽど壮絶で悲しい過去があったのだ。

彼の話は自分がナゴルノ=カラバフ難民100人取材を本格的に始める前に聞いた話だった。いつか、noteに書こうかなとは思っていたが難民の方々の話を優先していた。しかし、現在多くの罪なきウクライナ人が国を守るため、罪なき多くのロシア人も又国と軍の命により戦争で殺し合いをしている。彼らは戦争さえなければ、ロシアの侵略さえなければ、あるロシア人は実は勉強が大好きだったり、旅が大好きでヒッチハイクで世界を周ったり、あるウクライナ人は明るいyoutuberだったり、ダンスが大好きな気のいい若者かもしれない。そんな普通の人たちが戦争で殺し合っている。その事実が俺はとても悲しい。

そして、彼ら自身は平和であれば戦場で戦うことを望まない人が多いだろう。今現在、フェイクニュースも多いところはあるが、ロシア人への差別も始まっていると言う話を聞いた。これは、あまりにも愚かで悲しいことだ。日本でも、ロシアでも、多くロシア人が反戦デモに参加しているし、少なからず、何人か気のいいロシア人に筆者は出会ったことがある。長期休暇の陽キャのロシア軍兵士の青年はパキスタンの山で筆者がgoproを落とした時、探して見つけてくれた、彼はいい奴だった。もちろん、ウクライナ人にもいいやつは沢山いる。難民取材中に出会った気のいいウクライYoutuber、、少し話しただけだけど、あいつ明るくて、本当にいい奴だった。あいつ、どうしてるかな、、、。しかし、現在そんなロシア人が住むロシアがウクライナ人の住むウクライナに侵略を行い、戦争状態で、2月28日現在ウクライナでは子供を含む350人以上が亡くなった、、。そんな状態だからこそ、2年前戦場に行った子供好きな若者がどんな人で、一体何をみて、戦争に対して、敵国に対して何を思っていたのかを一人でも多くの人に聞いて欲しくて彼の話を投稿することにした。

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アルメニアの首都エレバン

首都エレバン滞在中に滞在した宿には現地アルメニアの大学に通う若者たちも生活していた。その中の一人に真面目で爽やかで英語も上手な非の打ちどころの無い好青年がいた。宿のオーナーの小学生の子供とも大の仲良しで、よく男の子と遊びに出かけたりしていた。子供が本当に好きなやつに悪い奴はいない。俺はそう思っている。こんなに完璧な好青年なのだから順風満帆な人生を送っているだろうし、これからもそうだろうと勝手に思っていた。

そんな彼に宿のパブリックスペースでだべっている際にアルメニアの伝統ダンスをいろいろ教えてもらった。その中にアルメニアの伝統的な勝利を願い踊るダンス、ヤルフシュタと呼ばれるダンスも存在した。

確かアルメニアには徴兵制があるはずだ。その戦争の勝利を祝うダンスの話を聞いてそんなことを思い出した。じゃあ、彼も今から徴兵されるのかな?そんな疑問が俺の中に湧いた。

”アルメニアって確か徴兵制があるよね?”

”ああ、あるよ。”彼はさらっとそう答えた。

”徴兵には今から行くの?”

”ああ、もう終わったよ、、、”彼は今までと違う表情でそう答え、こう続けた。

”2020年の10月にもこの国で戦争があったのを知っている?”彼は神妙な面持ちでそう尋ねてきた。知ってるも何も、、、取材がしたかった44日間戦争じゃないか。

アルメニア人とクルド人の鼻が高い美しいハーフの娘に出会った淡い思い出や、イランやイスラエルで見た美しいアルメニア教会に心惹かれてから、アルメニアは単純にずっと行きたかった国だった。

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イラン、イスファハーンにあるアルメニア教会。ヒジャブ(髪を隠すスカーフ)をしたイラン人がたくさん美しいアルメニア 教会を見に訪れていた。余談だが、この当時イランの司令官がトランプに殺害され、戦争がアメリカと起きるかもしれないくらいピリピリしていた。日本やアメリカの報道ではアメリカに死をとデモをする恐ろしいイラン人のニュースがよく流されていたが、現地イランの人々はただ平和と自由を求めて、戦争に反対していた。そして、そんな危機的状況でも異国のものである筆者に親切にしてくれた。

そんな、憧れがアルメニアにあったからこそ、2020年44日間戦争が勃発した時、ショックで情報を漁っていた。大国の駆け引きや、ドローンの恐ろしさを見てこれが世界か、、、と衝撃を受けた。現地のアルメニアの人を知らなかったからだ。そして、知らなかったからこそ、話を聞きたいとずっと思っていた。

”僕はあの戦争に行っていたんだ、、”彼のその言葉に俺は冷水をかけられたような気持ちになった。好青年の彼と食い入るように調べたナゴルノ=カラバフでの44日間戦争が結びつかなかったのだ。

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アルメニア、ゴリスにある44日間戦争で亡くなった人たちの記念碑。44日間戦争ではアルメニア、アゼルバイジャン含めて、5600人以上の人々が亡くなった。

”そんな、、、、アルメニアの兵士は大変だったんじゃないのか?”悔しいかな、俺の浅い人生経験では、そんな言葉しかとっさに出なかった。アルメニアは敵国アゼルバイジャンに敗北し多くの領土を失い、多くのアルメニア人が難民となった。もちろん、多くの人が命を落とした。

”、、、ああ、大変な場所だった、、、、。”彼はそう言って、今までに見たことのないような乾いた笑みを浮かべた。

”でも、僕は生きている。だから、良かったんだ。”彼は乾いているが、どこか穏やかな笑みでそう語った。彼の表情の迫力に俺は何も言うことができなかった。

”写真もあるから見せるよ”

戦場となったナゴルノ=カラバフの極寒の雪山の写真、軍服を着た彼の写真、雪山で野宿した場所やインスタントラーメン、アゼルバイジャンに撃ち込まれた弾薬の写真。まるで、俺が海外の思い出の写真を友達に見せるように、彼はスマホの戦場の写真を俺に見せてくれた。

彼が撃ったという機関銃の写真、コマンダーだった彼と狙撃手の同僚の写真。優しい子供が好きな彼とコマンダー、機関銃がまるで結びつかない。

”ブーンと虫が飛ぶような音が聞こえ作るんだ(銃弾の飛び交う音)。”

”スマホの電波を受信して、ドローンが攻撃してくるんだ、、、。恐ろしいなんてものじゃないんだよ、、、。”

”弾丸が僕のわずか30cm上を飛んで行った、、。運が良かった。神様が助けてくれたんだ。”彼は穏やかなようで、無表情のような絶妙な表情で語る。

写真の彼は疲れ切っていて、目の前にいる爽やかな彼より、10歳以上年上に見える。

”これは同僚だ、、、、”一人で岩山を背景に映る、軍服の同僚の写真を見せてくれた彼は言葉を詰まらせて、切ない顔をしていた。彼の表情から、この同僚は亡くなっているのかもしれないと思ったが、それを彼に聞くことは俺にはできなかった。

正直取材をしようとしていたナゴルノ=カラバフ、44日間戦争、参加した人がいたら話を聞きたいと思っていた。聞きたいことは山ほどあった。しかし、実際戦争を経験してきた青年を前に”大変だったね、、、生き残って良かった、、”そんな言葉を繰り返すしか俺にはできなかった。

”44日間僕はそこに居た。寒くて、汚くて、辛い場所だった、亡くなった同僚もいる、、だから生きているだけで僕は良かったんだ、、。あの記憶は覚えてすらいたくない、、辛いんだ、、、。”そう彼は語った。不思議なことに領土も仲間の命を奪ったはずの敵国アゼルバイジャンについて彼は何も語らなかった。怒りや恨み言などは何一つ、、、。

”この国(アルメニア)に旅行に来る人たちはそんなことがあるとも知らずに、想像もせずにこの国を去っていくんだ”そう遠い目をして彼は語った。それは、彼とアルメニア人の悲痛な叫びだった。世界は都合が悪いものから、残酷な現実を見ようともしない、、、。

俺は彼のこの表情を忘れることはないだろう。今現在ウクライナを守るために戦うウクライナ人たちはもちろん、ロシアの兵士たちの中にもなぜ自分たちがこのわけのわからない大義名分で戦っているんだと、過酷な戦場で思い詰めている人も少なくはないだろう。この記事を読んでいただいた方に、今一度ウクライナ人、ロシア人、そして、アルメニア人を始めとする戦争により苦しんでいる人たちの気持ちを考えていただけたら幸いだ。だから、俺は戦争には絶対反対だ。俺のgoproをパキスタンの山で探してくれたロシア軍の兄ちゃん、アルメニアで出会ったウクライナの気のいいoutuber、そして、アルメニアの子供好きの青年、彼らは今のウクライナ危機をどう思い、何をしているのだろうか?ただ、俺が願うのは平和と皆の幸せだ。


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今回の記事で出てきた2020年5600人以上の人が亡くなった44日間戦争の難民の方の記事や、戦場の村の記事も書いています、興味があれば一読いただけたら幸いです。


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